4-2
あの日以来、鹿島くんからの連絡はない。
幸い、塾でも一応人目を気にしてなのか一切その話をして来なかったから、このまま忘れてくれないかな、なんて思いつつ…。
そんな都合のいい事にはならなかった。
金曜日の放課後、花梨と別れた後に一人で歩いていると、パンダ公園の前で鹿島くんが待っていた。
「明日の時間を打合せに参りました!」
あはは…。胃が痛い。
だけど学校まで来なかっただけでもありがたい。
塾で女の子たちに囲まれる鹿島くんを目の当たりにした私は、ついに聞いてみた。
「みなみ高の文化祭に行くの、私じゃなくて春斗くんはダメだったの?」
「あいつは文化祭とか興味ないもん」
確かに行かなさそう…。
鹿島くんは、受験に専念するのに取り巻きの女の子たちを遠ざけたかったんだって。
休みの日に家まで来ることもあるみたいで、彼女が出来た事にすれば諦めてくれるだろう、と。
同じ学校の女の子だと角が立つから、私は都合が良かったという事かな。
だけど、私と付き合っているという嘘をわざわざ公言したりしないのは、私への気遣いなのかも。
「自分がモテるとは思ってないよ」
鹿島くんは言う。
「ただ、中学っていう狭い世界の中で、スポーツが出来るとか友達が多いとか、目立つ奴はそういうキャラになるじゃん」
「キャラ…?」
「誰々が人気あるから自分も便乗する、とか。流行のファッションみたいな一時的なものなんだよ。ほら、一発屋芸人とか、そういう感じ」
なるほど。わかりやすい例え。
「このままだと俺も受験に集中できないし、女の子も集中できないから」
「うん」
「でも真夏と一緒に行きたいのは本当だよ」
「うん」
…。
「それで押し切られて来たのか?」
「だって…」
なんか真面目に話してるの見たら、鹿島くんもそれなりに悩んでいるんだなぁとか思って断われなかったんだもん。
うぅ…。胃が痛む。
「カルシウム足りてるか?俺のカリカリ分けてやろうか?」
「…いらない」
悩みが絶えない、15歳の初秋です。
公立みなみ高校の文化祭の日。
虎次さんは朝からどこかへ出掛けたみたい。
家を出る前に、ふかふかのお腹で私の鬱々した気分を和らげて欲しかったのに。残念。
お母さんには、みなみ高の文化祭へは花梨と行くということになっている。好きな子でも彼氏でもないけれど、やっぱり男の子と二人で出掛けるとは言い辛くて、嘘をついてしまった。
爽やかなスカイブルーの空をうらめしく思いながら、制服を着て家を出る。
みなみ高のある駅までは自転車でも行ける距離だけれど、今日は電車に乗って向かう。
どの学校も駐輪場の数が決められているから、文化祭や学校説明会の時は電車で行くのがマナーでありルールなんだって。
駅を降りると、既にお祭りムードだった。
「すっごい人だね」
「みんなが向かってる方向に進めば迷わないな」
みなみ高に向かう人たちの中には、ちらほらと制服が見える。きっとみんな、このあたりの中学に通う受験生で、鹿島くんのように学校見学を兼ねている人もいれば、私みたいに検討中の人もいるのだろう。
高校の門には、“Southern Festival”と書かれ飾りつけをされた大きな看板。門の外にまで、色んなお店や出し物のチラシを配るみなみ高の生徒たち。
年齢なんて私とそんなに変わらないはずなのに、チェック柄の制服を着た高校生が凄く大人に見える。
みんな、生き生きとしていた。
校内の中は文化祭の時だけ土足で入れるようになっていた。
手を繋いで歩くカップルを見て、つい二度見しちゃった。高校生になると、学校でそんなことしても許されるの…?周りは冷やかしたりせず、ごく自然に馴染んでいる。
私もいつかは…いやいや、無理だ!想像するだけで赤面しそう。
鹿島くんはまず進学相談の窓口で学校案内の冊子を貰いに行き、アンケート用紙を記入した。ここも制服を着た受験生らしき人がいっぱいいる。
「よし、とりあえず目標達成。真夏は見たいとこある?」
「うーん…」
入口でもらった文化祭のチラシに目落として見るけど、雰囲気にのまれてしまって決められない。
「じゃぁさ、何か食べない?俺、腹減っちゃった」
