惨劇の時
前略。
あの後俺は、誰もいない公園で約二十分ほどブランコで遊んでいた。もう高校生なのだが、周りに誰もいなかったので、これはチャンスだ……と思わず飛び付いてしまった。
年甲斐もなくブランコをこぐ高校生の姿は、他人から見たらどういう風に映るのか。少なくとも微笑ましくは見えないと思う。
つまり俺の言いたいこととは、それほどまでに何もすることがなかったのだ。高校生にとって退屈というのは、もはや拷問、地獄、生き地獄。そう、生きながらの地獄そのものなのだ。
まあ、実際その人の考え方で変わるよね。と言うのがリアルな考えだけれど、大抵の学生にとっての退屈とは本当に退屈の極みなのだろう。彼らは授業中に退屈しつつ、退屈に身を置きつつ、その退屈から逃れようと努力している。その方法は各々変わってくるだろうけど、皆の思いは変わらない。退屈だという思いは消えることはない。
こんなに退屈退屈言ってるとゲシュタルト崩壊を起こしかねないのだが、それでもここでこの思いを綴るのを止めるわけには行かない。
俺は伝えなくてはならないのだ。
退屈とは悪だと。
退屈とは地獄だと。
退屈に打ち勝つこととは、正義を貫いたということだと。
訳の分からぬ中二じみた論文はこの程度に納めてとくとして、なんと、俺の耳に自分を呼ぶ声が聞こえてきた。
「千九咲ぁッ! おーい!」
どうやら火紅涅のようだ、彼女の辺り一体に響くような大きな声は、もはや退屈の極みにたどり着き、無心でブランコをこぎ続けていた俺の精神を現実へと引き戻した。
「千九咲ッ!」
「うわっ!」
現実に引き戻された俺は、すぐ側に火紅涅が居ることに気づいた。後二歩位近付いてきたら、ブランコに巻き込まれる距離だ。
「び、びっくりしたー。こんな近くで大きな声出すなよ……、道理で辺り一体に響くような超爆音のように聞こえた訳だ」
「何よそれ、何かバカにされてるみたいね」
「いや、全然バカになんかしてないよ。対戦ゲームしてるときに無茶した挙げ句自滅してしまったプレイヤーのこと位バカにしてないよ」
「バ、バカにしてるのかしてないのか区別が付きにくい! て言うか、やっぱりバカにしてるよね?」
「まぁ、本当のこと言えばバカにしてる。……だけどさ……尊敬もしてるよ、お前のこと……」
「千九咲……」
「嘘だけどね」
「うわあああああああああ」
火紅涅は俺に飛びかかろうしているようだったが、その動きを寸前で止めた。それもそうだ、飛びかかればブランコの軌道に巻き込まれるからな。
「くっ、もういいからブランコをこぐのを止めて、いい加減に降りてよ!」
「いやはや、それは無理な相談だぜ火紅涅。ブランコの動きを止めてしまえば、お前は間違いなく俺にDV紛いの行為を行ってくるだろうからな」
「何よDVって! 私はそんなに暴力的な女じゃないわよ! し、しかも夫婦なんかじゃないでしょ、私達って…………」
後半、照れてるみたいで顔を隠しながら言った火紅涅。何か可愛い。だけどここは言わせてもらうぜ。
「少し落ち着くんだ火紅涅。夫婦って決めつけるのはどうかと思うぜ。確かにさっきの詩乃音との関わりによる余韻が残っているとはいえ、DVは夫婦だけ問題とは限らないんだぞ。それにDVは人々の関係の中で、ちゃんと見直して正していかねばならない問題でもある」
「う、うるさいわね、わかってるわよ……そんな詳しく言わなくてもいいって。……て言うか早く降りて」
「それは無理だと何度言ったら良いんですか火紅涅先輩」
「私は絶対にアンタに手を出さないわ。だから安心して降りてきて、降りてくれたらジュースを奢ってあげるわ」
「それでも無理だ」
「…………そんなに……そんなに私の言うこと信じられないの? ひどいよ千九咲……」
