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虎次さん  作者: 如方りり
第2章∞夏休みと虎次さん。
6/22

2-3

プールに閉じ込められた私は、急に心細くなってきた。

壁に取り付けられた時計を見ると、時刻は20時を回るところ。プールサイドを一周したところで立ちすくす。

どうしよう…。


「なっちゃん」

背後からする声にビクッとして振り向く。

「虎次さん…!どうして?」

「パトロール中だ。なっちゃんはこんなとこで何やってんだ?」


簡単に事のあらましを説明すると、プスンと鼻で笑った。

「どんくせえな、こっちだ。あとその輪っか、外してくれや」


虎次さんの苦手な虫除けリング。

この匂いで私がいるって気が付いてくれたのかも知れない。

言われた通り外してポケットにしまうと、出入り口の横にある男子更衣室に案内してくれた。

施錠はされていない。高い位置にある窓が少しだけ開いていた。虎次さんもここから入ったのだろう。


「そろそろ帰らねぇと、おふくろさん心配するぜ」

濡れたサンダルを履いてロッカーに足を掛ける。

プールの授業でしか使われていないのか、更衣室にはコースロープやビート板などが積んであるだけだった。

慎重に窓を乗り越え、障害物に注意しながら地面に足を下ろす。


無事に脱出した私は、虎次さんの後についてみんなの所へと急いだ。自転車を停めた場所で待っていてくれたみたい。


「真夏!」

「大丈夫だった?」

「何やってんのー」


口々に声を掛けられる。

「ゴメンね、心配かけて」


「一時はどうなることかと思ったよ!」

しれっと言ったのはユッコだった。

まるでサンダルを脱いだ私が全部悪いかのような、そんな言い方に胸がチクリと痛んだ。


「どうやって出たの?」

男子更衣室の窓が開いていたことを話すと、チカはぎょっとして私を見た。

「真夏、男子更衣室に入ったの?」


「それどころじゃないだろ」

鹿島くんにたしなめられ、ユッコと顔を見合わせて笑った。

片方だけ濡れたサンダルが気持ち悪い。

居心地が、悪い。


虎次さんは、いつのまにか春斗くんの自転車のカゴに鎮座している。

「虎次さんも一緒に送ってくよ」

春斗くんが言い、私たちは解散することにした。

春斗くんが送ってくれると言ったことにドキドキしながら、それぞれの帰路につく。


虎次さんが急にカゴから飛び出したら危ないから、と春斗くんが気を遣ってくれて、自転車を押して歩くことにした。

多分そんな事にはならないけれど、並んで歩けるならいいや。


「楽しかったね」

と言う私に、春斗くんは「ほんとに?」と顔を向けた。

「最後は迷惑かけちゃったけど」

 みんなに心配かけておいて図々しい発言だったかな、と気まずくて目を逸らしてしまう。

「別に葉月さんのせいじゃないでしょ」

一呼吸おいて「あの背が高い方の子がサンダル蹴って落としたんだし」と言った。


見てたんだ。

「わざとじゃないと思うから」

 言いながら、声が震えそうになる。

春斗くんの目にも、そう見えたんだ。

「一言謝ればいいのにな」

確かに、引っかかっていた。無事にみんなの元へ戻った私にあのノリは、ちょっと温度差を感じた。


「あの二人と仲良いの?」と聞かれ、言葉に詰まってしまう。

まだ、仲が良いっていうほどではない。

今日の夏期講習で初めてちゃんと喋って花火の話になった事を、正直に打ち明けた。


「ついでだから言うけど」と 春斗くんは話し始める。

待ち合わせの時、ユッコとチカがハンバーガー屋さんにいたことは、春斗くんも気が付いていたらしい。

私が見ていた事も含めて。

それから遅刻の言い訳や私に対する態度にずっと違和感があったって。

そして、そんな二人が春斗くんを呼び捨てした事も、あまり良く思ってないみたいだった。

 意外だった。春斗くんがそんな風に思っていたなんて。


「下の名前で呼ばれるの、嫌なのかぁ…」

ぽつりと、呟いてしまう。いつも心の中で“春斗くん”と呼んでいる事を少し反省した。

「なんで?呼びたいの?」

「うん」と答えた後、「あ、時々」と慌てて言い訳のように付け足す。

「なんだそれ」

春斗くんは、声を出して笑った。

「別にいいけど」

「いいの!?」

自転車のカゴの中で虎次さんがのそりと動き、ほくそ笑むのが視界に入った。


「は、春斗くん」

さっそく許可の下りたばかりの名前を呼ぶ。

「受験、頑張ろうね」

ひひひ、と我ながら気持ち悪い笑いが漏れる。

今日はドキドキしっぱなしで、もたないよ。


「夏期講習の前期、最終日にテストがあるんだって」

急に現実に引き戻す春斗くんが恨めしい。

夏期講習の間にもテストがあるのかと思うと気持ちがげんなりしてしまう。

「それで後期のクラス分け決めるみたい」

ってことは、頑張ればもしかしたら私も。

「Aクラス来ればいいのに」


…!

ピコーンピコーン。

心臓に負担がかかり過ぎています。


…そんな警告メッセージが耳の奥で聞こえる気がする。

深い意味なんてないのはわかってる。

春斗くんは何の気なしに言ったんだろうけど、天にも昇る気分だよ。


やった!虎次さん、今の、聞いてたでしょ?

ピコーンピコーン。


家の前まで送ってもらった私は、改めてお礼を言った。

「またね、虎次さんも」

春斗くんは、首の後ろを撫でて虎次さんに挨拶をした。私の頭は、残念ながら撫でてはくれなかったけれど。当たり前か。


今日は、色んなことがあった。春斗くんがいたから楽しかったんだ。

いつの間にか、濡れたサンダルなんて気にならなくなっていた。


 家に入ると、帰りが遅いことを咎められることもなく自分の部屋に向かった。


「おいおい、なっちゃん。いい雰囲気だったんじゃねぇの」

 扉を閉めるなり、虎次さんがニヤリとした。

「虎次さんもそう思う!?」


「俺の見解では、鹿島もなっちゃんに惚れてるな」

それは違うと思う。鹿島くんはみんなに優しいから。


虎次さんは私を冷やかすように、よく分からない歌を口ずさんでいる。

それが、めちゃくちゃ下手っぴで可笑しかった。

歌は苦手なのね。


「よーし。数学の勉強でもしよう」

マジックで大きく書いた紙を目の前の壁に貼り付けた。

【 一発逆転! 】


「これ、目標なのか?」

「いいの!」

「どうせパッと思いつかなかったんだろ。頑張れよ、受験生!」


頑張るよ。

まだまだ夏はこれからなんだから!





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