私とあなたの生きる場所(2)
レヴィニアの国土は、熱砂によって覆われている。筆者が今回の取材で訪れることが出来たのは、ヤポニアの三倍の広さを持つレヴィニアのほんの一部に過ぎない。それも王宮や政府中枢の置かれた首都ではなく、砂漠地帯の只中にある地方都市ばかりである。
乾ききった地面の上に石造りの平屋が立ち並ぶカディケイヤの街は、アサマンディアの国境から少し離れた位置に存在する。ここは交易商人たちが中継所として利用する、小さな宿場町だ。砂漠を旅する者たちにとって、オアシスの恵みは何よりも有り難い。カディケイヤの水場は、旅人とその相棒であるラクダたちで常時満員であった。
「解放軍の話は聞いているよ。国境が封鎖されたまんまで、商売はあがったりだ」
各地を旅する行商人たちは、その行く先々で見聞きしたことを語ってくれた。レヴィニアの王宮で何が起きたのか。レヴィニアのそこかしこで、レヴィニア解放軍を名乗る勢力が何をおこなっているのか。人と物の行き交うカディケイヤで、筆者はレヴィニアに住む様々な人たちの生の声を耳にすることが出来た。
「レヴィニアが今こうして豊かでいられるのは、全て王家の方々とワルキューレ様のお陰だ。それを地に貶めるとは、なんという恩知らずか」
老人たちはおおよそ口を揃えて、レヴィニア解放軍の革命を蛮行であるとして罵った。何もない砂漠地帯で、数少ない水源を巡って争う人々をまとめてくれたのは、他ならぬレヴィニアのワルキューレである。
「人が人を律しようとしたところで、誰も素直に言うことなんか聞きゃしない。ワルキューレ様は自らを力ある者として、我らを導く役を買って出てくださった。ワルキューレ様が支配を強いたのではない。我らの側が、支配されることを望んだのだ」
やがて、人類は化石燃料を使うことを覚えた。レヴィニアを含む中央大陸の赤道近辺は、化石燃料の一大埋蔵拠点だ。ワルキューレはその採掘位置を特定し、人々に教えた。現代に於いて化石燃料産出国家群と称される、ワルキューレ信奉国勢力の誕生だった。
「化石燃料があるから、今のレヴィニアは潤っていられる。世界が変わろうとしている今だからこそ、レヴィニアもそういった形に変化していく必要があるんじゃないか?」
若い商人たちの中には、革命について肯定的な意見を述べる者たちが相当数いた。彼らは国境を超えて、時には国際同盟の諸国とも商談を持つことがある。そういった外の世界との関わりが多い者ほど、これまでのレヴィニアに対しての疑問を呈する声は大きいと筆者には感じられた。
「人類が自らの手で世界を作る時代が近付いてきている。国際同盟の科学文明を見ていると、レヴィニアもいつまでもワルキューレに守られてばかりではなくて、自分自身で社会なり文明なりを築いていくべきだと思うようになったね」
旧レヴィニア王国も含めたワルキューレ信奉国は、表立っては国際同盟諸国とは対立していた。その特産物である化石燃料は、母星にあるどこの国であっても垂涎の的となる人気商品だ。
自国の方針がどうであれ、国際同盟側の国々は化石燃料を高く買ってくれる。レヴィニアの商人たちにとっては、相手が何者であったとしても金さえ払ってくれれば上客でしかなかった。今回の革命でレヴィニアの体制が引っ繰り返ったことにより、化石燃料の商売的にはやりやすくなったという側面もあるのだそうだ。
「今までのレヴィニアの在り方を、レヴィニアの民自身が否定するのは難しかった。レヴィニア解放軍の背後に国際同盟や極北連邦がいることなんて、みんな知っている。レヴィニアの民は自分たちには出来ないから、外国に来てもらって、代わりにそれをやってもらいたかったんだ」
レヴィニア解放軍とそれに随伴する国際同盟の外人部隊に対する評判は、筆者の予想に反してあまり悪いものではなかった。事が全て終わった後で、問題行為が発覚すれば国際社会からの批判は避けられない。過去に何度となく侵略戦争を経験してきた列強諸国にしてみれば、またもや同じ過ちを繰り返すという愚を犯すことはしたくなかったのだろう。整然と統率されたレヴィニア解放軍の部隊は、略奪や非戦闘員の殺戮には手を出さずに、黙々と治安維持に努めていた。
その牙が剥かれて本性が垣間見えるのは、旧王国派の勢力と衝突した時と、ワルキューレが発見された時だ。筆者が取材をおこなっていた際には、レヴィニアのサファネ王子は国内で逃亡中の身だった。それを旗印に王家の復興を望む武装集団がレヴィニアの各地で反抗作戦を展開し、レヴィニア解放軍はそれの鎮圧に追われていた。また、王家に仕えているワルキューレ以外にも何名かのワルキューレがレヴィニアには滞在しており、これを排除するための作戦も随時遂行中とのことだった。