火紅涅の雰囲気が急に鬱な暗いものに変わる。さらに彼女は、地べたにへたり込み涙を流しながら言った。
それを見た俺は、思わずブランコの動きを止め、火紅涅の側に寄る。
「お、おい、火紅涅……。ほ、本当にごめん……まさかここまでダメージを与えるなんて思ってなかったんだ……。本当にごめん。…………ほら、立てるか?」
俺は火紅涅の背中を擦りながら、その手に彼女の嗚咽を感じた。立たせようとして、持ち上げるような感じ彼女を引き上げる。──いや、引き上げようとした瞬間。
「せりゃあああああ!」
「でじゃヴッ!」
声と共に繰り出された火紅涅の拳、俺の腹部に突き刺さる。そしてそのままアッパーカットのように上に打ち上げられた。
突拍子に行われた暴力行為に俺は何の反応も出来ず、「でじゃヴッ!」という意味不明な甲高い奇声を上げて、火紅涅の頭上を舞った。
「嘘泣きよ……、極上ものの演技だったでしょう?」
「……な、なんてやつだ……演技だなんて気づかなかった。たった一撃を加えるために俺に泣き顔を見せたのか……、なんて精神、なんて執念、なんて覚悟だ……」
嘘泣き……だったとはな……。
俺は地面にうつ伏せに倒れた状態で言った。
閑話休題。である。
──公園から所変わって商店街へ向かう道を歩いている俺達。
初めて町に訪れたかのように、おろおろと所々を見渡す火紅涅。彼女が商店街を中心とした地域に来たことは初めてではないけれど、ここ最近様々な改修工事が行われていたのもあったので、火紅涅にとってはまるで新天地のように見えたのだろう。
「随分と……色々な所がかなり変わってるね……何だか外国に来たみたいだよ」
「確かに変わったな。……少し前にここより少し離れた都市部に人が行くようになってさ、商店街の売り上げが思うように上がらなくなったんだ。売り上げの維持も難しくて、もうここは取り壊しにしてしまおうって事になってたんだけど……、商店街の会長がどうしても昔のような活気を取り戻したいということで、現代風に商店街を造り直したんだ」
「なるほど。だからこんなに商店街が豹変してるのね、以前とは異常なほどな変化よ」
火紅涅が納得したように頷いている。
「それだけじゃないだろうけどね。実際お前は、つい最近までアメリカに住んでいたんだし、久しぶりに帰ってきた故郷……日本が外国に思えるってのは間違いじゃないと思うぜ。そうなれば改修工事なんてなくたって、外国に来たような感覚はあると思う」
「確かにそうだね……」
火紅涅はそう反応する、そして話の焦点を少し前に戻した。
「て言うかさっき現代風にしたって言ってたけど……」
「……? それがどうしたんだよ?」
「そこまで現代風じゃなくない……? 確かに昔よりは今時の感じに近づいてるけど、まだまだ超古風って雰囲気だよ」
「……それは仕方のないことだろう……。会長がそういう人なんだし、完全に現代風にしてしまったら、それはもう商店街じゃなくてデパートになっちまうよ」
「商店街もデパートも同じじゃないの?」
「いや、違うだろ。言葉のあやっていうかさ、それこそ超古風な雰囲気と現代の雰囲気の違いだろ」
と、ここで気になることを俺は問う。
「て言うか超古風って……お前はどこまで昔な物だとおもってるんだ? 少なくとも平成元年レベルは越えてるだろ?」
え、嘘でしょ。本気で言ってるの?──と火紅涅は言う。
「間違いなくこの商店街は遥か昔、原始時代レベルまでイッちゃってるよ」
「あ、ありえねぇ、何で石器が使われてるようなところまで飛んでるんだよ! ついでにそんなレベルには行ってもないしイッてもねぇ! 変な言葉づかいをするな!」
「あはは、ごめんねー」
全然反省してないらしい。
と思った瞬間、火紅涅は追撃を行ってくる。
「でも、よく私がそういうニュアンスで言ったと分かったね」
