砂の虚人(2)
磁力制御士は、人類の中で限られた存在である魔女たちの中でも、更に少数の者たちである。魔女にはそれぞれ得意とする分野があり、それを生かして空船の操縦士であったり、防御士であったり、重力制御士、予言士といった専門職に就いている。
そんな中で磁力制御士だけは、ワルプルギス内にその能力を生かした職種が設置されていない。これは、磁力制御士がそれだけ珍しい才能であることを意味している。何しろ記録に残っている中で、強力な磁力制御士の活躍が認められるのは今から数百年前に遡る。
現在では当たり前のように母星の軌道上に設置されている人工重力衛星は、重力制御士の生成した重力場を特殊な形状のコイルで固着させたものである。コイルにかける魔力を調整することによって発生させる重力を変動させて、小さな隕石の軌道を母星から逸らせたり、宇宙を航行する空船のスウィングバイに利用される。ワルプルギスや輪の中の休憩施設に重力を提供しているのも、これとほとんど同じ理屈によるものだ。
この重力制御の要である『特殊な形状のコイル』が、かつての磁力制御士による偉大な成果だった。
磁力制御士によってなされたこの画期的な発明によって、魔女たちの宇宙進出はぐんと加速した。極大期における隕石の防衛計画も、飛躍的な進歩を遂げることとなった。それまでは大小様々な隕石の一つ一つを魔女たちが追跡して、大きな被害が予想されなければ地上への落着は仕方のないものだとして見過ごされてきた。今では母星全体が重力衛星によって包括的にガードされていて、星を追う者はめぼしい巨大隕石のみを相手にすれば良くなった。
代わりと言っては難だが、重力の影響を計算する予測士の仕事は大幅に増えてしまった。国際航空迎撃センターに最新式の演算処理装置が配置されているのは、そういった理由による。魔術によって制御の小回りは利かせられても、それの詳細な運用に関しては科学の手助けを借りているというのがワルプルギスの現状である。
磁力を扱う磁力制御士には、世界の見え方が他の魔女とは違うのではないかという説もある。人類にとって魔女が未知の存在であるのと同様に、魔女にとって磁力制御士は未だに謎多き者たちだった。
レヴィニアの取材で作戦に同行させてもらった戦闘士――エイラ・リバード女史は、その磁力制御士の素質を持っているという話だった。実際に他の魔女たちには難しい、磁力を操る魔術を得意としている。その力をいかんなく発揮できる職務として、国際同盟の常任理事会はエイラ女史を戦闘士とすることを承認した。
「んー、別に自分が特別とか、他とは違うとか考えたことはないですね」
筆者はワルプルギスでの生活経験もそこそこ長くなってきており、魔女に関する理解もそれなりに深くなってきたと自負している。筆者自身エイラ女史としばらく行動を共にして、彼女のことを何か他の魔女とは異質なものだと感じることは一切なかった。魔女たちは基本的に明るくて、自信家であり努力家で、後は甘いものが大好きだ。エイラ女史もその例外に漏れることなく、戦闘士の職務に対しては真っ直ぐであり、ホールケーキの三分の一をぺろりと平らげる程度には甘党だった。
そもそもエイラ女史自身が、磁力制御士の才能を持つことを知ったのがワルプルギスの訓練校に入学した際のことであったそうだ。その時にはエイラ女史は既に、優秀な魔女として戦闘士候補生のスカウトを受けていた。エイラ女史の魔女としての能力の高さが磁力制御士の才覚の有無によるものなのか否か、それは現在でも調査中であるとのことだった。
エイラ女史は幼少の頃、初等学校時代には地元の一般の学校に通っていた。魔女であることは判っていたが、通常の教育を受けさせたいという、両親のたっての願いによるものだった。出身国は、スコティト。国際同盟に初期から加盟している、親魔女国だ。歴史ある国の初等学校の教育環境は、残念ながら差別やいじめとは無縁のものではあり得なかった。
