観察者と木々
急な傾斜の山を登っていくと、全く草木のない、自然のない平地があった。
「すごい平たいな。確かに山にも傾斜がない所は、幾らでもあるけど……、流石に雑草一つもないのはどうなんだろうな。誰かがここだけ綺麗にするわけでもないだろうし」
登山をするにあたって正しくない道、一ミリも人の手が加えられてない、非正規の道を登っていたのだが。登り始めて数分、この、気になる平地に着いた。
「鬼の本気の拳のせいね。あいつのパワーはやっぱりすごい、一突きで辺りをこんなにするんだから」
さらっと言った。さらっと言いやがった。
一発のパンチで、辺りがこんな綺麗になるなんて……。しかも、パンチの衝撃で、木々がへし折れ、なぎ倒されたんじゃなくて、消滅したみたいな風景だ。木々の倒れたような跡なんてないから、綺麗な平地に見えるし。直径二十メートルほどの円形状の平地である。
「ここで鬼と戦ったの」
と、詩乃音が軽く言った。
それにしてもだ。よく考えたら、詩乃音も詩乃音で、今まで自分を追ってきた妖怪達を、何度も退けているのだ。戦闘能力も戦闘経験もかなりの物だろうし、この見事な平地についても、さらっと答えれるのは頷ける。
俺もそんな風に、……まるで歴戦の勇者のように言ってみたいものだ。
「よく生きてたな……。一発でこの威力って……普通は耐えきれねえよ」
「別に私は普通じゃないからねー。化け狐だし、妖怪だし、人の形した妖怪だし」
詩乃音が空を見上げて、ぐぐっと両手を上に伸ばす。
「でも、力の発揮できないせいで、耐えたとはいえ、重傷を負ったしね。何とか逃げたけど……。意味はないけど、とりあえずありがとう、千九咲」
「気にすんなよ。そもそも助けなくても傷は治るんだろ? 俺なんかただの付き添いみたいなものじゃねえか」
「フフッ、確かにね」
詩乃音が笑った。
やはり、女の子は笑顔が一番だ。可愛いから。別に、俺が得するからではない。
だが、その笑顔を見ると、これからの戦闘が重苦しくなってくる。そう感じるのは俺だけなのだろう、だって、彼女は何度も何度も、この修羅場をくぐり抜けてきたのだから。
「──近くに居る」
詩乃音は言った。
「大抵の妖怪は、私に逃げられたら、だいたい同じ場所に留まってる。私の場合、近くに妖怪がいたら気楽に休むことができないから。必ず、また戻ってきて倒しに来ると分かっているのよ。今までだって、いつもそうだったからね」
「周知の事な訳か。どうする? 一応、俺を中心に、五十メートルくらいの範囲内に居れば、妖力はちゃんと使えると、天狗が言ってたが。どのくらい距離を取っておけばいい?」
俺が尋ねると、詩乃音は指を指して答えた。
「とにかく、向こうで隠れて見張っててくれたらいいな。離れすぎも駄目だからね?」
当然の事だ。離れるわけがない。
ついに始まる、観察者のような仕事が。まさに観察者の如く、見るだけの仕事。
俺はすぐに詩乃音に背を向け、彼女の示した、木々の生い茂る場所へと駆けた。