砂の虚人(5)
ファフニルが砂漠の駐屯地にやってきて、丸二日が経過した。ワルキューレとの戦闘は、エイラが専任で担当することになった。そうでなくてもレヴィニア解放軍は先日イクラスに手酷くやられていて、しばらくは哨戒任務がやっとという状態だ。圧倒的な力を見せつけられることで、士気も微妙に低下していた。
兵たちは王の墳墓をすっぽりと覆った砂嵐を包囲しており、何か異常があれば即座に報告が上がってくる。無理にこちらから突っついても、返り討ちに遭うのがオチだ。怒りでこめかみの青筋がブチ切れそうなジャコース将軍を尻目に、エイラはのんびりと駐屯地の食堂でコーヒーなどを飲んで過ごしていた。
「あの将軍、そのうち血圧が上がって倒れるんじゃないか?」
「んなこと言われてもなぁ。あたしも単騎で突撃かまして無駄死にするのは御免だし」
ジャコース将軍が急ぐ気持ちは、エイラも十分に理解していた。レヴィニア情勢は、いよいよ国際同盟の中で問題視され始めている。混乱を治めるためという名目で、極北連邦から増援がじゃんじゃんと送られている状況だ。閉鎖された国境の内側で何が起きているのか。国際世論の突き上げに対して、いつまでものらりくらりとした答弁では躱してはいられないだろう。
だらだらと時間が経てば経つほど、政権の奪還を目論む旧王国派が勢いづくことになる。レヴィニア解放軍は、さっさと王国の最後の希望であるワルキューレ、イクラスを討ち取ってしまいたかった。王位継承者のサファネ王子や、ソミア姫に関しても同様だ。
レヴィニア王国の歴史は、終わった。
その事実を内外に示すことで、この革命はようやく完遂される。万が一にも王族たちが国外に脱出して、亡命政府でも樹立された日には目も当てられない。そうなってしまえば、レヴィニアの新体制はいきなりの真っ二つだ。
「……でも、それはしないんだよな」
いかに屈強な軍隊に迫られているとしても、イクラスは強い力を持ったワルキューレだ。人間二人を連れて国境の外に抜ける程度、造作もないことだと思われた。ジャコース将軍辺りは、自分の力でイクラスを封じ込めているぐらいの勘違いはしていそうなものだが。しかし現実には、イクラスは自らの意志であの王の墳墓に留まっていた。
ラリッサがファフニルに乗って観測したところ、砂嵐は外部からの侵入を完全に拒んでいた。自由に出入り出来るのは、レヴィニアの王族を守護するワルキューレであるイクラスのみだ。強い魔力が込められているので、魔女であってもそれを排除することは不可能に等しい。ワルプルギスのパトロールに調査を協力してもらった結果、嵐の勢いはかなりの高度にまで達していた。ヒパニスの時のような上空から急襲という案は、速攻で却下だった。
餅は餅屋に任せるに限る。ワルキューレの使う魔術については、ヴァルハラに情報を提供してもらった。それによると、あの砂嵐が蓄積された魔力の放出であるものだと仮定すれば、およそ一週間は続くとのことだった。
伝承に語られている通りだ。無限に吹き荒れる完全な防壁ではあり得ない以上、いつまでもそこに閉じこもっていることは出来ない。その間に、イクラスたちは何らかの打開策を練っているのだと予想された。
嵐を越えた先、王の墳墓には少人数の兵だけが詰めているらしい。これはフミオが、駐屯地にいる兵士から聞き出した話だ。サファネ王子の下に参集しようとした兵士によると、サファネは反撃のための軍勢を立ち上げる意志は示さなかった。命をも捨てる覚悟で馳せ参じた者たちを自ら説得して、僅かな精鋭だけを残して後は帰してしまったのだそうだ。
それにしてもフミオは一体、どんな手管を用いてレヴィニアの兵たちを懐柔して回っているのだろうか。これの他にも、ジャコース将軍が聞いたらそれこそひと悶着起きそうな危ない噂まで、あれこれと聞きつけてきていた。味方にすれば頼もしいが、敵に回すと恐ろしい。無害で抜けたような顔して、この新聞記者は随分と侮れない男だった。
エイラは食堂の中を、ぐるりと見渡した。ど真ん中のテーブルに陣取っているのが、ファフニルのメンバーたち。そしてそこを境にして、駐屯地の兵士たちは大きく二つに分かれて固まっていた。
一つは、もともとこのレヴィニアで育った者たちの集まりだ。王国軍の兵士であり、フミオによればまだサファネやイクラスに対する忠誠心を持っている。最初にこの駐屯地に降り立った時、エイラにイクラスの消息を尋ねた兵士もそれだ。彼らはレヴィニアを故郷として愛し、そのために尽くしてくれた王家に銃を向けることを躊躇っている。
そしてもう一つは、国際同盟――というよりも極北連邦からやって来た外人部隊だった。彼らにとってワルキューレは憎むべき敵でしかない。砂ばかりのこんな異国の地で、用事さえ終わらせてしまえば長く居続けるような理由は彼らには何もなかった。