「魔女ってだけで、色々と不当な扱いは受けましたよ。まー、あたしの場合は腹が立ったら口より先に手が出ちゃうんで」
問題はエイラ女史の入学後、割とすぐに生じた。具体的にどのような経緯があったのかはさておいて――周りにとっては、その結果引き起こされた事態そのものが深刻であった。エイラ女史はクラスメイトの一人に対して怪我を負わせて、あろうことか流血沙汰となってしまったのだ。
「いやさ、あまりにむかつくから顔面のド真ん中にパンチを食らわせてやったんだって。魔女の力なんか使ってないよ。そしたらあのモヤシ野郎、鼻血噴いてぶっ倒れやがった。とんでもないザコだ」
エイラ女史にはエイラ女史の言い分がある。しかし、それが例えどういったものであったとしても、魔女の子供が普通の人間に怪我をさせてしまっては言い逃れのしようがなかった。初等学校側は、エイラが今後登校してくることを拒絶した。エイラの両親はやむを得ず、エイラを少し離れたところにある魔女と魔術師のための学校に通わせることにした。
「それで何か変わったかって言うと……これがそうでもなかったかな。ただ、ディノやラリッサに会えたのは大きい。これは良かったと、胸を張って言える出来事だね」
スコティトの魔術学校で、エイラ女史は現在のファフニルの乗員であるラリッサ・シラー、ディノ・シラー姉弟と出会うことになった。以来十年以上の付き合いだというのだから、相当に長い。ファフニルの乗員たちは強い絆で結ばれているとは感じていたが、それもさもありなんだった。
その後、魔術学校で優秀な成績を収めたエイラ女史は、国際航空迎撃センターの養成校より特待生として推薦を受けた。一握りのエリートである星を追う者か、配属されること自体が難しい戦闘士か。エイラ女史は迷わず戦闘士候補生の道を選んだ。
「なんていうのかな、それが一番あたしに向いていると思ったんだ。単純に、それだけだよ」
そう明るく語るエイラ女史の表情には、作戦中の厳しさからは想像もつかない年頃の女性特有の柔らかさが見て取れた。
降臨歴一〇二九年、十一月二〇日
フミオ・サクラヅカ
黄土色と黒の、二つの色の虚人たちがぶつかり合う。拳によって打ち砕かれ、蹴りが炸裂し、辺りには砂と砂鉄がぶちまけられた。
エイラは虚人の足元をするすると駆け巡ると、魔力を込めた金属棒をぶぅんと振り回した。砂虚人の足を破壊してバランスを崩し、脳天から縦に真っ二つに粉砕する。倒された傍から次の砂虚人が立ち上がり、完全な乱戦状態となった。
――術者はどこだ?
砂虚人の総数は、一向に減る気配がなかった。魔力の、強い流れを感じる。これをやっている術者は、光学迷彩ですぐ近くに隠れているのは明白だった。引きずり出して一撃でも浴びせなければ、お互いに消耗戦にもつれ込むだけだ。エイラの背後で、砂鉄巨人が一体崩れ落ちる。向こうも、なかなかどうして負けてはいない。
「エイラ、レヴィニア解放軍の撤退作業が完了した。全員安全圏に到達だ」
通信機からディノの声が聞こえてきた。そいつは良いニュースだ。目の前で右腕を突き出してきた砂虚人の攻撃を、エイラはひらりと高く跳んで躱した。付近に目をやって確認すると、砂虚人はこの一帯に集中していた。やはりだ。間違いない、ワルキューレはここにいる。
「ファフニル、援護射撃。通常弾で構わない、一斉斉射!」
ファフニルには機械制御の速射式連発銃が搭載されていた。ディノがどこからともなく仕入れてきたもので、抗魔術加工弾丸も装填可能だ。そっちは大変高価なものだし、今この場ではとりあえずは不要だった。
「了解、斉射いきます!」
ドラムロールに似た、小気味良い連続した発射音が空気を震わせた。銃弾の雨あられだ。虚人たちの背中から、着弾の砂柱が立ち昇る。魔術で生成された虚人を相手に、通常の火器では有効なダメージは期待出来ない。そんなことは判り切っている。
肝心なのは、ワルキューレ本体の方だった。
カシン、という硬質な音がして銃弾が一つ弾き飛ばされた。そこだ。エイラは金属棒を握り直すと、その位置に目がけて猛然と突進を開始した。
