4-1
あっという間だった夏休みが終わり、二学期が始まった。
残暑の続く中にも時折、秋の気配を感じる。
今年の夏は部活もなかったし、海やプールに行くこともなかったから、日焼けの感じがこれまでの夏と違う。
自転車で夏期講習に通っていたから、腕だけはしっかり焼けちゃったけどね。夏の名残を見つけては、ちょっとセンチメンタルな気分になる。
「蝉の鳴き声が聞こえるのももうすぐ終わりかな。寂しくなるね」
「あいつらうるせぇから、清々するぜ」
虎次さん、蝉に何かされたの…?
私は、夏期講習で通っていた花丸ゼミナールにこれからも週二回通うことにした。
いよいよ受験に向けて本腰を入れないと。
…というのは建前で、春斗くんも引き続き通うって言っていたし、私のことも誘ってくれたから。
「誘ってきたのは鹿島だろ」
ぶー。
「いいじゃん、誰だって」
虎次さんは相変わらず、お母さんに与えられた珍味を口にしてゴロゴロしている。食欲の秋ってやつかな。受験生の私にはもっぱら勉強の秋しかないのに。
「あぁーもうやだー。こんな数学の公式覚えて何の役に立つのよー」
「頭の回転が早くなるんじゃねぇの?」
「べつに将来、理数系の仕事する予定ないもん」
「お、なっちゃん反抗期かー?」
虎次さんが、あたりめを差し出す。
口じゃ勝てないから言い返すのは止めておこう。
そして、あたりめはいただく。
なんか私最近イライラしてるかも。
勉強は、し過ぎってほどしてないしカルシウムが足りないのかな。
「更年期か?」
全然面白くないよ、虎次さん。
ある日の放課後、廊下で女の子たちがキャァキャァ騒いでいた。
廊下の窓から外を見て、「どこの学校だろう?」「誰かの彼氏?」「高校生かな?」なんて声が聞こえてくる。
どうやら他の学校の男の子が校門のところに立っていて、誰かを待っているらしい。
お迎えなんて目立つことして勇気あるなぁ。廊下の窓から丸見えなのに。
多分、1年生か2年生だろうな、それも部活に所属していない子。3年生は受験でそれどころじゃないから。もちろん恋愛は自由だけれど、先生や他の受験生の目に触れるような大っぴらなことはしないでしょう。…と推理する。内申書とか、あるしね。
そう考えると、今の1,2年生って自由だなぁ。私も若いうちにもっと青春を謳歌しておけばよかったかしら…なんて。
「真夏、帰ろう」と声を掛けられ、昇降口へ向かう。
3年生は、授業が終わると早く帰れる。
今まで部活でバラバラだった花梨とも、一緒に下校できるようになった。
「誰かいたの?芸能人?」
「他の学校の男の子みたいだよ」
誰かを待っているみたい、と教えると花梨は「やるじゃん」なんてニンマリ笑った後「いいなぁ、私もカレシ欲し~い」とため息をついた。
なるべく勉強から離れた話をしようと思ってはいるけれど、自然と話題は受験のことに戻ってきてしまう。
志望校は決めた?模試の勉強はしてる?
私もみんなも夏期講習で刺激を受けた分、不安でいっぱいだった。
花梨と並んで歩きながら校門を出ようとすると、鹿島くんがいた。
「うわっ、びっくりした」
出待ちの男の子がいる事なんてすっかり忘れていたけれど、騒がれていたのがまさか知り合いだったとは。うちの中学校とは色味の違う制服。それに長身でイケメン。目立つはずだよ。
「春斗くんなら、まだ残ってると思うよ」
明日になれば塾で会えるのに、よっぽど急用なのかな。鹿島くんは珍しく固い表情で、「呼んでこようか」と校舎に戻ろうとする私を遮った。
「真夏に用があって来たんだ。ごめん、急に」
へ?…私?
しばし固まっているうちに、花梨は「先に帰るね」と笑顔でそそくさと行ってしまった。
気を遣わせてしまった…。
というか、なんか、このシチュエーション、気まずい!
下校途中の生徒からの視線が痛い。興味、嫉妬、侮蔑…あとは何だろ?他校の生徒が出待ちなんて、うちの学校じゃ見たことないし、この状況はどう見ても制服デート。
ひ、ひとまず。ここじゃ全校生徒の注目の的だから、どこか場所を変えよう!
