砂の虚人(4)
母星の上に住む者にとって、大空は魔女たちのテリトリーだった。降臨歴の始まりより今日まで、魔女が空を飛んでいるのを見ない日はない。ホウキに跨った魔女はいなくても、雲の上を行く空船ぐらいは視界に入る。あの空船もまた、魔女たちがその力を用いて飛ばしているものに他ならない。
ヤポニアが排魔女をうたっていた時代に於いても、空船のための空港設備は存在していた。輸送手段としての空船は、旅客にしても貨物にしても欠かすことが出来ない程に需要なインフラだ。速度、一回の飛行でやり取り可能な積載量、そして安全性。そのどれを取っても、他の手段とは一線を画す優れものである。
国際同盟の非加盟国であろうが、排魔女であろうが、ワルキューレ信奉国であろうが。空船公社は、分け隔てなくそのサービスを提供している。彼女たちの仕事と、世界の情勢は関係がない。そういう意味では、ワルプルギスの魔女たちとは考え方が近いといえる。空船公社の魔女たちは、国境を越えた母星全体という視点で配送業務を請け負っている。
母星には空船公社以外にも、大小様々な空船のサービスを提供している組織はある。その中でも空船公社が、他の追随を許さない最大手として君臨しているのには、それなりの理由があった。
まずは何といっても、顧客への対応のきめ細かさだ。魔女の国内の飛行を認めない国に対しては、領空を犯さないコースを提案してくれる。魔女自体に否定的な国が相手であっても、依頼があれば可能な限り輸送を引き受ける方向で検討する。料金体系も明朗でしっかりしており、ややこしくて面倒なオーダーに対してもきちんと見積もりを出してくれる。あくまでビジネスライクで、それでいて依頼主の事情に配慮した仕事の進め方は、空船公社の信頼性を高める大きな要因であると言えよう。
もう一つは徹底したマニュアル化と、その公開にある。母星の上を飛行する際には、紛争地帯や危険な自然現象の回避や、周辺の国々への考慮を含めた航路図の作成が必須となる。空船公社では、独自の情報網から得られたデータを総合して、そういった空の交通地図を作り上げている。これは母星で空船を運航している業者であれば、誰にとっても垂涎の的だ。空船公社ではそれを、驚くべきことに無償で関係各所に提供している。空の運航の安全を第一に考えた上での、善意に基づいた方策なのだそうだ。
また他にも、空船が故障することなく航海が出来るかどうかの定期点検や、事故対応のための船籍登録。空船の操縦技術を認定する、免許の発行と更新に関してもその範疇としている。
空船公社が提供するこれらの事業内容は、全部をひっくるめてではなく、一つ一つの単位で利用することが可能だ。それは空船公社の目的が、偏に母星を巡る『空船』というシステム全体の安全性と利便性を向上にあるためである。
その甲斐もあって、母星の空はその大部分を空船公社によって管理されているといっても過言ではない。何しろその管轄範囲は、現在では宇宙にまで及んでいる。母星を離れた輪の中にあるワルプルギスであっても、空船の飛行計画は空船公社との打ち合わせが必須事項だ。極大期の星を追う者たちに至っても、空船公社との擦り合わせがなければ民間船と激突する事故を起こしてしまう。
どんなに魔女を嫌ってみせても、空船は我々の生活からは切っても切れない便利なものだ。人が見上げる空は、魔女の飛ぶ空である。長きに渡り、人類はそう信じてきた。
筆者は先日、極北連邦の軍事工廠に取材に訪れた。そこでは現在運用されている飛行機械による、デモンストレーションがおこなわれるという話だった。
飛行機械自体は、古くから検討が進められてきたものである。ヤポニアでも、近年まで開発が盛んであったと記憶している。これは魔女に頼らずに人類の手だけで空を克服したいという、大いなる挑戦だ。
魔女たちの力を借りれば、安全で確実な空の旅は既に保証されている。それがあって尚独自の方法にこだわるのには、強い動機が必要だった。一つは純粋な浪漫であり、憧れ。
そしてもう一つは――戦争だ。