だけど、ここは冷静に追撃を跳ね返す。
「そりゃ、さっきの言葉のあの部分だけ発音やら何やら違ったしな。めちゃくちゃ違和感あったしね──」
ということで閑話休題。
閑話休題という少し前に言葉を使ったわけだが、さっきのと間が全く空いていない。それは、やはり覚えたての物とは、言葉でも行動でも使いたくなるものなのだからだろう。見せつけたくなるものなのだ。
──商店街道から所変わって商店街ど……所変わってなかった。いや実質的には数百歩分違うのだけれど、大まかに見ると全く変わってない。
「──で、急に町案内してほしいってどうしてだ?」
俺は公園を出る時に言われた言葉を、火紅涅に伝え返す。閑話休題の時のスキマの話だ。
「んん? 別に特にそれといった理由はないよ。ただ、なんとなくね……思い出したの、昔町案内してほしいって言って、ガイドしてもらった事を」
「……あったな、そんなことも」
本当はずっと覚えていた事ではあったが、俺は火紅涅と同じく特にそれといった理由はなく、今思い出したかのように言った。
「昔は漫画みたいな事がいっぱい起きたよな」
ふと俺は昔を思い出した。二年前の話だとか五年前の話だとか。
「漫画みたいかー……、確か宇宙人みたいな人に追いかけられたりしたよね。あれ本当に人間だったのかなー」
「どうだろうか俺には分かんないな。まあ、今もなお鮮烈に残っている記憶ではあるけど」
「それだったら他の出来事も覚えてるんじゃないの?」
「当然だろ? 俺から振った話でもあるんだからな、沢山覚えてるぞ。さっきの宇宙人の話、不思議な石の話、謎の豹柄犬の話、それと一番印象的なのが……」
ここで俺の思考は止まりかけた。自分で言おうとしていた事に驚きを隠せなかった。
俺の口が動きを止めたとき、続きを火紅涅が発した。
「……ああ、もしかして──あの大きな大きな、赤い天狗みたいな奴の事?」
天狗……と彼女は言った。
それはもちろんあの天狗で、詩乃音や神崎を化け狐としてこの世に復活させた者で……。
彼女の言葉によって俺の記憶は明確にはっきりと元に戻った。
「俺達は……天狗に……会ったことがあるんだよな?」
俺はいまだ戦慄を感じながらもそれを隠せずに、そのまま問い返す。
「うん、あるよ? だけど、あれが本物だったのかは分からないけれどね。何せあの頃は子供だったからねー、思い込みからそう見えただけかも」
「いや……それはない、絶対に……」
俺は小さな声で呟いた。火紅涅には聞こえないような声、自分自身に確認するように言ったのだ。
……そう思い込みから……なんてのはありえない。だって、俺は既に出会ってしまっているのだから。見間違いなどあろうこともなく、確実に自身の目で見た。
それよりもだ、何故俺達は昔天狗に出会ったのか……。ただ、何の理由もなく偶然にも出会っただけか? 仮に何か理由があるとするならば、確認のためにも……理由を突き止めるためにも俺と火紅涅の記憶と証言を照らし合わせた方がいい。
「あー、赤信号になった。車が来るから危ないよ、少し下がって」
「え、あ、ああ」
天狗について考え込んでいたところを、火紅涅がその言葉と共に俺の体の前に前に手を出すことで、動きを制止させた。
突然のことのように感じてしまい、俺は思わず戸惑った返事をしてしまう。
「どうしたの? さっきから悩ましい顔してるけど」
「いや、別に何もないんだ。気にしないでくれ……」
「そう……?」
最初は考えを整理しようと話を中断したが、俺はすぐに話の綱を引き戻した。
「──やっぱりちょっと待ってくれ」
一旦会話を止めておいて、数秒の間もなくまた会話を始めた事に、少なからず驚いた様子の火紅涅。
「ど、どしたの?」
「えー、記憶の整理……というか照らし合わせをしたいんだけど。いいか?」