鹿島くんを急かし、私たちは早歩きでその場を離れた。
「カバン持とうか?」
「えっ!いいよ、自分の荷物くらい持てるよ」
帰り道の途中にあるパンダ公園に着くと、鹿島くんは自動販売機でジュースを買ってきてくれた。
公園の中に入ってしまえば通りからは見えなくなるので安心だ。
「リンゴジュース、だよね?」
夏期講習の時に私がいつも飲んでいたのを覚えていてくれたみたい。
鹿島くんには、いちいちびっくりさせられる。学校が違うだけで、こんなにも文化が違うのかしら。
「今日は本当にごめんね、急に押しかけて。電話番号も知らないからさ」
申し訳なさそうに謝る思いつめた表情に、「明日じゃダメだったの?」なんて言えなくなってしまった。
「何か、あったの?」
「実はお願いがあって」と、鹿島くんは本題を切り出した。
「来週の、みなみ高の文化祭に一緒に行って欲しいんだ」
みなみ高というのは、私たちの学区で一番近い公立みなみ高校。
うちの中学校からも鹿島くんの中学校からも大勢受験者がいる、人気の高校だ。
どこよりも早く文化祭を開催するので、志望校の決まっていない受験生もとりあえず見に行く人が多い。
「鹿島くん、みなみ高受けるの?」
「多分。近いから通学も楽だし」
私はまだどこの高校を第一志望にするかは決めていないけれど、みなみ高は倍率高そうだし、あんまり考えてはいなかった。
だけど、鹿島くんには借りがある。
夏休みに春斗くんと幽霊調査をした時、鹿島くんのお父さんのコネを使って、第三者を巻き込む検証に協力してもらったんだ。
「いいよ、土日どっち行くの?」
「まじで?いいの?…ありがとう!!」
この日やっと初めて笑顔を見せた。特に予定もないし、文化祭に行くくらいね。
「あとついでで悪いんだけど、その時に彼女のフリして欲しいんだ」
…え。
「こんなこと頼めるの、真夏しかいないんだ。頼む!」
鹿島くんは大袈裟にパチンと両手を合わせて頭を下げた。
そういう事は先に言ってよー!!
後出しなんてズルい。
真夏しかいない、なんて言われたら断りにくいじゃない…。
うーーーん。
困った。
「そんで引き受けたのか?」
虎次さんが呆れ顔で頬杖をついている。
引き受けては、いない。
…断っても、いない。
「鹿島の奴も狡ぃよなー。なっちゃんに貸しがあることわかってて、断れないと思って誘ったんだろ」
「でも本当に困ってるみたいだったよ」
「せいぜい同じ学校の女子にモテすぎてめんどくせぇとか、そんなとこだろ」
虎次さん…。
さすが年の功と言うべきか。
翌日塾に行くと、当たらずとも遠からずな光景を目にした。
「カッシー、みなみ高の文化祭一緒に行こうよぉ」
「私も行きたーい」
鹿島くんに群がる女の子たちの中には、ユッコやチカもいた。
本当にモテるんだ。この花丸ゼミナールの中だけでも、こんなにファンがいるとは。
学校での鹿島くんは知らないけれど、バスケ部のエースだったらしい。背も高いし顔も整っていて格好いい…んだと思う。春斗くん一筋の私には、そういえばそっか、くらいにしか考えたことなかった。
「悪い、もう約束しちゃったんだ」
「えーっ!昨日まだ未定だって言ってたじゃん!」「誰と行くのーー?」
ちゃんと返事しなかった私も悪いけど、やっぱり行く事になってますか?
これは鹿島くんファンの女の子にバレたら私、殺されるんじゃなかろうか!?
「命までは取られねぇだろー」
虎次さんは、読みが当たって嬉しいのか上機嫌で私をなだめる。
「つっても女の嫉妬は怖ぇからな。二枚カミソリで顔やられねぇように気を付けろ」
何それいつの時代?
あぁ、早く文化祭の日が過ぎてしまえば、平穏な毎日に戻れるのに。
…あれ?ちょっと待って。
文化祭に行けば当然、知り合いがたくさん来ているはず。つまり文化祭に行ったら必然的に誰かにはバレるんだ。
あぁぁーー。
早く来て欲しいけど来て欲しくない週末!
いっそ文化祭が中止にならないかな?…ならないよね。
憂鬱ってまさにこういう時に使う言葉なんだ。頭に思い浮かべすぎたおかげで、漢字もバッチリ覚えちゃった。
…憂、鬱。
「こないだ、鹿島が来たの?」
帰りのホームルームが終わって帰る支度をしていた時だった。
「う、うん…」
春斗くんの耳にまで、他校の男子生徒出待ちのスキャンダルは届いていた。
すかさず他の子が割って入る。
「めっちゃイケメンだったよね!」「真夏の彼氏なの?」
やめてやめて。
「違うよう、塾が同じなの」
本当に、それだけ。
春斗くんに誤解されるのだけは避けたい。
あれから花梨も、鹿島くんの存在を気にしているみたいだった。「今日は迎えに来てない?」「私、お邪魔じゃない?」と、事あるごとに私を冷やかす。
本当に、冷やかしているだけだったらいいなと思う。
受験が近いのに恋愛にかまけてるとか、隠し事をしているとか、誤解されていないといいけど。
私の思い過ごしならいいんだけど。