天狗と天城
圧倒的に圧倒的で圧倒的な、そこにあるという、そこに存在しているという天狗の放つ重圧は、俺の全身の動きを止めた。妖怪だってそう簡単に危害は加えてこないはず、という確信のない思いが脳を走る。
「で、儂に何か用か?」
「ッッ…………」
言葉に詰まる。俺に恐怖とも言えるプレッシャーがまとわりついてくる。話そうとしているのに喋れない、それはプレッシャーだけでなく、視界に映る天狗という存在があまりに身体的に大きいというのもあるだろう。下級生の上級生に対する感覚に近いと思う。
俺が黙っていると、天狗はばつが悪そうに頭を掻きながら言った。
「いや、分かるぞ。聞かなくても、儂の力をもってすれば人間の考えてることぐらい簡単に分かる」
「いや、そんなの無理だろ」
勢いでツッコむ。
天狗が不気味で寛大寛容な微笑を浮かべた。
「はっはっは、さっきまで儂に恐怖していたくせにか? 震えて硬直していたお前が今のように喋れたのは、儂の力のお陰でもあるのだぞ」
そう言えば、今のほんの一瞬の間で随分と体が軽く感じるように思える。天狗を見ても恐怖の対象と言うよりは、長年連れ添った親友のようなフレンドリーさで関われそうな勢いだ。と言うか関われる。
「でもそんなの無理があるだろ。確かに今俺はこうやって普通に話せるようになってるが……そもそもでこうやって話せる事が普通なのかもしれないし」
天狗は一瞬横目で、こいつは何を言ってんだかと言わんばかりの表情を僅かに滲ませる。
「感情のコントロールと言う物だ。自分で言うのもなんではあるが、儂は妖怪の中でも高位の……高位と言うよりは皇位と言った方が良いくらいのクラス、他者の感情をコントロールするぐらいはお手の物なのだ」
「……」
「……信憑性を高めさせるものならあるぞ。……気付いているだろう、本来この時間帯ならこの商店街の人通りはすごいはずなのだ。それが人一人も居ないという事実、これもまた儂の空間を隔絶する力によるもの」
それについては信じるしかなかった。さっきまで周りにいた人々の喪失。見える限りで百人以上はいたはずで、まだまだその百人の向こう側に人がいるはずなのだ。それが気付けば誰もいなくなっていた。そんな不思議な現象を起こせるのは、恐らく人間にはいない。
「ところでお前には儂に聞きたいことがあるんだったな。狐や力についてと言ったところか?」
「大体合ってる」
感情のコントロールとやらが出来るのなら、感情を、考えを読み取ることが出来ても不思議ではない、かも知れないと自分の頭で脳内完結させる。
実際、読み取ってるんだろうな。
「にしても、人間にこの儂の姿が見られるとは……これもバランスの崩壊のせいか……」
「バランス……?」
詩乃音の言っていた事と同じ意味を持つであろう言葉に、俺は反応する。
だが、天狗はそれには答えなかった。
「いいや、人間のお前には関係ないことだ、気にしなくていい。……それで、儂に聞きたいことをお前から詳しく聞こうか?」
その翼で空に浮きながら、天狗は言う。
「そうだな……ある女の子がいるんだけど……夏川詩乃音って言うんだ。いや、お前が覚えているのかは分からないが、彼女はお前に……天狗に死者から妖怪として生き返らせてもらったって……、それは事実なのか?」
天狗は即答。
「ああ、分かるぞ。お前の思考から読み取れる。覚えているかと言われれば覚えていない、忘れていた。ただ今思い出した。お前の言う通りだ、夏川詩乃音──彼女は儂が狐として新たな人生……、ふむ、人の生ではないが新たな一生を与えた」
天狗は答える。曇りのない濁りもない、嘘のない言葉。俺は天狗の答えをそっと受け止め、意味のない方向のない礼とともに、続けて問う。
「俺が言うのもおかしいし、彼女自身、何を思っているか分からないけど、人を生き返らせた事について礼を言うよ。事故で亡くなった不遇な彼女に新しい一生を与えてくれて」
「ふむ」
「次はそこからの問題なんだよ。生き返らせてもらって、しっかり生きているのは生きている……だけどあいつは他の妖怪に狙われてるんだよ。理由は元人間だからということだ、執拗に追いかけてまで狙う理由が何なのかは知らないけど、それでも彼女はその力で何とか妖怪達を退けてきた。でも今、彼女はとても危険な状況に置かれてるんだ。どうしようもなく、どうしようもない状況なんだ。お前が詩乃音に、妖怪として生きる方法を教えたっていうなら、もう一度あいつに何かしてやってくれないか」
力強く、助けたいと願った。詩乃音を救いたい、少しでも力になりたい。
「お前が彼女に妖怪としての生を与えたんだし、それなら、彼女が力をコントロールできない理由も、分かるんじゃないのか。……そしてそれを解決する方法も」
「それはお前のせいだよ、彼女が力を制御できない理由は」
ほんの一瞬の間すら空けずに天狗は答えた。
「は?」
「お前のせいなんだよ。……お前にはそういう力がある」
天狗は言った。