いかに光学迷彩で姿を隠してはいても、自分の身体を守るためには防御壁を張るしかない。しかも、これだけの虚人を同時に制御しながらだ。基本的な物理障壁以上の防御策を講じられるとは、まず思えなかった。
「喰らえ!」
電光が弾け飛んだ。エイラの一撃は、何者かが潜んでいる空間を確実に捉えていた。手応えありだ。砂虚人たちの動きが止まった。構え直して第二撃を見舞おうとして、エイラはゾッとする程の殺意を感じ取った。これはまずい。後ろに立つ砂鉄巨人に向かって、自身の磁力を最大限に発動させる。
途端に、ぐん、と後方に引っ張られた。磁力を使った移動は、重力制御よりも一段と乱暴で胃に来るのが特徴だ。出来ることなら、この緊急回避はやりたくはなかった。
しかしその甲斐はあった。エイラは次の瞬間、自分のいた場所が無数の砂の拳で埋め尽くされるのを目撃した。宙に舞っている砂の粒子を、あの僅かな間に自身の制御下に置いたのか。
――やるじゃないか。
光学迷彩が解けている。燃え盛る炎を思わせる赤毛が、砂丘の中央に屹立していた。そして、光り輝く黄金の双眸。ヴァルハラからの情報にあった、このレヴィニアを守護するワルキューレの姿に相違なかった。
イクラス・レリエ。赤子の時から強い魔力をその身に宿すと見做され、レヴィニア王国に相応しいとして貰われてきた強力なワルキューレだ。
イクラスの怒りに満ちた瞳は、真っ直ぐにエイラの姿を睨み付けていた。周辺で、砂虚人たちが雄叫びを上げて新たに起き上がる。まだ数が増えるのか。イクラスの魔力は底なしだ。エイラは手にした金属棒をくるくると回すと、収納してそのまま後ろに向かって駆け出した。
「ファフニル、一時撤退する。どうにも話し合いという雰囲気ではなくなった」
レヴィニア解放軍の撤退は完了していた。ここでこれ以上粘る必要はない。それにあのイクラスは、何の対応も検討出来ていない現状で勝てる相手だとは到底思えなかった。恐らくはヴァルハラの執行者と同等……いや、それを遥かに超えている。こいつは難しい仕事になりそうだ。
「こちらファフニル、アンカーを射出します」
砂嵐の中を、ファフニルは限界までの速度を出してエイラに接近した。少しでも気を許せば砂漠に激突するか、空船のメインシャフトを残して空中分解だ。ラリッサが姿勢を制御し、トンランが機体の状態を保つ。二種類の虚人の集団が肉弾戦を繰り広げる上空を、ファフニルは大きく旋回した。
ファフニルの底部には、ワイヤーで吊るされた電磁石が装着されていた。エイラ専用の、緊急回収装置だ。打ち出された電磁石に、金属のワイヤー経由で電気が流される。強い磁力が発生したのを察知すると、エイラはそこ目がけて大きくジャンプした。
がちん、と鉄の塊がぶつかり合う激しい衝撃がファフニルを揺らした。毎度のことだが、これを使うとエイラが身に着けている電装品の半分はパァになる。ディノの仕事量がうなぎ昇りだ。背に腹は代えられないとはいえ、もっと違う形での生存率上昇は図れないものか。エイラがぶら下がっているのを確認すると、ディノはラリッサに合図を送ってからウィンチでワイヤーを巻き上げ始めた。
「離脱します。状況終了。レヴィニア解放軍駐屯地に向かいます」
上下左右も判らなくなるくらいのアクロバット飛行で、フミオは完全に三半規管が狂っていた。トンランの手を借りようにも、ファフニルの方が優先順位が上なのでどうにもならない。フミオはなんとかカメラを握って、窓の外の光景を写そうとシャッターを切ることには成功した。が、後に現像してみたところ、その写真はピンボケで全く使い物にならなかった。
ファフニルに吊られたエイラの足元の遥か先では、砂鉄虚人たちが形状をなくして崩れ始めていた。倒すべき相手を見失って、砂虚人も徐々に元の砂へと戻っていく。ファフニルが飛び去った後には、吹き荒ぶ風と、どこまでも続く砂の海だけが残された。
真紅の髪を揺らして――イクラス・レリエはファフニルの消えていった空をいつまでも見つめていた。