鹿島くんの提案で、私たちは調理室で模擬店を出しているカレー屋さんに行く事にした。
近くに行くとスパイスの香りが充満していて、私もようやくお腹が減ってきた。
「カレーだと白米が恐ろしいほど進むんだよな」
大盛りの辛口を注文した鹿島くんは大きな口でカレーを口に運ぶ。
うちの虎次さんもカレー好きだよ、と教えるとびっくりして笑ってた。
「虎次さんって、人間みたいだな」
今度は私がびっくりして、らっきょうをゴクンと飲み込んでしまう。
そう。人間みたいに喋る猫なんです。
カレーを食べ終わると一通り校内を回って、目に付いた展示を見たりデザートにクレープを食べたりした。
男の子ってよく食べる。私も、甘いものは別腹だけれど。
「ちょっと、トイレ」
鹿島くんが離れた隙に、私も女子トイレに入った。
男の子と二人で出掛けて一緒にご飯を食べるなんて、初めてだ。
正直、付き合うって何をしたらいいのか良くわからないし、中学生のデートなんてたかが知れていると思っていた。
こういう事を自然にできる鹿島くんは、きっと才能があるんだな。変な言い方だけど、エスコートの才能。女の子に気を遣わせないで楽しそうに過ごせる中学生なんて、そうそういないんじゃないかな。
感心しながら個室を出て手を洗っていると、鏡越しに視線を感じた。
ユッコとチカ、それから知らない女の子。
あっ、と何か言おうとする私より先にチカが口を開いた。
「楽しい?」
これだけの人がいて、誰にも知り合いに会わないのは変だと思っていた。私と鹿島くんが一緒にいるのを見かけて様子を伺っていたんだ。
いつから見られていたんだろう。
「何か言えば?」今度はユッコだ。
楽しいって言えば彼女たちの逆鱗に触れるだろうし、楽しくないって言うのも変。
ましてや、鹿島くんとは何でもないなんて弁解はできない。
出しっ放しだった水道を止めてハンカチを探す。濡れた手でスカートに水がはねてしまった。
「この子?うちの中学来て、プールに閉じ込められたの」
初めて見る女の子が私を一瞥し「ダサッ」と吐き捨てるように言って笑った。
ユッコとチカが話したんだ。
目ざわりな私のことを、こんな風に笑って噂してたんだ。
心拍数が上がる。
悔しい。
私も何か言い返したい。
ぐっと顔を上げ、ついでに口角も上げた。
「楽しいよ。文化祭」
じゃぁね、と女子トイレを出ると、閉まった扉の向こうから怒りの声が漏れてきた。「信じられない」とか「ムカつく」とか。
それ以上聞きたくない私は急いで、少し離れたところで待っている鹿島くんのところに戻った。
「どした?トイレの花子さんにでも会った?」
「うん…」
まじか!と戯ける姿が面白くて、興奮していた気持ちが少しだけほぐれた。
もうあらかた見て回ったし帰ろうか、と門を出ようとすると今度は花梨に会った。同じ部活だった子たちと一緒にいる。
「あれー、真夏じゃん!もう帰るの?」
私は少し怯えたような顔をしていたかも知れない。
「うん、カレー屋さんが美味しかったから行ってみて」
知り合いに会うことに、恐怖にも似た後ろめたさ感じていた私は早々に花梨と別れる。
少し離れていたから鹿島くんには気付かなかったのか、それとも敢えて触れなかったのか、花梨は「行ってみるね」と言うと友達と一緒に校舎へと向かった。
「今日は付き合ってくれてありがとう。最後の最後に知り合いに会っちゃったね」
帰りの電車で鹿島くんは言った。
本当は、鹿島くんの学校の子もいたんだよ。
すっごく嫌な感じだったよ。
…なんて当てつけみたいだから言えなかった。
鹿島くんが原因だけど、鹿島くん本人は悪くないんだから。
家に帰って一人になると、女子トイレで言われた事を急に思い出した。
あんな風に直接、複数の女の子に感情をぶつけられた事なんて今までなかった。帰り際にばったり会った花梨の視線すら気になって、うまく笑えなかった。
「虎次さん、今日は一人じゃ眠れない」
私は布団から目だけを出して、カーペットで丸くなっている愛猫を呼ぶ。
「今日のなっちゃんは半ベソの甘太郎か?」
虎次さんは何も聞かずにもさもさの背中を貸してくれて、鼻水つけんなよ、とだけ言った。