最後の昔話
「──これで俺の昔話は終わりかな」
ジュースという液体を飲み干し、既に氷と氷が溶けた水だけしか入っていないコップ、その中をストローで意味なくかき回す俺。
上の空のような表情で、「昔話は終わりかな」と言ったんだと俺は思う。
「ん?ちょっと待って天城くん。全然終わって、ないよ?! 結局それからどうなったのか言ってないじゃない」
一瞬納得したような顔をしたかと思えば、いきなり「おわってねぇよ」みたいな顔で抗議される。困ったもんだ。
「ああ、そうだな。確かに続きを言ってなかったよ。別にどうでもいいかと思ってさ」
「いや、どうでも良くはないよ……」
別に言う必要はないかと思ってる。
だって、あの物語の先は話さなくても十分に予想がつくはずだ。大抵のやつがだいたいこんな結果に、こんな道筋になるんだろうなぁ、って予測できるはずだから。
神崎ならその予測だって容易なはず、彼女の頭なら……彼女の思考力と発想力と想像力と、予測力を超えた予知力ともいえるものがあれば、冒頭から既に予知し終えていても何ら不思議ではない。
……ごめん、流石に言い過ぎたかもしれない。
でもそんな神崎が敢えて聞きたいという事は、何か別の意図があるのかもしれないな。
「本当に言う必要もないと思うけどな。あれから火紅涅ちゃんと一緒にいじめてきたやつらのところへ殴り込みに行った。それだけだよ。謝らせて、色々と説教みたいなことしてさ。一応この町は火紅涅ちゃんの地元だからな、アイツが大会社の社長令嬢だってのは周知の事なんだ。アイツが親の七光りを利用してるのはみたことないけど、そんなもの使わなくても相手は世間を知り始めたばかりの中学生だ。手を出そうとはそうそう思わないだろうな。……て言うか手を出してきても火紅涅ちゃんは素で強いから、多分返り討ちにあうと思う」
俺が説明を施し終わると、神崎の目は納得していないような、鋭い眼光を見せていた。
「……終わりだよ、全部終わり。この昔話にこれ以上の結果はない。これ以上の知ることはない」
「何か引っ掛かる」
神崎は言った。
声のトーンはいつもより少し低めだった。
「どうして途中で話を切ったの? どうして物語のクライマックスで切ったの? だっておかしいよ、ここまで話したら最後まで、聞かれなくても結果はちゃんと話すだろうし。この先にあるのは多分、気持ちのいい解決が待ってるだけ。嫌な事を言う訳じゃないんだから、語るのを渋る理由もないと思う。なのに、この事について話すのを嫌がるのは……、本当に嫌なことがあった……とか、……予想外の出来事があった……とか……だったりして?」
狐……に限らず、獣って言うのは大概が鋭敏な感覚を持ってるよな。神崎も人間であって妖怪。人間であって化け狐。人間であって獣なんだ。
だとしたら、神崎にも獣のような鋭すぎる感覚があってもおかしくはないと思った。もとから鋭い感覚を持ってると思われる神崎に、獣のそれが足されたなら……いや掛けられたなら、それはとても大変なことになるだろう。
今のように……全てが見透かされる。
「何かあるなら話して、天城くん」
いくら話さないと言ったところで、結局は説明させられる羽目になるだろうと俺は思ったので、もう潔く話そうと思った。
「……何で分かったんだ……?」
「ただの予測……って言えばすごく思えるけど、実際は天城くんの考えを読んだだけ」
テレパシー……。このタイミングで発動するか……。
「テレパシーか……読心究極奥義だな」
「そんなに大層なものでもないけどね」
「いや、十分大層なものだろう。普通できないことをやってるんだぜ?」
「まあそれもそうね。とりあえず話を逸らすのは止めましょう」
バレたか……。このまま忘れてくれたら嬉しかったんだけど。
そもそもで心を読まれてるんだから仕方のないことだよな。
でも、どうして……、このタイミングで。本当にいいタイミングで能力が発動したのか。そこは本当に気になる。
