5-1
毎日着ている、紺色のブレザーと膝より少しだけ短いボックススカート。それから白いソックスにスニーカー。背中にはリュック。夏までずっとショートだった髪は、顎のラインまで伸びた。
4月になったら、私はどんな高校生になっているんだろう?
「高校生に、なれればな」
虎次さんが水をさす。
「縁起でもないこと言わないでよっ!」
…。
私はまだ、第一志望をどこの高校にしようか決められないでいた。
近いところ、制服が可愛いところ…。思い切って女子校も楽しそうな気がするけれど、春斗くんとは確実に分かれちゃう。
みんな進路ってどうやって決めているんだろう?
冬毛に生え変わった虎次さんは、ますます貫禄の出てきたお腹をこちらに向ける。
「春斗とはあれからどうなんだ?」
どうも何も…。特に進展はナシ。
毎日学校で顔を合わせて、週に二回は同じ塾で机を並べているけど、ただそれだけ。接点ができたから前よりは話しやすくなったかな、という程度。
そうそう、鹿島くんは結局みなみ高は受けすにバスケのスポーツ推薦で私立の男子校に絞ったみたい。
私も何か取り柄があれば良かったんだけどな。
ハッ…!
推薦…。盲点だった。
春斗くんも吹奏楽部の強いところに行くんじゃないの!?
だとしたら、この辺りだと偏差値がめちゃくちゃ高い公立か、家からはとてもじゃないけど通えない距離にある私立だ。
こないだ担任の先生に呼び出されていたのは推薦の話だったのでは…。最悪、単身赴任中のお父さんがいる海外に留学なんてこともあり得る。
「終わったぁーーー」
絶望だ。
この世の終わりだ。
「なっちゃんのおふくろさんは、何て言ってんだ?」
「お母さんは、私の行きたい所でいいって」
放任主義ってわけでもないけど、一人っ子の私の進路は自分の好きなようにさせるスタンスみたい。
「春斗にどこ受けるか聞いてみりゃいいのに」
「そんなデリケートな事、聞けないよ!」
なんて、本当は怖いだけ。
私の手の届かない高校だったらって思うと、今まで頑張ってきた勉強も一気にやる気がなくなっちゃいそうで。
前よりもっと春斗くんを好きになっちゃった分、簡単に口に出来ない事が増えたんだ。
…。
だめだ。うじうじ悩んでいると憂鬱モードになってしまう。
「虎次さん、散歩でも行く?」
「しょうがねぇな。付き合ってやるよ」
陽が落ちるのが随分早くなってきた。
パーカーを羽織っただけだと夕方の空気は少し肌寒い。もう少ししたらマフラーが必要になるかも。
パンダ公園に入り、ベンチに腰を下ろして空を見上げた。
「虎次さん見て、月がきれいだよ」
「丸いな」
見たままの感想を言う虎次さん。
…。
ん?
…。…。
どこからか声が聞こえる。
「あっ、いた。あいつだ。」
虎次さんが即座に見つける。私たちのいるベンチのすぐ後ろの木に、灰色の鳥がとまっていた。
「何あれ、鳩!?」
虎次さんは素早く木に登り、鳥と一緒に下りてきた。灰色の鳥は、バササッと羽を鳴らして背もたれに着地する。
鳩かと思ったけど違う。もっと大きい。
「オハヨー!」
えっ??
「お、おはよう」
「オハヨー!」
「あはは、なっちゃん、こいつはヨウムって鳥だ。覚えた言葉を繰り返し喋るだけだ」
えっ、そうなんだ。
「ウッセー。バーカ」
「なんだとこの野郎!」
「止めなって、虎次さん」…まったく、もう。
言葉を覚えてるってことは野生のヨウムじゃないんだよね。迷子になっちゃったのかな?
「オナカ、ペコペコ」
「知らねぇよ」
「ウッセー。バーカ」
「こいつ…!」
灰色のヨウムは虎次さんの背中に飛び乗って涼しい顔をしている。
さすがの虎次さんも、飛行タイプには勝てないのかな。離れて欲しそうに暫く押し問答をした後、諦めた様子でうなだれた。
この子、連れて帰るしかなさそう。
家に帰ると、私の両親は初めて見るヨウムに感動していた。
普段は物静かなお父さんまで、何回も「オハヨー」の言い合いっこ。
「でもこの子、どこかで飼われていたのよね?飼い主は探しているんじゃないかしら」
早く飼い主の元に返してあげる為に貼り紙か何か作って呼びかけたら、とお母さんが思いついた。
だけどこのヨウム、写真を撮ろうとすると逃げてしまって上手く撮れない。
あんまり騒いでいるとご近所迷惑だからって、今日のところは断念。
ヨウムは虎次さんの後をくっついて私の部屋まで来た。随分と虎次さんの事がお気に入りみたい。
「おい、ここはなっちゃんの部屋だ。特別室だぞ」
「フフ フンフン〜♪」
…。
バサササッ!!
