惨劇の寸前
朽木さんとの短時間の話を終えて、俺はすぐに本屋に戻った。頼まれた物を買って、すぐに空港へ向かったが──間に合わなかった。
て言うか、起床した時間が遅すぎたのだ。急いで空港に向かって間に合うか間に合わないかギリギリの時間。一分一秒を争うくらいのタイムリミットの中なので、朽木さんとちょっと話しただけで遅れるのは当然である。
などと言ったように冷静に遅刻の原因を分析しながら、空港から家への帰路についた俺だった。
「はぁ……何だか怒られそうな気がしなくもないぜ。寝坊した俺が悪いんだけど……」
海外から久しぶりに帰ってくる幼馴染みを、空港にて出迎えることに失敗した俺は、随分とブルーな気分だった。
だって帰りを俺の家族皆で祝ってあげるはずだったのに……それは希面一家も知ってること。なのに俺だけが出席してないなんて……、何か気まずいな。
「とりあえず様子見だ──」
空港に向かって間に合わなかったというのは、そこにはもう俺の家族も火紅涅の家族も居なかったということで、俺がタクシーで全速力で向かっているときに入れ違いになったということなのだ。
つまり俺が家に戻れば、もう皆家に帰っているはずだろうと……。
ちなみに携帯に着信はない。見捨てられでもしただろうか。
「誰も居ないよな……こっそり部屋に閉じ籠っておこう。今日は部屋で籠城作戦だ」
俺は自宅近くの木の影で、家に人が居るか居ないかを見ていた。
家には誰も居ないようで、どうやら出迎えが終わったあと、皆それぞれどこかに行った。若しくは、二つの家族そろって食事にでも行ったのだろうと思われる。
「よし、行くぞ」
俺は忍者のように足音をたてず、静かに家の玄関へとダッシュした。秘技、消音ダッシュである。
「鍵はどこだ? ポケットだったっけ? それともバッグ?」
俺は玄関の鍵を探そうと、慌ててポケットやら肩にかけた小さなバッグを漁っていた。すると、トントンと背中をつつかれたような気がした。
「ん、何だ?」
とりあえず後ろを振り向いてみると、そこにはまさかのあの子がいた。
いや、溜める必要もない、……俺の真後ろには……希面火紅涅がいたのだ。
「か、火紅涅……」
「あー、久しぶり。……会うのはいつぶりだったかな、大分時間経ってるんじゃない?」
思ったより距離は近く、一瞬風に舞った彼女の赤の──朱色の髪の良い匂いに、俺は体を奮わせ、震わせた。色んな意味で。
「久しぶり……だな。……確かにもうかなりの時間が過ぎたよな。最後に会ってから……もう…………、ああくそ、感動に浸れちゃうぜ、へへっ」
本当に感動に浸っていると、火紅涅はその思考を遮るように俺に言った。
「何で来てくれなかったの?」
「……ぇ」
「ねえ、何で来てくれなかったの?」
「…………」
彼女は笑顔だった。それはもちろん本当の笑顔じゃなくて、偽物の恐い笑顔だった。火紅涅の向けてくる視線と目が合わないように、俺は少し横を向く。
「お、俺にも色々あったんだよ。お前のために漫画を買っていたら中学生時代の旧友を見つけたんだ。話しかけてみたら、思いのほか会話が弾んでしまったんだよ、それはもう人気アイドルのライブ並みに激しく弾みまくったぞ」
「……千九咲って中学の時友達居たっけ? 居たとしても、会話が人気アイドルのライブ並みに弾みまくるなんて信じられない……」
本当に驚愕、驚いた顔をしていた。素っ頓狂な間抜け声をだしてしまいそうなほどの顔。すごく……すごくだぞ、すごく俺に失礼じゃないか……?