「……どうしてこのタイミングで能力が発動したんだろうな。お前の能力は、そう容易に使えるものじゃないんだろ?」
神崎は一度横を向いた。すぐにこちらに向き直り言う。
「天城くん……からとても恐怖の感情が溢れてる。物語の続きを話すのを止めた時から、ずっと感じてた。心を読む対象の感情が大きければ大きいほど、やりやすいのよ。……私の仮説では……」
なるほど、ご親切にご丁寧に教えてもらったけど、神崎も自分の能力を完全に把握してる訳ではないんだな。
「ああ、分かったから神崎。そんな恐い顔しないでくれ、すぐに話すからさ」
本当に恐い顔をしていた……ような……気がしたのだ。
「別に恐い顔なんてしてないから」
神崎の台詞を聞き流して、俺は昔話の続きを語る。何のオチもない、最低な話を。
「話としては単純さ。殴り込みに行った生徒の一人が……妙に恐ろしかったってだけだ」
本当はこの一言だけで終わらせる事もできた。
だけど、俺は語る。
●
「千九咲ー、最後の一人は誰?」
火紅涅ちゃんが「やっと終わるな」という表情で俺に言った。
「後は刈谷拓斗って人なんだけど」
刈谷が……恐らく全ての原因だと思う──と俺は続けた。
「その刈谷ってやつの家は……本当にここであってるの……?」
不安そうに呟く火紅涅ちゃん。
「一応学校で聞いた……んだけどね……」
火紅涅ちゃんが不安そうにするのも当然だった。
俺達の視界に映る建物……。それはかなり大きい家だった。けれども、その建物は……もはや廃墟のようで。
廃れに廃れた廃墟。例えるなら廃病院。見ているだけで恐怖を誘う建造物だった。
「とりあえず、呼び鈴鳴らしてみるわね」
火紅涅ちゃんは恐る恐る近付き、呼び鈴のボタンを押した。
やっぱり見た感じが廃墟なだけあって、呼び鈴も廃れているようだ……つまり、壊れてる。何も音はしない。
「それなら、直に呼んでみるしかないかな……火紅涅ちゃん、呼んであげて!」
「えっ、私が?! なんでよ!」
──口では嫌そうにしながら、結局やってくれる火紅涅ちゃんである。
「か、刈谷拓斗ーー! 出てきなさーい!」
火紅涅ちゃんの叫びは──届かなかったようだ。家からは誰も出てくる気配がない。
て言うか、この廃墟みたいな豪邸には、人がいる気配が全くないのだが……。
「出てこない……ね?」
「やっぱり間違ってるのよ、だって玄関に金属バットとかバールとか恐いものが置いてあるもん! 明らかに不良の溜まり場じゃない」
ほほう、確かに置いてある。
金属バットだけなら、まだ分かる……気がしなくもないのだが、バールは流石にな……。すごく恐い不良がバールを振り回してそうな感じがする。
「確かに勘違いかもしれない、学校にもう一度聞いてみようかな……」
「うん、それが──」
火紅涅ちゃんは、それがいいよ──と言いたかったのだろうが、言われるはずだった言葉は途中で途切れた。
「──良くないわね、やっぱり」
無理矢理言うことを変えたようだった。
そして、その言動には、恐怖が混ざっているようで……畏怖していたのか。
「あ」
俺も気付いた。
廃屋である建物。敷地の内と外を分ける壁。豪華な玄関門だったはずの、錆びた鉄門。
そこに貼り付けられた表札には、「刈谷」としっかり書かれていた。
「間違って……なかったみたいだね」
「……そうね」
火紅涅ちゃんが肩を落とし溜め息をつく、やるせない気分なんだろうな。俺もそんな感じだから分かる。
「中に入ってみる?」
俺は思いきって彼女に聞いてみる。
「嫌よ。確かに見た目はアレだけど、誰か居るかもしれないじゃない。見つかって不法侵入の罪に問われるのは嫌だから……。少なくとも学校の記録によると、この住所で合ってるんでしょ? 住んでる可能性も十分よ」
俺がうーん、唸って悩むような素振りをすると、火紅涅ちゃんは「……だから、少しだけ待ってみようか」と付け加えた。