彼らに言わせれば、未開の蛮族たちをワルキューレの圧政から解放してやる――それぐらいの心持ちだ。両者が理解し合えるとは思えない。深すぎる溝は、目に見える距離となって表れていた。
「しかも、それだけじゃない」
フミオは負傷した兵士たちからも話を聞いて、イクラスが相手を見て判断した上で攻撃の度合いを変化させていることを知った。具体的にはレヴィニアの兵士は前線にいたとしても、せいぜい軽傷程度の怪我で済んでいる。それが外人部隊となると、あからさまに容赦がなくなった。
この駐屯地でも重症者及び死亡者は、任務の危険度に関わらず外人部隊からしか出ていなかった。イクラスのその行為にどんな意図があるのかは判らないが、少なくとも駐屯地全体の連携を崩すことには成功していた。
外人部隊はレヴィニアの兵士がワルキューレとグルになっていると不審の目を向け。レヴィニアの兵士はイクラスの慈悲に対して畏怖と感謝の念を抱く。ジャコース将軍がワルプルギスの戦闘士に期待を寄せているのには、そんな背景も存在した。
そしてその件の戦闘士――ファフニルのメンバーに対しては、レヴィニアの兵も外人部隊も一歩距離を置いた対応を取っていた。
長い間ワルキューレを崇めていた国の民には、魔女という存在は受け入れ難いものだろう。一方の外人部隊からしてみれば、ワルプルギスからやってきた魔女たちは頼もしい援軍であるのと同時に、あまり関わりたくはない相手だった。
極北連邦は親魔女国というよりは、むしろ人類至上主義者たちだ。彼らの手にしている抗魔術加工は、ワルキューレにだけ向けるために作られたものではない。その辺りの事情を、お互いに良く判っているという後ろ暗さもある。とてもではないが、気にせず仲良くやろうぜ、と明るく言い出せるような雰囲気ではあり得なかった。
「サファネ王子は、レヴィニア人同士が争って血を流すことを好まないのだそうだ」
「甘ちゃんな考えだとは思うね」
フミオから聞いたサファネの思想を、エイラはバッサリと切り捨てた。そんなことをして、これからサファネにどんな未来が訪れるというのか。レヴィニアの民の中にも、ワルキューレを快く思わない者はいるはずだ。イクラスが戦いで手心を加えていたとして、そこで後ろからそいつに撃たれればどうなるか。
その時点で全てが終わり。いや――
もしかしたら、そうなることを望んでいるのか。
「エイラ、ヴァルハラから緊急通信です。ファフニルに戻ってください」
ファフニルにいるラリッサから、念話だった。戦闘士がワルキューレの元締めであるヴァルハラと通じているなんて、こんなところで口にしたら大事になる。念話が通じないディノとフミオに、エイラはこっそりと合図を送った。首を傾げたフミオの後頭部を、トンランが軽くはたいた。ディノなんかは何も言わずにエイラの意図を汲んでくれるが、これはどちらの方が良いコンビと言えるのだろうか。無意識の内に、エイラは小さく微笑んでいた。
ヴァルハラとは仕事上、緊密に連絡を取り合わなければならない。その関係で、ファフニルには専用の通信機が装備されていた。ワルキューレの用いている通信波は独特だ。後部の船室で、ディノはヴァルハラとの回線を開いた。突然部屋の中央に巫女が現れて、フミオは仰天して引っ繰り返った。
「うわぁ、なんだこれ?」
立体映像通信、というのだそうだ。トンランもこの装置を見るのは初めてだったが、フミオ程のリアクションは取れそうになかった。苦笑しながらフミオを助け起こす。予想外に和やかな雰囲気になったところで、一同は半透明の巫女の方に向き直った。
「ファフニルの皆さん、状況は伝え聞いております。現在のレヴィニアに対して、ヴァルハラは直接的な介入こそおこなえませんが、出来る限りの支援はさせていただこうと考えています」
「必要になれば、遠慮なく頼らせてもらいますよ」
掛け値なしに、そのつもりだった。執行者の派遣は望めなくても、頼めることはいくらでもある。それに今はこの駐屯地で無事に補給を受けていられるが、いつ断ち切られるのかは判らない。いざとなったら、ワルキューレの側からの口添えをお願いすることもあるかもしれなかった。
「それで、緊急ということでしたが?」
「はい。実は先ほど、イクラス・レリエよりヴァルハラに救援要請が届きました。要人の保護を依頼したい、と」
「何ですって?」
エイラは声を上げて身を乗り出した。巫女の画像が乱れる。エイラだけでなく、その場にいる全員が驚きを隠せなかった。
「要人っていうのは、レヴィニアの王族の二人、ですよね?」
「恐らくは。ヴァルハラでは亡命の申請として対応を進めています」
イクラスはサファネとソミアを伴って、国境ではなくて王の墳墓に向かった。そこで防衛装置を作動させて砂嵐の中に隠れて、そのまま居座る構えではなかったのか。
それが今更――亡命?