「抗魔術加工があれば、人類は魔女やワルキューレに対抗可能です。お互いに対等な関係であることを望むのであれば、まずは相手を制圧可能な力を持っているのだと誇示するべきです」
レヴィニア解放軍の部隊の一人は、抗魔術加工された武装を持つことの意義についてそう語った。一方的に要求を呑まされる者ではないことを示す、交渉のための武器。魔女やワルキューレたちと対話をおこなうのに、本当にそんなものは必要なのだろうか。
「力のない者は、力のある者を恐れます。それで人類が魔女やワルキューレに対して引け目を感じなくなるというのであれば、それはそれで構いません」
人類が抗魔術加工を手にしたことについて、ヴァルハラの巫女はむしろ肯定的な意見を持っていた。
「ただ一つだけ。ワルキューレは常に人の上位にある存在でした。それ故に、ワルキューレはワルキューレである以上、力在る者の責務が要求されます。人がワルキューレの場所にまで登ってくるというのであれば、是非一度そのことについて考えていただきたい」
ワルキューレたちは、闇雲に人類を支配しようとしていた訳ではない。この母星の上で共に栄えるために、『魔女の真祖』の遺志を受け継いでその力を行使してきた。人類の正しき導き手となるために。特にワルキューレの裁定者たるヴァルハラは、自らを厳しく律する姿勢を貫いていた。
レヴィニアは今、大きな混乱の中にあって……そして同時に試されている。人がワルキューレの手から離れて、自らの足で歩き始める世界の訪れ。
そこには、ワルキューレの血を伴わなければならない必然は存在するのだろうか。
降臨歴一〇二九年、十一月二十二日
フミオ・サクラヅカ
戦闘車両が横倒しになって、激しく炎上していた。真っ黒い煙が、炎の赤と斑になってそそり立つ。散発的な銃声が鳴り響く中で、エイラは素早く状況を判断した。
「レヴィニア解放軍は退がれ! こいつは戦闘士の担当だ!」
ディノの方で、通信回線の周波数は調整済みのはずだ。数名の兵士たちが、物陰沿いに移動しているのが見える。その中心に、小さな竜巻が生じているのが判った。
――違う。あれがイクラスだ。
無数の砂を巻き上げて、唸りに似た轟音と共にイクラスは突撃をかけた。その先には、レヴィニア解放軍の一団がいる。「やめろ!」とエイラが制止する間もなく、兵士たちは真空の刃でずたずたに切り裂かれた。
血と、肉塊の雨が降る。ボドボドという音に、他の兵が正気を失って悲鳴を上げた。ロクに狙いも定めずに、抗魔術加工の銃を撃ちまくる。一発はエイラの装甲を掠めて、火花を散らした。
肝心のイクラスの方には、銃弾が到達することはなかった。抗魔術加工は周辺の魔術的効果を無力化するが、それによって生じた二次的な自然現象に対しては意味がない。風に舞い上げられたいくつもの障害物が、イクラスを覆って盾の役割を果たしていた。弾が切れたことを知ると、兵士はようやく我に返ってその場から逃げ出そうとした。
「ひぃぃっ!」
最後まで残って攻撃などするから、イクラスの目に留まってしまったのだ。兵士の足元に、風の渦が現れた。エイラは兵士を助けるかどうか一瞬迷って、断念した。間に合わない。その判断は正しかった。エイラが手足を動かす間もないままに、兵士の身体は巨大な砂の掌によって握り潰されていた。
ぐじゃり。赤黒く染まった砂の山が一つ、道端に残された。もう辺りにはレヴィニア解放軍の兵士は残っていない。それを確認すると、エイラは改めてイクラスと対峙した。
「よう、派手にやってるじゃないか」
目の前でこれだけ暴れられたからには、戦闘士としては見過ごすことは出来なかった。それでも素直に事情聴取に応じてくれるというのなら、エイラとしてはそれでも一向に構わない。尤も、その期待は薄そうか。
イクラスは、猛然とエイラ目がけて突進してきた。風に飛ばされた砂が、まとまって一つの形を成す。それはイクラスの背後から伸びる、無数の砂の拳となった。
エイラも咄嗟に、手首に仕込んでおいた触媒を解放した。まとめておけばそこまでかさばらないで済む、鉄の砂だ。エイラもイクラスと同じように、それを腕の形状に固めて拳を繰り出す。砂と砂鉄が激突し、衝撃波が地面を震わせた。
――やはり、強い!