ほとんど待つ意味はなかった。
数秒の後、すぐに刈谷はやって来たのだから。
狂気と恐怖を共に連れて……。
「──じゃあ、少しだけ座ろうかな、休憩休憩っと」
「道端に座るなんて汚いわよ」
火紅涅ちゃんの言葉はしっかりとスルーした。そのまま、俺は汚い道端に座ろうとする。
着座直前の俺をどういう目で見るのか気になったので、チラッと上目遣いのように彼女を見てみる。
その時見えた物に衝撃を受けた俺は、反射的に言った。
「危な──」
危ない。と言おうとした。
火紅涅ちゃんの後ろには、顔に憎悪をそのものを貼り付けた刈谷が居たのだ。彼は鉄パイプを手に握っていて──、火紅涅ちゃんに降り下ろした。
だからこそ、俺は反射的に言うべき事を言おうとしたのだが……間に合わなかった。
注意、警告、勧告、何とでも言えるが、それらが伝わる前に、刈谷は鉄パイプを振った。
金属と金属が互いに強くぶつかり合ったような音が響く。強烈な打撃だと言うことは明らかだった。
でもその音は、人に直撃した音ではないことも明らかだった。道路に、地面に、直撃した音である。
「火紅涅ちゃん!」
火紅涅ちゃんは無事に回避していた。
どうして回避できたのかは知らない。もしかすると、俺は鬼気迫る表情と声色をしていて、そこから読み取ったのかもしれない。若しくは、単純に彼女が凄いとか……。
「何を……やってんだよオオオオオオオオオ!」
刈谷が叫ぶ。悲鳴にも似た叫び。
「ご、ごめん、刈谷……。勝手にお前の家に押し掛けてさ。今日はもう帰るから……帰るからさ……?だから落ち着いてくれ」
俺は刈谷をなだめるように……囁くように言った。
彼はかなり興奮状態のようだ。迂闊に何かするとヤバイ気がする。
「……どうするの? 千九咲」
火紅涅ちゃんはいつの間にか俺の側まで来ていて、刈谷には聞こえないであろう声量で言う。
「とにかく……逃げよう……!」
すぐに逃げようとしたが、刈谷は俺達が行動に移すまえに回り込んでくる。
そして、その手に握られた鉄パイプを振り回してきた。
「……くそ!」
「千九咲!アンタは早く逃げて!」
「は?! 何言ってるんだよ! 火紅涅ちゃんも──」
火紅涅ちゃんの中にある正義感。彼女の正義とは守ること。自分の思う悪から自分の思う善を護るのが、火紅涅ちゃんの理念なのだ。
だから自分を囮に、早く逃げろなどと言えたのだろう。
「ガアアアアアアアアアアア!」
刈谷の一振り。その一閃は火紅涅ちゃんの右腕の肘の辺りに命中する。肘より少し上だろう。
「んぐ……」
火紅涅ちゃんは一瞬怯んだものの、腕を押さえながら刈谷に立ち向かった。
「駄目だろうがそんなのは……、火紅涅ちゃんに全部全部押し付けるなんて……助けてもらうだけじゃ嫌だって。今行かなきゃ駄目だろう」
俺は自分に言い聞かせる。
戦えるように、守れるように、助けれるように。
火紅涅ちゃんという一人の女の子だけには、悲しみも苦しみも、どんな悪をも触れさせたくない。
「うおおおおお!」
俺は火紅涅ちゃんを全力で押し退けた。
同時に刈谷が攻撃を開始する。
「あぐぁっ……!」
奴の一撃は強烈だった。しかも俺の頭部に直撃。
視界が揺れて歪む、脳へのダメージなのか頭の中から痛みを感じる気もする。激痛に思考すらも歪んだ。思わず一瞬頭を押さえた。
「千九咲!そんな……」
火紅涅ちゃんが声を震わせながら言う。
何に対して声を震わせているのかは分からない。もしかすると、一瞬頭を押さえた時に液状の物が手についたけど…………、大きな傷でも負ったのかもしれない。
「痛っ……」
電撃が走るように頭に痛みが襲ってきた。
だけど、そんなのは関係ない。
俺は思うままにとにかく刈谷を殴る。
素手での殴打と鉄パイプでの殴打の応酬。
数分間ほどの戦いではあったが。体感時間にすると、まるで何時間も戦い続けた感覚だった。