サファネはその気になれば旧王国の支持者を集めて軍隊を作り、反抗作戦を実施することも可能だった。実際この駐屯地の兵たちの様子を見ていれば、あっさりと寝返りそうな奴らはゴロゴロとしている。しかしサファネはそれはせずに、ただ王国の砂漠の中にある王の墳墓にいるだけだった。何かの考えがあってのことなのか、それともそこを自らの死に場所と定めたのか。
ところが一転、国外への脱出と図るのだという。ここにきて急に命が惜しくなったとか……それだけのことであると、安易に判断して良いものなのだろうか。イクラスたちの意図するところが、エイラには今一つ理解出来なかった。
「先ほども申し上げましたが、ヴァルハラは今のレヴィニアに対しては直接的な干渉をおこなえません」
手続き上の問題こそあれ、レヴィニアは革命によって民主国家となり、国際同盟の庇護下に入ることを望んでいる。しかも現体制の敵対勢力であるところのワルキューレ、イクラスを排除するためにワルプルギスの戦闘士が介入している真っ最中だ。そこに亡命の手助けとしてヴァルハラが執行者を送ったとなれば、様々な方面からの非難は免れない。魔女もワルキューレも、国際社会での立場を悪くすることは必至だった。
「ヴァルハラに出来るのは、レヴィニアの国境の外に迎えを出すところまでです。イクラスには取り急ぎ、そうお伝えしました」
王の墳墓の包囲を突破して、レヴィニアの国境を目指す。国境線の周辺も、極北連邦の援軍で増強されたレヴィニア解放軍が固めているはずだ。怪しい人物の出入りがないように、厳しく管理されていると予想された。
「ヴァルハラとしてはこの件に対する関与を、可能な限り匂わせたくはありません。上空でピックアップする計画も検討しましたが、レヴィニア解放軍は飛行機械まで導入しているのですよね。こちらは断念せざるを得ませんでした」
国外への脱出に至るまでは、あくまでイクラスたち自身で解決してもらう必要があった。陸路なら、国境線の外。空なら、領空の更に上だ。イクラス一人ならばいかようにでも突破の方法があるとしても、普通の人間二人を連れてとなればそれなりに困難だ。エイラはふんと鼻を鳴らすと、腕を組んでふんぞり返った。
「……で、あたしたちに協力してほしい、と?」
国際同盟からのリクエストは、戦争犯罪者を匿っているワルキューレの排除、だった。戦闘士が相手にするのは、魔女かワルキューレと決められている。そのワルキューレの護衛対象については、どうする権限だって持ってはいない。魔女の掟に従うのであれば、普通の人間の営みについては「我関せず」ということだ。
「そこまでは要求しません。それでは根回しになってしまうではないですか」
巫女は意地の悪い笑みを浮かべてみせた。もう充分に談合している。イクラスの次の動きを教えられて、戦闘士としてはそれを基に対策を講じるしかない訳だ。エイラには与えられた仕事をこなすという以外に、選択肢が用意されていなかった。
「――乗ったよ。イクラスの目的地を教えてくれ」
「そこから東に砂漠を抜けたところにある国境の街、サマルディン。刻限は明日の正午です」
白昼堂々だ。裏でもかいているつもりなのか。エイラはラリッサに目配せした。巫女を疑っても始まらないが、ある程度はこちらでも情報の検証はさせてもらわないといけない。ラリッサは音を立てずに操縦席の方に移動した。国際航空迎撃センターと、念話で情報の共有をおこなう。この件の信憑性については、すぐに明らかになるだろう。
「戦闘士が動く以上、レヴィニア解放軍には通達が必要になる。よろしいか?」
「構いません。出来れば、可能な限り作戦開始の直前にしていただければと。ああ、この情報の出所だけは『匿名のタレコミ』とでもしておいてくださいませ」
なんともお茶目な巫女だ。通信を終えようとしたその時、フミオが大慌てで二人の会話に割り込んできた。
「すいません、これ、写真に撮って良いですか?」
カメラを手に持って、やる気満々だ。「ダメに決まってるでしょう」「ヴァルハラの重要機密だ」トンランとディノにダブルで突っ込まれて、フミオはしゅんとうなだれた。困った記者さんだ。賑やかなファフニルのメンバーたちのやり取りを見て、巫女は笑った。エイラの目に映ったその姿は、無邪気で屈託のない少女そのものだった。
第3章 砂の虚人 -了-