そんな言葉と顔に俺は少々反感をもつ、なので事実を包み隠さず彼女に言う。
「火紅涅、それはかなり失礼だぞ! 俺に友達が居ないなんて決めつけるのはどうかと思うぜ」
「じゃあ、居るの?」
「居るに決まってるだろ! 友達くらい五……いや、少なく見積もっても三人ぐらい居るわ!」
「三人って少なくない!? しかも、少なく見積もらなくても少ないし! て言うか──」
「ちょっと黙るんだ」
「はい」
俺は静かな声で火紅涅を制止する。
そして正論と思わしき空虚な空論、空論のような正論、机上の空論のような持論を俺は述べる。
「一つ言うぞ。……正直俺は友達が多いのはどうかと思う。だって人に与えられた時間は、その人の行動によって多少変化するとはいえ、基本的に平等なんだぜ? それならば、友達が少ない方が狭く深くということで絆が強いはずだ。それに比べて友達が多いやつは、時間が足りず広く浅い関係になってしまい、上部だけの関係になってしまう可能性が高いんだ!」
この言葉に対して火紅涅は、速攻で即効の反論で切り返してくる。
「確かに一理ある……けど、友達との絆の強さは時間に比例する訳じゃないのよ! その人と過ごした時間の長さなんて関係ない、互いに互いの事を大切に思えるかが大事なの! 人の絆は時間じゃない、……【想い】、【気持ち】よ!」
「ぐ、ぐああああああああ!」
やられた……。反論するための言葉がない訳じゃない、反論だ……と抗議できない訳じゃない、だけど、彼女の言葉には無理矢理にでも納得させようとする──させてしまう【想い】と【気持ち】が込められている。か、完敗だ……。
「……今回は、私の勝ちみたいね」
火紅涅が昔の武士のように……刀を鞘に納めるような仕草を見せる。
「く、くそ……」
逆に俺は、一刀両断された悪者のようにお腹を押さえながらパタリと倒れた。
「……な、何をやっているの? もしかして夏の暑さに頭をやられておかしくなったの?」
地面にうつ伏せになっている俺は、突然聞こえてきた声の方へと目を向ける。すると、そこには風にその綺麗な金髪をなびかせた詩乃音が居た。
「お、おおおお? 詩乃音じゃないか、久しぶりだな。六、七万文字ぶりくらいか?」
「なんなのその表現の仕方!」
「すごく分かりやすいだろ?」
「すごく分かりにくいし、何だかバカにされてるみたいで嫌だ!」
と、その場に伏せたまま詩乃音を見ていると、彼女の視線が動いていることに気づいた。俺はすぐに立ち上がり、視線の先に何があるのかを見る。
詩乃音は火紅涅を見つめていた。数秒の後、彼女は視線を切って、申し訳なさそうに言った。
「んー、何だかお邪魔だったような気がしてきたから、ここは一旦帰るね?」
詩乃音は一体何を気遣っているのか。そんなことを言う。
火紅涅の方をちらりと見てみると、
「い、いやいやお似合いカップルだなんてそんな……。な、なんてこと言ってるのよ……全くもう……」
「ちょっと待てーい! 誰がお似合いカップルだ! 付き合ってもねーんだぞ?!」
火紅涅が頬を赤らめてそう言うので、俺は反射的に突っ込んでしまった。
「なに言ってるのよ千九咲、私たちは自他共に認める史上最も強く愛し合ったカップルでしょ?」
「どこがだぁぁぁぁ!」
「どこがって全てがよ、私たちの愛は風にも雨にも負けないわ」
「悪ノリにも程があるだろおおおおおおおおおお」
すると、詩乃音と火紅涅は互いにその距離を詰める。何をするのかと思ったら、何といきなり握手をし始めた。
「私、あなたみたいなセンスのある人好き。私の名前は夏川詩乃音、あなたの名前は?」
「私もアンタみたいな人すごく大好きよ。名前は希面火紅涅、これからよろしくね」
「うん。こちらこそ」
こ、これは……眩しい、とても輝いているオーラがみえる。互いに友となった瞬間じゃないのか、これって。
「くっ、……い、いきなりだ! このたった少しの間で、いつの間にか強固な絆が結ばれただと!?」
──じゃなくて!
こんなことしてる場合ではないと思うのだが……。
「て言うか、別にお邪魔じゃないんだから帰らなくていいんだぜ?」
俺が話の筋を元の方向に戻すと、詩乃音は首を振って答えた。
「ううん、大丈夫。また後でくるよ、それに用事は二人の時じゃないとね……、それじゃね。火紅涅ちゃんも今度遊ぼうね」
妖怪関連のことだと言うのは分かったのだが、火紅涅のひょっとこ顔を見るに、彼女は別の意味で解釈したらしい。まあ、俺としてはモテる男として見てもらいたいので、弁明する気は一ミリもない。
「あ、うん、ばいばーい……」
早くもこの場から離脱しようとする詩乃音に手を振る火紅涅。彼女が見えないところまで歩いて行ってしまうと、火紅涅はすぐに俺の方を向いた。
「え、え、え、えっとさ、もしかして二人って……」
「いや、何も変なことはないよ。それらしい関係も何もないって。ただ単純に……本当に大事な話があるだけだよ」
俺は火紅涅の言葉を自分の言葉で遮った。
「そっか……分かったわ……」
火紅涅が小さく頷いたのを見て、俺は詩乃音に去っていった方を見てみる。
すると、そこから両親の乗っている車。家の車がこちらに向かってくるのが見えた。
「ん? あれってまさか……。ヤバい、帰ってきた、家の家族が……」
「え?」
「と、とりあえず、俺も一旦ここから離れるからな! 姉ちゃんとか母さんや父さんに怒られたくないからな!」
俺は急いで家の裏門に向かう。
すると、後ろで火紅涅が大きな声で言った。
「じ、じゃあ近くの公園で待っててよ! ほら、中学生の頃に一緒に行ったあの公園、私もすぐに行くからさ!」
「ああ、わかった! 早く来いよ? あまりに遅すぎるとどっか他のところに行くからなー」
俺は彼女と同じく大きな声で返答する。
と言うわけで、近くの公園にひとっ走りといこうか。




