3-2
春斗くんからさっそく連絡がきたのは、次の日の日曜日だった。
「真夏ー、弥生くんって男の子から電話よ」
こんな早くに、しかも電話で連絡が来るなんて思ってなかったから、お母さんから受話器を受け取るときに落っことしそうになっちゃった。
あれからすぐ鹿島くんに事情を話して、これから防犯カメラの録画データを見せて貰えることになったんだって。
虎次さんにも報告しようと思ったけど、いつの間にか出掛けちゃったみたい。
ついさっきまでいたような気がしたんだけど…猫は気まぐれで、素早い。
「午後から補講が入っちゃったから行ってくるね」
「あら、日曜日なのに頑張るわね」
「雨だから歩きで行ってくる」
お母さんは「坂道だから危ないわよね」と、何の疑いもなく送り出してくれた。
実は、自転車を置いて行くのは、鹿島くんの案。
私が土曜日、つまり昨日の夏期講習で自転車の盗難に遭い、防犯カメラの録画を見せて欲しいと交渉する計画らしい。
男の子二人よりは、ビル管理の警備員さんも信じてくれるだろうって。
傘を差して歩いていると、知ってる自転車が見えた。春斗くんだ。待っていてくれたんだ。
…おや?
自転車のカゴに乗っているのはまさか…。
「そこで会ったから保護しといたよ。雨で濡れちゃうし」
「もぉー、虎次さん」「ナァーオ」
世話が焼けるおっさん猫、と思ったけどすぐに撤回。春斗くんは歩き出す前に、自分の傘を自転車のカゴに掛けて虎次さんが濡れないようにしてくれた。
そして私と春斗くんは、相合傘。
「これなら風邪ひかないね」
「ご、ごめんね」と口では謝りながらも、心の中では虎次さんに拍手喝采だった。
よくやった!
今夜は芋焼酎あげてもいい!
花丸ゼミナールに着くと、入り口で鹿島くんが手招きする。
「こっちこっち。ほら、この子が自転車盗まれちゃったんだ」
一緒にいるのは私服のおじさんだった。
「こんなこと頼めるの、熊さんしかいないんだよー。あんまり大事にしたくないからさ」
鹿島くんは、休みの日に申し訳ないけど、自転車がないと不便だから、としきりに弁解してくれる。
熊本さんという警備員のおじさんは、少し困った顔をしながら言った。
「そ、そのにゃんこちゃんは、君のかい?」
春斗くんの自転車のカゴに佇む虎次さんを見つけたらしい。
にゃんこちゃんって…。
「抱っこしますか?」
虎次さんを抱き上げて渡すと、熊本さんは光が差したような笑顔で受けとめる。
数秒前までのためらいはあっさりと消え、セキュリティを解除すると、私たちは警備員室に通された。
“…お前、俺を売ったな?”そんな虎次さんの心の声が聞こえた気がする。
「昨日の夕方、授業が終わった頃の時間だと…この辺りだね」
熊本さんは、虎次さんを膝に乗せながらモニタに映像を出してくれた。
坊ちゃんの友達だから特別、と言いながら虎次さんに夢中になっている。大の猫好きで良かった。
虎次さんにとっては、正直地獄だと思う。人間で言うと大して年齢の変わらないおじさんが虎次さんを撫で回して…ぷぷぷ。
熊本さんが虎次さんと遊んでいる隙に、春斗くん、鹿島くん、私の三人はかじりつくように防犯カメラの検証をする。
「あ、雨が降ってきたね」「そろそろか」息を止めて画面を見つめる。
周りをきょろきょろ見回しながら、ブロック塀に手を伸ばす長い髪の人影が映った。
「ストップ!今のとこ」
「映像が粗くて顔が見えないな」
何度か同じ所を繰り返し見ても、顔の判別まではできない。
「でもこれ、外からじゃなくて中から来たよな」鹿島くんが重大なことに気が付いた。
「それって…」「花丸ゼミナールの、生徒だ」
背中まである長い髪は一人しか知らない。
目立つからよく憶えている。
私や春斗くんと同じ、Aクラスの女の子だ。
「どう?自転車ドロボウは見つかったかい?」
急にこちらを向いた熊本さんの言葉に、心臓が跳ね上がる。
映像は、ちょうど私と春斗くんが話をしているシーンだ。もう少しすると、私が自転車に乗って走り去る姿が流れてしまう。
まずい。嘘がばれる。
「ナァオ」「ん〜?どしたぁ?」
虎次さん、ナイスタイミング。
防犯カメラの映像は、最後に先生が駐輪場を見回りに来たところまで見て終わりにした。
「犯人は映ってなかったかぁ」
「やっぱり盗難届、出そうと思います」
私たちは白々しい嘘をつき、熊本さんにお礼を言って花丸ゼミナールを後にした。
「Aクラス一の秀才、折原さんだな」
春斗くんが言った。
「しかも、下の名前は千鶴だ」
さすが鹿島くん、詳しい。
折原千鶴…。自分の名前に掛けて折り鶴を置いていたって事?何の為に?
「あと最後に映ってた先生」
「見回りの?」
「先生は自転車通勤でもなきゃ駐輪場なんて来ないよ」
「あの身長の高さは、鶴田先生だ」
また、“鶴”…。
鶴田先生は数学を担当している20代の先生。背が高く、女生徒にも人気がある。
「鶴田先生は自転車通勤じゃないから、駐輪場に来る理由は一つ。折り鶴を確認しに来たんだ」
折原さんと鶴田先生の関係…?
