心霊とビビり
結局あの人は何だったのだろう。気になるな、凄く気になるな。猛スピードで突っ込んでくる自転車を宙にはね上げるなんて、普通は無理だから。間違いなく俺は無理だ。
お姉さんの事が気になっていたが、いつまでもそんなことを考えても、仕方がないので家に帰ることにした。牛乳も持って帰らないといけないしな。
「じゃあ帰るか」
ちょっとへこんだボディの自転車にまたがり、俺は帰路についた。
──自宅についたら玄関にて、姉が嬉しそうに手を伸ばしてきた。ここに牛乳を置けと言わんばかりに。
「ただいま」
「きたきたきた! それにしても随分と遅かったな、何かしてたのか?」
「まあ、ちょっとだけ色々あったんだよ」
「色々?」
「うん、色々」
「自転車盗られたとか?」
「何で分かったんだよ、おい!」
ホントに何故分かったんだよ!
「え、ホントに盗られたんだ……ちょっと引くわ。危機感の無さに引くわ」
「ええっ! おい!」
偶然かよ! 偶然による偶然の偶然かよ!
てきとうに言っただけだなんて!
びっくりした俺に、姉ちゃんが思い出したように言った。
「ん、ちょっと待て……。それ私の自転車だよな、だって家には私の自転車しかないし……」
「……」
「黙るなよ! 私の自転車がーーー!」
俺は思い返す。あの和服のお姉さん──略して和姉さん、読みはわねえさんだ。和姉さんの事を思い出す。
自転車の件、珍しく面白いことでもあるので、話してみよう。何か気になるしな、十中八九違うだろうが姉ちゃんの知り合いかもしれないし。
「──姉ちゃん。落ち着いて! ちょっと落ち着いて!」
予想以上の暴走、痛っ……姉ちゃんの拳が顔面に命中した。軽い一撃だったけど、鼻先だからジーンとくる……。
「うわあああああ、私のマイ自転車、私のマイチャリ、私のマイバイクがーー」
バイクではないと思うんだけどな。あっ、それともまさかのまさか、英語でのバイク──BIKEってか。それなら自転車と捉えることができる。
そんなこと言ってる場合ではないな。早く姉ちゃんをなだめないと。
「姉ちゃん落ち着こう。大丈夫だから。自転車は──姉ちゃんのマイバイクは大丈夫だから!」
俺は暴れる姉ちゃんを必死に押さえつけた。まあ、わかる。わかるよ。あの自転車は姉ちゃんが昔、三年分のお年玉を使って買った高級自転車なのだから。
自転車に高級も糞もないと思うが、そこはやっぱり人それぞれの価値観だ。俺だって意味なく大金はたいて、モデルガンとかしばしば買っちゃってるから。俺にとっては意味あるはたきだけどな。
「姉ちゃん……落ち着いた?」
「ああ、落ち着いた。最高の気分だ」
「それで、自転車は大丈夫だと?」
「ああ、全然大丈夫だよ。ばっちし生きてるよあの自転車。助けてもらったんだ、不思議なお姉さんに」
「不思議なお姉さん? なにそれ! すごく怪しい。そして、すごく気になる」
目が輝いていた……ような気がした。
「すごいインパクトあったぞ。覚えてるのは持ち物と服装とかかな。和服みたいな和服みたいな和服を着ていて、何かでっかいケースを背中に背負ってた」
あの服装は和風な洋服というか、洋風な和服というか、仮に洋服だったり洋風だったりしても、和というのが凄く合うような服だった。でも、凄く分かりづらい。
と、俯いて考えていた。すぐに顔を上げると、姉ちゃんの恐怖に満ちた表情が見えた。
「どうしたんだよ姉ちゃん」
俺は問う。
姉ちゃんは恐ろしげに答えた。
「それって……最近噂の……幽霊なんじゃ……」
「ほぉ…………ほぉっ?!」
ええええええええええええあええええええええええ! すごいびっくりしている。凄く凄くびっくりしている。もうビビりすぎて、大量の『え』の中に『あ』が混ざってしまったぐらいだ。
そんな俺に姉ちゃんは続けた。
「和服を着たお姉さんが話しかけた人に取り憑いて、そのまま自殺させるんだって……」
「な、何なんだよそれは。て言うかなんでそんな噂が立ってるんだよ!」
何てことだろう。噂の女性に会ってしまったのだ。あの和姉さんに。俺を助けてくれたあの和姉さんは、もしかして幽霊だったのかと、震えて思う。
まあ、確かにチャリ泥にとりついて、自殺させようとしたというのも、可能性としてはあり得る。
て言うかあんな勢いで自転車ごと空に打ち上げたら自殺というより他殺になると思うけれど。
「なんでこんな噂ができたのかは知らないけど、とりあえず気を付けろよ千九咲」
姉ちゃんは俺の買ってきた牛乳を持って、そのまま家を出ていった、凄い怖がっているな。即、家を出ていくなんてよっぽどだろう。
そして、俺は──。
とりあえず寝た。眠かったんだもの。別に驚いたけど、びびったけど、怖くはなかったよ。というわけで寝た。理由もなく寝た。本当は心の底で怖いと思っていたのかもしれないけれど。




