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虎次さん  作者: 如方りり
第1章∞真夏と虎次さん。
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1-1

●登場人物●


・虎次さん(トラジ)

おっさん猫。

やや口が悪いが根は優しい。


葉月はづき 真夏まなつ

通称なっちゃん。中学3年生。

トラジの飼い主。


弥生やよい 春斗はると

真夏のクラスメイト&想い人。


 6月の空は、どんより曇り空。

 まるで私の心のよう…。


「はあぁぁ〜〜〜…」

学校から帰って来た私は制服も脱がず、2階にある自分の部屋に籠っていた。

さっきからため息しか出てこない。


 私、葉月真夏はづきまなつ

 14歳。中3。


 ただいま、人生に、絶望、しています!


「トラジ、おいで」


少し離れた所でじっと様子を伺うようにこちらを見ている愛猫に手を伸ばし、声を掛ける。

トラジは、私が小学生の時に拾ってきたオス猫。最近ちょっぴり太り気味だけど、多感な年頃の私をいつも優しく癒してくれる、大切な存在なのだ。


「今日ね、春斗くんに冷たくされちゃったんだ」


トラジのお腹をさすり、柔らかい毛並みに指を埋め、いつものように話しかける。

階下からはお母さんが夕食の支度をする音が時々聞こえてくるだけで、私のいる部屋はしんと静まり返っている。

それが私を余計に絶望的な気分にさせた。


「トラジが彼氏だったらいいのになぁ」


 ふかふかのお腹に耳を当て、グルグル鳴る喉の音を聞きながら呟いた。


「俺ぁ、なっちゃんみたいなしょんべんくせぇハナタレ小娘はごめんだけどな」

…。

は?なんだ、今のは?空耳?


おそるおそる顔を上げると、トラジと目が合った。


「春斗ってのは、なっちゃんのコレかい?」


 トラジが前足…いや、右手を上げた。たぶん人間で言うところの親指を立てる仕草をしているのだと思うけど、なんせ猫の手だからわからない。

いやいや、そう言うことじゃなくて!


「え?え??トラジ、なの!?」

私はいつのまにか正座をしてトラジに向き合っている。

「おいおい。カタカナで呼んでくれるなよ。虎次だ。それから年上には“さん”を付けてな」

「は…、えっと、虎次、さん」

「合格」


何が合格なのか!!

トラジが…、虎次さんが、喋ってる!?

当の本人は、特別な事は何もしていませんよという顔をしてカーペットに横たわり欠伸までしている。電池もファスナーもない。どこからどう見ても、正真正銘ふつうの猫。


「あのぉー、虎次さん…」

「何だい?」

「なんで喋ってるの?」

「そんなもん、俺の勝手だろう。喋りたいからだ」

 そういうもの?喋りたいから喋れるの?新しい友達ができたって事で喜んでいいの?