ビクッとする虎次さん。
「脅かすな!…急に動くんじゃねぇよ」
ふふふ。ちょっと面白い光景。
「名前がないと可哀相ね、何がいいかな」
「待て待て。俺が決めてやる」
虎次さんは、朝までに考えると言ってクッションの上で丸くなり、眉間に皺を寄せる。
うるさくすんなよ、と言われたヨウムちゃんは、朝までちゃんとおとなしくしてくれた。
1時間目は自習だった。
入試が近付くにつれて、これまでの授業の質疑応答を含めた自習が多くなる。教室の他に、図書室も利用していい事になっていた。
私はと言うと、図書室にあるパソコンで早速ヨウムについて調べている。
ふむふむ。
ペットショップだとなかなか高価で、長生きする鳥なのね。
あの子はオスなのかな、メスなのかな。特長の項目を読んでも、比較対象がないからよく分からない。
「何これ、鳥?」
いつの間にか春斗くんがすぐ近くでモニタを見ていた。
…ち、近い!
「そそそ、そう、ヨウムっていう鳥」
「へぇ。オウムとは違うんだ」
「うん、実はね…」
私はかいつまんで夕べの出来事を話した。
散歩に出掛けた時、パンダ公園の木にとまっているのを見付けたこと。虎次さんが木に登って下まで降ろしてくれたこと。
「虎次さん、木登りできるんだ」
「うん!素早かったよ。まるで…」
「…猫みたいに?」
プフッ。
思わず同時に吹き出す。
「いいなぁ喋る鳥。面白そう。名前は?」
…。
「ねずみ」
「えっ?」
「ねずみ色だから」
虎次さんが、あいつはねずみで充分だって。今日の朝、命名発表があった。
ワンテンポ置いて、また同時に吹き出す。
やばっ!…図書室では静かにしましょうね。
珍しく虎次さんも一日中家にいたみたいで、帰宅した私を出迎えてくれた。
「どう?虎次さん。仲良くやってた?」
「どうもこうもねぇよ」
「ナッチャン!」
「わぁー。私の名前、覚えてくれたの?」
ねずみちゃん、と声を掛けると時々バサバサと羽を広げる。
「だから急に羽を動かすなって!」
「ヤキトリ、ヤキトリ」
虎次さんが言った言葉を覚えたんだな。これは暴言だよ。
「春斗くんがねずみちゃんに会いたがってたよ」
「どうせなら春斗ん家にやっちまえよ」
変わらずな虎次さんに、今日学校で調べたヨウムの平均寿命について教えてあげた。なんと50年も生きるんですって。
「するってぇと、俺より年上…?」
「もしかしたらね」
年功序列を重んじる虎次さんは少なからずショックを受けている。
「ねずみ…先輩、か」
ぽつりと呟く背中が丸い。
写真を撮ろうとすると何故かカメラを嫌がって逃げちゃうから、ねずみちゃんの似顔絵を描いて、“迷いヨウムを保護しています”のポスターを作った。
「なっちゃん、絵心ねぇなあ。これじゃ鳩だろ」
「いいの、ヨウムって書いてあるもん」
それを持って近所の動物病院やペットショップに行き、ヨウムを探している人がいないか聞いて回った。
それでも心当たりはなくて、更にインターネットで呼びかけてもみたけど反応はなし。
「捨てられちゃったのかな。それか飼い主が亡くなったとか…」
考えたくないけど、その可能性もある。
「ねずみさんよ、コレ食うか?」
神妙な顔つきの虎次さんは急に優しく接し始めた。
もしかしたら本当に、可哀相な鳥なのかも。
塾がない日の夕方、私は虎次さんとねずみちゃんを連れてパンダ公園へ出掛けた。
目的は、ねずみちゃんに興味津々の春斗くんにお披露目するため。
「ヤキトリ、ヤキトリ ニ、スルゾ」
「こらこら。そんな言葉は忘れちゃいなさい」
春斗くんは思った以上に喋る鳥に喜んでいるみたい。
「ハル…ハルトクン!」
「わ、俺の名前も覚えてんの?」
!!
まずい。私と虎次さんの会話から覚えちゃったんだな。
何を言われるか心配になってきた。頼むから余計なこと言わないでよー。
「虎次さんもねずみと仲良くしてるんでしょ。偉いね」
「ナォ」
春斗くんの両手で頭を包み込むように撫でられる虎次さん。
「ウッセー、バーカ」
絶妙のタイミングで喋るねずみちゃんに、「すごいね」と声を上げて笑う。
「これは最初から覚えてたんだよ。私が言ったんじゃないからね」
他にも、何かのメロディや聞き取れない言葉を含めるとかなりのバリエーションがある。
「コウコウ。ジュケン」高校受験。
「うわぁ、やな事思い出させてくれるなぁ」
「ナッチャン。オハヨー。トラジサン」
「フフ フンフン〜♪」
私たちの反応を見て、次々に知ってる言葉を思い出しては口にしているみたい。
「…サレル」
…えっ?
「コロサレル」
殺、され、る?
「サスペンスでも見たの?」
春斗くんが感心しながら言った。
「違う、私の部屋にテレビないもん。昼間だってリビングには行ってないよ」
「タスケテ。コロサレル」
虎次さんも、俺じゃねぇって顔で春斗くんから見えないように首を振った。
…。
名乗り出ない飼い主。
見付からない手がかり。
「ねずみちゃん、その言葉どこで覚えたの?」
今の私の頭は、嫌な想像しかできない。
「いつ、どこで、だれが言った言葉なの…?」