一撃一撃が、異様なくらいに重かった。エイラも全力で打ち返しているが、じわじわと押され始めている。イクラスが、身を守る風の壁を解除した。攻撃に集中するつもりだ。これより更に激しさが増すとなると、エイラの方もこのままではいられない。一旦後ろに逃れるか、それともこちらも守りを捨てて攻めに徹するか。
「うおおお!」
後者だ。エイラは防御壁を解いた。イクラスの砂の拳をまともに喰らえば、防御壁なんてまず無意味だった。ならば、それを貰わないための最善の方策を取るしかない。装甲を着込んでいる分、エイラの方が若干は有利だ。ここはディノの技術を信頼しよう。
砂鉄の拳が数を増やし、二つの力は拮抗した。ぶつかり合う時にだけ、相手を砕こうと質量が増す。一つが終われば次。そしてまたその次。延々と繰り広げられる高速の殴り合いは、傍から見ていれば黒い暴風と白い暴風の浸食合戦に映った。
「えっ?」
均衡が破れたのは、数秒の後だった。エイラは微かな物音を察知して、注意がそちらに逸れた。エイラの背後の物陰から、誰かが顔を覗かせている。背の低い人影は、市場で見かけた薄汚れた子供のうちの一人だ。
――追いかけて来たのか!
一秒にも満たない隙は、それでもイクラスにとっては十分すぎるチャンスだった。強烈なボディブローがエイラの腹部に直撃し、防護服を通して肉体に壊滅的なダメージを与えてくる。
「ぐぅあ!」
痛みに意識を持っていかれそうになりながらも、エイラはまず自分が吹き飛ばされるコースを確認した。まずい。何でも良いから、方向を変えなければ子供に直撃する。そんなエイラの表情を、イクラスは瞬間的に読み取った。
一番使えそうなのは、燃え続けている戦闘車両だった。迷っている余裕はなかった。エイラはそちらに目がけて、強力な磁力を発生させた。痛みで集中出来なくなる前に、とにかく早く。ぐいん、と不自然なカーブを描いて、エイラの身体は戦闘車両に激突した。
その余波で、残っていた予備のタンクが破裂した。化石燃料に引火して爆炎が上がり、戦闘車両が大破する。イクラスはその様子を見届けると、ゆっくりと歩き出した。イクラスの進む先には、言葉を失くして立ち尽くす子供がいた。
「ここは危ないわ。すぐに避難しなさい」
イクラスは優しく微笑んでその場にしゃがむと、子供の頭をそっと撫でた。イクラスの表情は、あくまで穏やかだった。ついさっきまでレヴィニア解放軍の兵士たちを惨殺し、ワルプルギスの戦闘士と死闘を繰り広げていたワルキューレとは別人のようだった。
「でも――」
もう、終わったのではないか。
声になって発せられる前に、その問いかけはあっさりと否定された。原形を留めないほどに破壊された戦闘車両の残骸から、身を起こした者がいた。ぐるぐると肩を回して、首を傾けてこきりと鳴らす。まるで昼寝していたところから、さてこれから一仕事始めようとでも言いたげな雰囲気だ。
それが激しく燃え盛る炎の中でなければ――の話ではあるが。
「その子の注意を引いちゃったのはあたしだ。面目ない。この一発は甘んじて受けておくよ」
「いいえ」
子供が走り去っていく背中を見送って、それからイクラスはようやくエイラの方に向き直った。エイラの肉体は完全に再生して、傷は跡形もなく治っていた。それだけの時間的猶予は与えていたのだから、当然だろう。
そこにレヴィニアの民がいることに気が付かなかったのは、イクラスの手落ちだった。エイラは自らを省みず、その命を守ってくれた。これはエイラの勇気ある行動に対する、イクラスなりの敬意を表したつもりだった。
「エイラ、聞こえているか? ヴァルハラから速報が入った」
どうやらヘルメット内の通信機は壊れていなかったみたいだ。ディノの防護服は大したものだ。イクラスの一撃をまともに受けていれば、エイラは上半身と下半身が泣き別れになっていたところだった。
……その方が、子供と激突するリスクは避けられていたのかもしれない。余計なことは考えない方が良さそうか。エイラはイクラスが攻撃してこないのを察すると、ディノに訊き返した。
「どうかした?」
「計画通り、プレリツイから国境を抜けた場所でレヴィニアの王族を無事保護したとのことだ」
それは良かった。これだけ痛い思いをして、陽動失敗なんてオチだったら悲しすぎる。ジャコース将軍はちゃんとエイラたちの情報を信じて、レヴィニア解放軍をサマルディンに集中してくれた。嘘は言っていない。何しろ戦闘士の目標であるワルキューレ、イクラス・レリエは確かにここにいるのだから。
エイラはイクラスの黄金の瞳を見つめ返した。イクラスが守るべき対象は、もうこのレヴィニアにはいない。これでエイラとイクラスが戦う理由が消えてくれたのなら、万々歳だ。
残念なことにイクラスの全身には――未だに熱い闘志がみなぎっていた。