混乱した頭で一気に考え、ふと気になった。

あれ、ちょっと待てよ。虎次さんは、私が小学生の時に仔猫だったから、人間の年齢で考えると…。


「おっさんじゃん!」

 思わず素っ頓狂な声を出した。

「なんだ唐突に。失礼だな」

 表情はわかりにくいけれど、明らかにむっとしている様子だ。

「あ!そうだ。なんかさ、魔法とかないの?」

「何言ってんだ?」

「ペットが喋れるようになったら、ホラ、お決まりじゃない。変身できるとかさ」

「なっちゃん、脳みそ沸いてんのか?」

むくりと体を起こして私の顔をのぞき込む。現実を見ろ、と言われているようだ。

「喋れるだけなの?」

「喋れないより面白いだろ。」


ええっ。魔法少女にもなれず、おっさん猫と会話するだけなんて…。

どんな反応をしたらいいのかわからず、うっかり浮かれてしまった自分が恥ずかしくなった。

窓の外はいつの間にか陽が落ちて薄暗くなっている。


「で、春斗ってのは、なっちゃんの男なのかよ」

 不意に言われて思い出した。そうだ、私は春斗くんのことで落ち込んでいたんだった。

「男って…」

 なんという表現をするんだこの人は。いや猫か。

「違うのか?しょっちゅう手紙だかポエムだか書いては机に溜め込んでいるだろう」

「わあわあわぁー!ちょっ、違うよ!それは私が…勝手に」

 思わず赤面して取り乱してしまう。

まさか私の秘密の書物を知られていたなんて!いつから?全部?あれだけは死ぬ前になんとしても処分しなくてはいけないと思っているのに。

「片思いか」

虎次さんはさらりと言った。

しょぼん。はい、そうです。

実を言うと、“春斗くん”って下の名前で呼んでいるのも、本人には内緒。こっそり心の中でだけ、勝手に呼んでいる名前。

「冷たくされたって?」

 虎次さんに促されて、今日の放課後の出来事を少しずつ話すことにした。


 同じクラスの弥生春斗やよいはるとくんのいる吹奏楽部は、近いうちに市で開催される演奏会で3年生が引退することになっている。

練習も大詰めの段階らしく、放課後の音楽室からは毎日のように色んな楽器の音が聞こえていた。

「春斗はラッパ吹いてるんだっけか」

「う、うん。トランペットね」

さすが、私の秘密の書物を読んでいるだけあって知っている。


今日は珍しく部活に出ないで帰ろうとしていたから、何気なく声をかけた。演奏会が近いのにどうしたんだろ、体調でも悪いのかな?って思って。

 そしたら返ってきたのは、「べつに」って素っ気ない返事。そして、これ以上話したくないようなオーラを出して教室を出てっちゃった。もともとお喋りなほうではないけれど、あまりにもクールな対応。


「私、何か気に障ること言ったのかな?」

「そんで、そんな絶望的な顔してんのかい。春斗のやつ、女に冷たくするなんて100年早ぇな」

 そんなことで、とは言わなかった。それにしても、女、って…。


「しょうがねぇ、俺がちょっくら様子見て来るか」

「えっ、ダメだよ。春斗くんの家はマンションだから猫は…」

 遊びに行った事はないけれど、どこに住んでいるのかはチェック済みだった。

「猫にはそんな都合関係ないね。ま、今宵は先に寝ててくれよ」

 そう言うと窓を開け、夕闇の中へ颯爽と出掛けて行った。

大丈夫なの?虎次さん…!


たった今トラジ…いや、虎次さんが出て行った部屋の窓を見つめ、しばらく茫然とした。

何が起きたのか、落ち着いて整理しようとするけれど、脳みその処理が追いつかない。色んなことがありすぎて。


虎次さんは、私のことを“なっちゃん”って呼んだ。これは小さいときに両親や友達に呼ばれていたあだ名で、今現在、私をそう呼ぶ人はいない。

虎次さんは昔っから私たちの会話を聞いて覚えていたのかも知れない。ずっと私のことを、なっちゃんって呼んでいたのかも知れない。

私が春斗くんのことを呼ぶように。

それがなんで急に今になって会話ができるようになったのかは謎だけれど…。


 夜遅く、窓をカラカラと開ける音に気が付いて体を起こすと、虎次さんが帰ってきたところだった。

「悪ぃな、なっちゃん。起こしちゃったか」

「ううん、大丈夫。気になってなかなか寝付けなかったから」

 春斗くんのことも、虎次さんのこともね。

「ちょっと待ってて」と1階にあるキッチンへ行き、電子レンジで牛乳を温めた。

虎次さん専用のカップに移すと「ノンアルコールか」と不満を漏らしながら話し始めた。


「いや参ったよ。チンピラに絡まれて応戦したり、年甲斐もなく張り切ったぜ」

「え?喧嘩してきたの?」

「安心しろ、峰打ちだ」

よくわからないけど…。ナワバリ争いかしら?そもそもチンピラって、猫の?人間の?

 ぱっと見る限り無傷だったから、ほっと胸をなでおろす。

虎次さんは牛乳が冷めるのを慎重に待ってから口をつけた。


「そんで、春斗の事だけど、あいつ大変なことやらかしちまったなぁ」


た、大変なこと…とは?

ゴクリ…。


「大事なラッパ、失くしたみてぇだ」

「えっ!!」

…トランペットを、失くした!?


 春斗くんのトランペットは学校の備品じゃなくて、自分の持ち物。単身赴任中のお父さんに貰ったものだって前に聞いたことがある。きっと高価なものだし、何より大切にしていたのに。

 それで元気がなくて、部活の話題に触れた私を避けたのね。

 春斗くんがいつも持っていた黒い楽器ケースを思い浮かべる。そんなに小さな物ではないから、置き忘れたとしてもすぐに気が付きそうなのに。


「それと…これは俺の勘だけどよ」

 虎次さんは、口髭にミルクをつけたまま、きりっとした顔で囁いた。

「盗まれたって事もあるかもな」

「えっ」と思わず声が出る。

盗まれたって、誰に?

もしトランペットが失くなったのが春斗くん本人の過失じゃなくて、盗難だったとしたら。春斗くんはどうして学校や警察に言わないんだろう?

 虎次さんは厳しい顔つきで言った。


「事件のニオイがするな」。



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