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骸と神崎

 惡ノ宮ってこんなに遠かったっけ。地図を見て場所は完全に思い出し、理解したのだが、妙に長く感じる道中であった。

 長さを感じる理由が、自転車のスピードが遅いからで。自転車のスピードが遅い理由が、二人乗りによる重量によるもので。その重量の原因が、自転車の後ろに座る神崎だなんて死んでも言えない。

 言えないというか。なんというか。

 無意識にその考えはシャットアウトされていたとでも言うのだろう。この考えを意識的に認知できたのは、惡ノ宮に着いてからであった。

 惡ノ宮に着くまでには、およそ十五分。たったの十五分なのだが、とても長い時間だった。俺にとってはだ。

 別に神崎が後ろに居たからと言うわけではない。だって神崎はスタイルいいし、重いか軽いかと言えば、間違いなく軽いの部類に入るはずだ。つまりは、単純に俺が貧弱だったというわけだな。


 今度から筋トレ始めようかな。


 というわけでだ。

 二人乗りについて、意識的に認知できた俺は、惡ノ宮へと到着したのだった。


「──着いたな」


 着いた。ということで自転車は小さな駐輪場に置いて、俺達は山奥に続く石段の前に来た。


「そういえば神崎はどうして惡ノ宮に行きたいと思ったんだ? 俺が言うのも何だけど、あの神社特にいい評判があるわけでもないし、結構寂れてる感じあるし、ていうかそもそもで名前の時点で悪そうだし。ぶっちゃけ存在が無いみたいな神社だし。どうせなら近くの善ノ宮の方がテレビで取り上げられる位評判いいのに」


 俺が首を傾げながら、はっきりと言った言葉に対して、神崎はばつが悪そうに同じように首を傾げながら淡々と答える。


「私はね惡ノ宮に参拝に行くわけじゃないから。私の知り合いが惡ノ宮の神主に用事があったんだけど。いつもは元気なのに、まるで狙い済ましたかのようにその知り合いが風邪を引いたの……だから私が代わりに向かってるのよ」


 代理人? ってことかな。


「まあ、代理人ってことよ。ただの代わりよ、代わり」


 その通りだったらしい。


「付いていくよ。途中まで」


 そう言って俺は石段をのぼり始めた。

 神崎も頷いて石段をのぼる。


「にしても長いなこの石の階段は」


「そうね。これ以上ないってくらい」


 半分ほどのところまでくると、神崎はこう言った。


「天城くん。ここまででいいよ。十分案内してもらったし、私は子どもじゃないんだから」


 まあ、確かに子どもじゃないし。

 実際俺が付いていく必要もないよな。神崎の知り合いの用事らしいし、俺はむしろいない方がいいだろう。





 なので。俺は了承した。何のわだかまりも、何の疑問も、何の違和感も持たずに。


 そして、この後偶然にもかかってくる電話。全くもってただの私用の電話によって、俺は感じる。


 何となくのわだかまりを。

 何となくの疑問を。

 何となくの違和感を。


 何となくの何かを。


 見方を変えるなら、その私用の電話は最も大事な電話で、最もいいタイミングでかかってきたものなのだ。

 もしも電話の来たタイミングが、俺が惡ノ宮から離れてからだったら、俺は惡ノ宮に戻ろうとは恐らく思わなかった。だって誰もあの山奥の神社で、異常な事が起きているなんて思いはしないだろう。


 それに、俺が聞いたのはあくまで、気になることであって、『惡ノ宮まで助けに来てくれ!』何て言う台詞を聞いた訳でもない。


 まあ、つまりは、偶然だったのだ。

 必然のような偶然が、必然のような偶然と重なり、幾つも重なり、重なりに重なった。


 今日たまたま家の前で神崎を見つけたことも、俺が神崎を惡ノ宮に案内したことも、電話が来たときまだ惡ノ宮に居たことも、ちょうど姉ちゃんが電話をかけてきたことも、全てが重なっていた。


 そして重なり続けた結果。必然のような偶然は、偶然のような必然へと変わっていた。



 ──狐は居た。





「──あれ、電話。誰だ?」


 あれから惡ノ宮のある山の麓にて、休憩をしていた俺に一本の電話がかかってきた。

 携帯の画面を見ると、どうやら姉ちゃんからだ。


「ちょっと千九咲ー。私の自転車でどこいってるのよー。私、用事があるのに」


「ああ、ごめん。今惡ノ宮に行っててさ」


「惡ノ宮? なにそれ?」


 あれ、姉ちゃんはこの町に生きる人間ではなかったのか? まあ、こんな山奥の神社だし知ってる人も珍しいというのだろうか。確かに存在感が希薄な、参拝客ゼーローみたいな感じだけれど。