空船公社は、魔女によって経営されている。そのため、唯一サービスとして受け入れられないのが戦争協力だ。人間同士の戦争に関わる、兵器や兵員の戦地への輸送、攻撃手段としての空船の提供。こういった使用方法は、空船公社が関わる以上は一切認められていなかった。
戦場に於ける飛行機械の活用手段については、枚挙に暇がない。そこでは今の空船に要求されているのとは、異なる方向での利便性が求められる。人類は魔女の協力なしに、自らの手だけでそれを成し遂げなければならなかった。その目的が、たとえ同じ人類を攻撃するためのものだとしても。
極北連邦製の飛行機械は、ここ数年飛躍的に進歩を遂げているのだという。実際に目の前で稼働する様子を見ていると、確かに素晴らしかった。魔女たちと比べれば、優美さの点で遥かに劣るのは仕方がないとして。速度も機動性も、機械によってここまで出来るのかと感心させられるものがあった。
同時に、この飛行機械は戦闘用のものでもある。搭載された機関砲は戦闘車両と同等の威力を持ち、上空から標的を狙い撃ちにし、見事に破壊してみせた。操縦士も相当に熟練した腕前を持っているのだろう。筆者を含む観覧席からは、感嘆の声が上がった。
人が科学の力で、魔女の領域である大空に踏み込むことには反対はしない。それはきっと、人類にとって大切な一歩だと思うからだ。
ただそれが――殺し合いをするためだというのなら、筆者はためらいを覚えてしまう。
いつか人が、自分の力だけでワルプルギスにまで到達出来るようになる日が来たのだとしたら。
その時、人は魔女の友人でいられるのだろうか。空を舞う銀色の翼を見て。筆者は胸が踊る以前に、どうしようもない不安に駆られもするのだ。
降臨歴一〇二九年、九月十四日
フミオ・サクラヅカ
王の墳墓のある場所は、かつては砂漠の中にある豊かなオアシスであった。その水場には一人のワルキューレが住んでいて、訪れる者たちにひと時の休息を与えていた。そこでの争いごとは一切禁止されており、それを破る者は徹底的に痛めつけられて放り出された。オアシスのワルキューレは、女神として崇められた。
ある時、砂漠に住む部族の一つがこの地の平穏をワルキューレに願い出た。この土地に住む者たちは、誰も殺し合うことなんか望んでいない。今日と、そして明日を生きる希望が欲しい。ワルキューレはその男の訴えを認めた。男の部族と共に、平和な未来を作っていくことを約束した。
それが、レヴィニア王国の始まりだった。
オアシスの泉は、百年程前に枯れてしまった。今では大きな石造りの、古びた神殿の跡が聳えているだけだ。周辺を、砂嵐の壁が覆いつくしている。入り口の脇に立つ朽ちたワルキューレ像の前では、銃を持った数名の男たちが警戒に当たっていた。
レヴィニアの第一王子、サファネがここに逃げ込んだという噂は、国内の親王族派に瞬く間に広まった。元よりこの革命に異を唱える者は少なくない。義勇兵たちが声を掛け合って、王の墳墓にはかなりの数の軍勢が集まった。
しかし、サファネは彼らの大部分を帰してしまった。国が二つに割れて争い、血を流すことをレヴィニアの王族は良しとはしない。王国を導くワルキューレ、イクラスの力を信じてほしい。どうしてもという一握りの者だけを残して、サファネはこの王の墳墓で籠城の構えを整えていた。
「サファネ様、イクラス様がお戻りになりましたが……」
兵からの報せを受けて駆けつけて、サファネは愕然とした。イクラスの衣服が、真っ赤な鮮血で汚れている。表情も険しく、呼吸も荒れていてただごとではない。イクラスは自分を見るサファネの心配そうな顔に気付くと、ふっと相好を崩してみせた。
「大したことはありません。治療を後回しにして急ぎ戻っただけのことです」
そう言うが早いが、ぼんやりとした燐光がサファネの全身を覆った。血糊が消えて、元の純白のケープとなる。顔色も良くなったと思う頃には、いつも通りのイクラスに戻っていた。
「それより、ワルプルギスの戦闘士が派遣されてまいりました。兵たちに、我らの戦いに巻き込まれないようにとの通達を」
レヴィニア解放軍は国際同盟を通じて、そこまでしてきたのか。魔女とワルキューレが衝突するとなれば、普通の人間には手出しが出来ない次元の戦いになる。サファネは目の前にいる兵たちに指示を与えると、その場から退けさせた。毅然としている風には見えるが、イクラスはまだ万全ではない。それが判らない程に、浅い関係ではないつもりだった。