「照らし合わせ? 分かった、良いよ」
何事もなく了承を得た。
なので俺はすぐに簡単な記憶の断片照合を開始した。これにより、火紅涅の言う天狗が一体何なのかが分かるはず。
「俺達が会った天狗ってさ、その、なんだろうな、鼻が長い奴だよな?」
「うん、そうだよ」
「赤いって言うのは、全身赤くて暗めの赤だっけ?」
「んー……確かそうだったと思う」
「何かすごい威圧感的なのはあったかなー?」
「いやあ、私だってそんな細かいところまで覚えてないよ。だって小学生ぐらいの話じゃなかったかなー、それとももっと小さい頃かな……」
「……もしかして最近また天狗に会ったりとかしてないか?」
「んー、会ったりしてないよ。してたらすぐに言ってると思うよ」
「そうか……」
「本当にどうしたの? 何かあったの?」
彼女の質問に一瞬ドキッとさせられたけど、すぐに質問への解を伝える。
「いや、何もないよ。……あったといえばあったけど……、最近偶然にも妙に色んな事に巻き込まれてな」
「ふーん、気を付けた方がいいんじゃない? 偶然ほど恐ろしいものはないからね。偶然だと思ってたものが、実は作為的なものだったりするのは別におかしいことなんかじゃないから」
──その後何度も質問を繰り返したりした。本当に細かい質問もやり、意味もない質問もしたり、思い付く限りの疑問を火紅涅にぶつけた。
その結果得たものは、単純な物だった。
俺と火紅涅の、互いの情報に間違いがないのであれば、恐らく過去に出会ったはずの天狗と現在に出会った天狗は全く同一の妖怪であると言うこと。
動物における種族的な問題があるかも知れないため、中身まで同じとは限らないが、少なくとも過去に見た天狗が、最近見た天狗と同じ系統の妖怪であることはまちがいない。
仮に種族の問題を無視して、昔と今の天狗が全くの同じ存在ならば、何故また俺の目の前に現れたのか。それは偶然なのかそれとも意図的なものだったのか。偶然というのももちろんあり得るものではあるけれど、意図的なものであることも否定はそう簡単にできない。
何故なら朽木さんも言ってたからだ。天狗はかなり高等な妖怪であるけど、高等な妖怪ほど意外な理由で、完全に私的な理由で動いていたりすると。私利私欲である。
とにかく、これはよくわからないけれど何らかの理由があって、意図的に俺の前に出てきたという可能性は無いわけではない。
意外な理由というもので動いているのならば、それは本当に意外で異常な理由で、予想などできるはずもないものなのだけれど。
たまには考えすぎるのも悪くはないはず。
火紅涅の言った、偶然ほど怖いものはなく作為的なものだったりする。という言葉を頭に浮かべた俺は、彼女に相談するのも悪くはないと思い、真実は話さぬように相談を持ちかけようとした時だった。
「なあ、火紅……涅?」
俺は火紅涅がいるはずの真横の右方向を見る。けれども、そこには誰もいなかった。まるで怪盗かのようにいつの間にか消えていた。
考えに没頭していたのもあったのだろう、彼女が消えていたことに気づけなかったようだ。
ちょっと焦ってしまい、火紅涅を探す為に辺りを見回そうとした瞬間。
一瞬、耳に響いた車の轟音。その芯から響くような音は大型車、トラックだと思われる。
そしてトラックの轟音と一緒に何かが砕けたような潰れたような破壊されたような粉砕されたような、気持ちの悪い音も耳に届く。
更に同時に俺の顔に、生臭い液体が付いた。どろどろの液体で、思わず手で顔を拭ってしまう。拭った手を見てみると、そこにはとても赤い赤い液体。綺麗で汚い透き通っていて濁っている赤の液。
今、俺の目に映っているのは、誰も通っていない横断歩道と緑がかった青に点灯する信号機だった。




