1-3
何もできないまま3日が過ぎた。
そして事件は突然、収束を迎えた。
学校の帰り道、一人で歩いていた私はパンダ公園の前でポニーテールの女の子に呼び止められた。
同じ学年だけど別のクラスの、顔は知っている程度で話したこともない女の子。
名前は…なんていったかな。
動物系の名前だったような。
「あなた弥生くんと仲良いでしょ?これ、渡しておいて欲しいんだけど」
ん?春斗くんと私が仲良さそうに見える?
というか、これは…楽器ケース!?
「ちょ、ちょっと待って」
うっかり受け取りそうになった手を引っ込めると、女の子は黒い楽器ケースを私の方に突き出した。
「いいから!お願い!」
この子だ。この子が春斗くんのトランペットを人質に奪った張本人に違いない。
私は事情を知らない事になっているし、何があったのかわからないけど、まだ演奏会まで日があるのに人質のトランペットを返そうとするなんて。
「困るよ!」
「お願い!」
公園の前で揉めていると、ちょうど向こうから虎次さんが走ってくるのが見えた。
春斗くんも一緒だ。
「ナァー」
きっと虎次さんが上手いこと誘導して連れてきてくれたんだ!
春斗くんの姿を視界に捉えたその子は、怯えたように固まった。
「八木さん。何してるの?」
責める言い方ではなかったはずなのに、女の子は次第に俯いて、ついには泣き出した。
楽器ケースを落としたりしなくて良かったなと安心する一方、私はどこか冷めた頭の中で、彼女の名前は八木さんだったな、とどうでもいい事を考える。
目の前の状況について行けない。
ここじゃ人目につくからと私たちは公園に入り、中で話すことになった。
ベンチに私と八木さん、それからトランペットの入った楽器ケース。春斗くんは立って聞いている。
「ごめんなさい!これ、ケースから一度も出してないから。傷つけたりしてないから。だから…。明日から、練習に来て欲しいの」
私は、何が起きたのか全くわからない。おそらく春斗くんも。
「最後の演奏会だから、私、どうしてもソロがやりたかったんだけど…。何回合わせてもうまくできないの。こんな、バカなことまでしたのに、どうしても、うまくできなくて。先生もみんなも、私がトチる度にピリピリしてて」
春斗くんは黙って聞いている。
「今さら許してもらえないのはわかってるけど、演奏会、ちゃんとしたいから部活に戻ってきて。私は、もう出られなくても構わないから」
言い終えると八木さんはまた下を向いた。
離れた所から、公園で遊ぶ子供たちの声が聞こえてくる。私たちのいる場所だけ空気が重たく冷たい。
「わかった」
春斗くんが答える。
「でも、きみも練習に出なよ。演奏会も」
八木さんは、驚いた顔で顔を上げた。
「怒ってないの?先生に言わないの?」
「怒ってるよ。でも、先生には言わない」
虎次さんは頷いたように見える。「賢明な判断だ」とでも言っているかのように。
トランペットが手元に戻ってきた以上、騒ぎを大きくして出場辞退なんてことになったら大変だもんね。
八木さんは何度もお礼を言って、真っ赤な目で帰って行った。
さて、私はこの場にいて良かったのかしら。
なんだか気まずい。沈黙。
「見に来る?」
「え?」
「演奏会」
…!
「行く!絶対、行く!!」
普段はちょっぴりクールな春斗くんに、誘われちゃった!
演奏会、ぜひ見に来てよ、だってぇー!
「そんな言い方はしてなかったけどな」
「うるさいよ、虎次さん」
トランペットは、意外なほどあっけなく戻ってきた。
八木さんがしたことは簡単に許される事じゃないけれど、春斗くんがまた部活に出られるようになって本当に良かった。
私も少しは、役に立てたのかな?
夏休みに入る前の日曜日、市のホールで演奏会が行われた。
私は同じ学校の人に会ったら恥ずかしいから、こっそり帽子とメガネで変装をして会場に入る。我ながら怪しすぎるけど知り合いに見つかるよりは安全だ。
他校の演奏では途中で眠くなる曲もあったけど…うちの学校の出番と春斗くんのソロパートはバッチリ!目と耳に焼き付けてきた。
はぁ…カッコよかったな。
遠目だから姿はハッキリは見えなかったけど、シルエットがね、もうカッコいい。
余韻に浸りながらホールを出ると、八木さんがいた。
「この間はごめんなさい。それから、黙っててくれて、ありがとう」
変装していたのに思い切りバレている。
人違いを装う隙もないほど、まっすぐ私に向き合っていた。
「すっごくカッコよかったよ」
私は素直に感想を言った。春斗くんだけじゃなくて本当にみんな。
「ありがとう」
八木さんの話によると、トランペットを返すきっかけになったのは、後ろめたい気持ちに苛まれ続けるうちに、とうとう怖い夢を見てうなされたからなんだって。
それで寝不足になって、せっかくチャンスを掴んだソロパートの練習もできなくて…っていう負のループに陥り、自分がしてしまったことの重大さに改めて気が付いて反省したみたい。
「私どうかしてた。実力は弥生くんの方がずっと上なの、わかってたのに」
八木さんは恥ずかしそうに笑って、私にもう一度頭を下げた。
「巻き込んじゃって、本当にごめんなさい」
取り返しのつかない事になる前に気が付いて良かった、ね。
ところで八木さんがうなされたっていう怖い夢、化け猫がどうこうって言ってたけどどんな夢だったんだろう?
もしやと思って、帰ってから虎次さんに聞いたけど「知らねぇな」って言われちゃった。
まさか…ね。
「なっちゃん、悩める年頃なのはわかるけどよ。あんまり絶望的な顔すんなよ」
終