「いや、神社だよ。姉ちゃん何回か行ったことないのか」


「いや、ないな。多分ない。多分というか絶対にないな……。もしかして善ノ宮の事を言ってるのか? 何で善と悪、逆になってるんだ。悪の道を歩きたくなったか?」


「いやいや、だから善ノ宮は分かるけど、俺が言ってるのは惡ノ宮だよ。友達が惡ノ宮の神主さんに用があるんだって」


 電話ごしに首をひねって悩んでそうなため息が聞こえた。

 善ノ宮は知ってるのに、惡ノ宮は知らないんだな。同じ山奥の神社なのにさ。ネームバリューは確かに違うんだけれどさ。

 と、ここで姉ちゃんは気になる一言を発した。


「神主さん? 千九咲が言ってるのが惡ノ宮ならぬ善ノ宮なんだろうけど、二年前くらいに善ノ宮って神主さん居なくなっちゃったんだよね。何だか経営が傾いたというか、信仰が傾いたというか」


「……え?」


「その友達っていうのは……、もしかして神主さんが居なくなったことを知らないのかな? だとしたら千九咲、早く知らせてあげなよ」


 いや、そんなはずはない。

 だって、知り合いの頼みだぞ。知り合いから神主さんに通じてくれないかと頼まれたんだぞ。仮に神主さんが消えていたとしたら、それは事前に知らされているものではないのだろうか。


 だとしたら……、神崎に依頼した知り合いが、神主さんが消えていた事を知らなかったとか。そんなことだろうか。


 まあ、どちらにせよだ。謝っとこう。

 何だか悪いことをした気分だから。

 しかも、たまたま惡ノ宮のすぐ近くにいたし。ちょうどいい。


「じゃあ、姉ちゃん。また後で、自転車はすぐ返すよ」


 陽気に姉は言う。


「おーう。早く帰ってこいよー」


 じゃあ、また惡ノ宮をのぼりますかね。

 俺は側に停めてあった自転車にまたがり、惡ノ宮の石段近くまで行った。


 すぐ石段の前の鳥居に、立て掛けるように停める。


「ちょっと走るか」


 俺は小走りで石段を駆けていく。

 駆けれてないけれど。

 結構昇るの遅いけれど。

 ちょっとだけ息切れしながら、かなり長い石段をノンストップで昇った。

 石の階段の終わりが見えてきた。

 ほんの少し、後もう少しで昇り終えるというところで、俺はとっさに体を伏せた。ほふく状態。うつ伏せの状態に伏せたのだ。


 本当にとっさの行動。俺の視界に映った様子に対してのとっさの行動。

 石段の最後の段から恐らく三、四十メートルほどの距離だ。

 そこで謎の骨に、謎の骸に、謎の骸骨に、謎の人骨に、虐げられる神崎が映っていた。


「神崎……?」


 俺はじっと見ていることしかできなかった。ただ、見ていることしか。

 そして、ここで俺は精一杯に耳をすませた。離れた距離の音を、声を聞くのだ。


 聞くだけに徹した理由と言うのは簡単だ。あの骸が妖怪に近い存在。もしくは妖怪だということが分かったからだ。


 感覚に近い何かで理解した。一週間と数日前、詩乃音と共に鬼と戦った。正確に言うならば戦ったのは詩乃音だけなのだが。

 とにかく、その時鬼から感じ取った何かを。あの骸からも感じたのだ。


 あの鬼のはるか何十倍、何百倍もの何かを。

 だからここで俺が突っ込んで行っても、どうにもならないことは明白だった。


「いったい何をしているんだ……? 何が起きているんだ。とにかく聞こう。聞くんだ。……詩乃音ならどうにかできるかもしれない……」


 自分が詩乃音を頼らないといけないことに、俺は苛立ちを感じた。

 それでも今は、やることをやるしかないのだ。やれることをやるしかないのだ。

 そっとそっと耳をすます。風の音と共に、本当に僅かながら、小さく声が聞こえてくるような気がする。

 だが声など聞こえない距離だった。大きな声で喋ってる訳でもない。そもそも喋ってるのかどうかも分からない。

 だから俺には、何を言っているかなんて全く分からなかった。


 だが喋っていた。一つだけ聞こえた。

 骸が喋ったのだ。

 骸は、神崎を蹴り飛ばして言った。

 大きな声で。掠れたような声で。どす黒い声で。

 言った。


「この化け狐が」


 俺は伏せていたのに立っていた。気づけば立っていた。神崎が蹴られたと同時に、反射的に立ってしまっていた。

 俺は神崎に駆け寄ろうとしていたのだ。だが、それは止められた、骸に。

 骸はこっちを見ていた。


「ッッ──」


 声にならない声と共に、俺は石段をかけ下りた。転がり落ちるように下りていった、本当に途中から転がってしまったが。


 それは当然のことだろう。

 それほどまでに俺は焦っていた。

 それほどまでに俺はビビっていた。

 それほどまでに俺は心から恐怖していた。


 石段の一番下まで転がり落ちた後、所々が痛かった。こけた瞬間死ぬかと思ったがそんなことはなかったようだ。


 俺はすぐに鳥居に側に停めておいた自転車に乗る。

 全力で、全力で、とにかく、とにかく、ペダルをこいでこいでこぎまくった。

 ただひたすら自転車を動かす。何から逃げているのかも分からなくなるくらいに。


 俺は命からがらのよう、逃げた。

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