も、もしかして…!
花丸ゼミナールの幽霊の正体は折原さんだった。
中学生なら、女の子とも言えるし、女の人とも言える。 噂はある意味本当だった…。
「雨の日に逢いびきする場所の暗号か?」
「逢いびき?」
「雨の日は室内しかねぇだろ。人目にもつかねぇし」
虎次さんは意味深な発言をしつつ、必死に毛繕いをしている。
「くそっ、あの熊野郎のタバコの匂いがとれねぇぜ」
私たちが防犯カメラの映像を見ている間、ずっと警備員の熊本さんの気を引き付けて相手しててくれたんだもんね。頑張ってくれた虎次さんを讃えて芋焼酎でも献上しようと思ったら、あいにく我が家にはなかった。
「料理酒でいいかな?」
「よくねぇよ」
だよね。
さて、月曜日。
あとは任せた、なんて言われちゃったけど、折原さんに何て話し掛けよう。春斗くんも、違うクラスの鹿島くんまで私の様子を伺っているみたい。
二人からの「いつ話し掛けるんだ」「早く」という視線をひしひし感じる。
一昨日回収した折り鶴は、春斗くんから預かった。これを見せれば話もしやすい…はずなんだけど。何せ相手は話した事もないAクラスの秀才美少女。緊張する。
そもそも秘密の恋に気付いたからって本人に確かめなくても…。
いや、この場合、バレてますよって忠告してあげる必要があるのかな。
タイミングを掴めないまま授業が終わってしまった。
教室を出た折原さんの後を追って駐輪場に行くと、虎次さんが足元にじゃれついている。
文字通りの、足止めだ。
「迷子なの?」 優しく虎次さんに話しかける折原さんの横顔が美しい。
「その猫、うちの子なんだ」
私に気付いて振り返る。話を切り出すなら、今しかない。大きく息を吸って気持ちを整える。
「折原さん」
周りに誰もいないのを確認して、折原さんに手のひらを見せた。手の上には、折り鶴。
「ごめんね。気付いちゃったんだ」
それだけ言うと、折原さんは絶句して泣きそうな顔になった。
「誰にも言わないから」
安心させるように言うと、折原さんは大きな目で私を見た。
そして、ぽつりぽつり話し始める。
「鶴田先生は、うちのお姉ちゃんの旦那さんなの」
予想外の暴露に思わずうろたえる。
まさかの昼ドラ展開。
「言い辛かったら、無理に話さなくていいよ」
「ううん、誤解されてると思うから」
…え?
結果を言うと、折原さんと鶴田先生は恋人同士じゃなかった。
鶴田先生は、奥さんである折原さんのお姉さん同伴のもと、義理の妹に勉強を教えているだけだった。
同じ塾の先生と生徒である事には変わりないし、身内贔屓だって言われると困るから、雨の日のみって決めて、折り鶴を置いた日は家にお邪魔しますっていう合図なんだとか。
「折原さんの秀才の理由は、鶴田先生の個人授業だったのか」
「なんだってそんな紛らわしいこと…」後で報告すると、鹿島くんはあからさまに残念そうだった。
虎次さんも、色っぽい話じゃなくてがっかりしたみたい。折り鶴が、二人が会うための合図になってたのは当たっていたけどね。
「結婚したら、鶴田千鶴でツルツルになっちまうもんな」なんて訳のわからない事を言って、一人でウケて笑ってた。
だけど、これは私の勘。
折原さんは、本当は鶴田先生が好きだったんじゃないかなと思う。
それが本気の恋なのか憧れなのかはわからない。誰にも言わずに、ただ折り鶴のやり取りだけで、小さな片思いを楽しんでいたんじゃないかって。
そう考えると、ちょっと切ないな。
それにしても、折り鶴を置く中学生を見て幽霊と間違えるなんて、世間は随分と短絡的なのね。
夏期講習の最終日も、雨が降った。
テストを終えて駐輪場を出るとき、ワンピースを着た折原さんの後ろ姿が見えた。私たちにバレて、折り鶴は止めたんじゃなかったんだね。
「あれ、虎次さん」
ビルの植込みで雨宿りする私の愛猫の姿があった。今日もパトロールついでに迎えに来てくれたみたい。
「なんだか寒気がするぜ」
「雨の日に出掛けたりするからだよ」
よいしょ、と抱き上げて肩に乗せる。
濡れない為とは言え、重たい。
「虎次さん、中年太りなんじゃないのー?」
「黙れ。これは貫禄ってやつだ」
ゆるやかな坂を下りていると、肩に猫を乗せて歩く女子中学生を見て、何人かの人が振り返った。背の低い小さい子なんか、大声でママに教えてあげてた。傘をさしているのに目立つのね。
「おい、あれ」
虎次さんのアゴの差す方向に視線を移すと、折原さんがいた。チェックのレインコートから、足首までのジーンズが見える。
そうだ、彼女は今日ジーンズだった。
じゃあ、さっき駐輪場で見たのは…。
「おっ、寒気も消えて体調良くなってきたぞ」
ま、まさか…。そういえば折原さんよりも少し髪が長かったような…?
「やめてよ、虎次さん!」
「何がだよ!暴れるな、落ちる!」
折り鶴の謎が解けたと思ったら、今度はホンモノを見ちゃったかも…なんて言ったら、怪談好きの男の子たちはどんな顔をするかな?
私には刺激の強い、夏の終わりの出来事。
終