「イクラス、少し横になって休んでくれ。ずっと戦い通しじゃないか」
「これしき……と言いたいところですが、あの戦闘士は強かった。しかも磁力制御士とか。魔女の世界というのは、底が知れないものです」
イクラスは素直にサファネの言葉に従って、神殿跡の奥にある部屋に向かった。途中でぐらり、と体勢が崩れかけたのを慌ててサファネが支える。イクラスほどの使い手を、こうまで苦しめたのか。これはいよいよ、覚悟を決めなければいけないか。サファネはぐっと奥歯を噛み締めた。
「イクラス、良かった!」
部屋に入ると、ソミアがイクラスに抱き着いてきた。八歳になったばかりのソミアには、この逃亡生活は相当に苦しいはずだった。頼みの綱のイクラスが毎日のように出かけて、戦いに疲れて帰ってくる。それをこんな、薄汚い遺跡の中でじっと待っているなんて。イクラスはソミアの頭にそっと掌を乗せた。
「ソミア、良い子で待っていましたか? 約束通り、ちゃんと帰ってきましたよ」
砂漠での戦いである限り、イクラスは普通の人間の軍隊が相手なら負けるつもりはなかった。抗魔術加工も恐れるに足りない。砂虚人を展開していれば銃による攻撃はほとんど無意味だし、車両は砂に沈めて、飛行機械は風に巻いてしまえばそれまでだ。とにかく油断だけしないこと。それさえ気を付けていれば、重大なダメージを負うことはまず考えられなかった。
問題になるのは、マナの補給だ。魔力切れを起こした状態では、イクラスもただの女と変わりがなかった。そんな姿を敵兵の前に晒してしまっては、命取りとなる。引き際だけは間違えないようにしないといけない。王の墳墓の防衛機構が動いているうちは、危なくなったらその中に入り込んでしまえばそれでなんとか出来ると見込んでいた。
後は――同じ力を持つ者と戦う場合。それは思っていたよりも早いタイミングで訪れた。
「やはり、戦闘士を倒すのは難しいか」
「倒したところで、次の戦闘士が派遣されて来るだけでしょう。今度は二人か、三人か。一人でこれだけの力を持っているのですから、いずれは」
それは最初から予想していたことだった。レヴィニア解放軍の半分は、極北連邦の外人部隊だ。抗魔術加工では埒が明かないとなれば、国際同盟を通じて魔女たちに助けを求めることになる。ワルキューレの裁定者であるヴァルハラは、レヴィニア王族側に救援を出そうにも表立っては動けない。ここで一歩間違えば、魔女と国際同盟の連合軍とワルキューレの全面戦争に発展する可能性もあるからだ。
このレヴィニアの大地を――戦場として。
「どちらにせよ、僕はレヴィニアを国民の血で汚したくはない。レヴィニアの民が、レヴィニアではない者の意志によって真っ二つにされて、争うだなんて間違っている」
サファネの言うことは、正しかった。この戦いの背後から糸を引いてるのは、明らかにレヴィニアの外にある国々の思惑だ。
だがそれに乗せられて、踊った者たちがレヴィニアの中にいることもまた確かなことだった。今のレヴィニアを否定して、変化を求める声。そうでなければ、革命なんて初めから成功なんてするはずがなかった。レヴィニアの未来を選ぶのは、常にレヴィニアの国民たち自身だった。
「サファネ、覚悟は決まりましたか?」
世界の流れは、既にそちらを向いていた。そこに浮かぶレヴィニアの行く先は、まだ定まらず揺れ動いているのか。
それとも――
「ああ」
サファネははっきりと頷いた。レヴィニアの王族として生まれた時から、その覚悟は持っていたつもりだった。一人なら怖気づいてしまったかもしれないが、サファネにはイクラスがついていてくれる。イクラスが一緒なら、サファネはどんな地獄にだって落とされても平気だった。
「じゃあ、ソミア。もう少ししたら、もっと綺麗なお部屋で、柔らかいベッドで眠れますからね。約束します」
イクラスが、優しくソミアの髪を撫でた。ソミアの肩が震えている。愛しいレヴィニアの王族。その命を守るためなら。
イクラスの黄金の瞳は、真っ直ぐにサファネを見つめていた。




