和とアホ
「いやあ、あれなんだろう。わかるよ。そう言うの。多分そういうことだっていうのは、ちゃんと理解している」
そうやって、何を言いたいのかよくわからない台詞を言うお姉さん。俺は理解できてない。お姉さんが言葉を続ける。
「つまりだ。君が言ったこと。疲れ果て、バテバテの状態で発した言葉は、何だっけ。そう、あれだよ。自転車返せぇ……とか弱々しく言ってたでしょ。自転車盗られたって事なんだろう。全然分かっちゃうよ」
「あぁ……はい……」
ちょっと困った気分になる。目の前のお姉さんの口は妙に早い。早いっていうか、早口ではないのだが早口に聞こえてしまう。そして、細々と切って一言ずつ言う感じ。少なくとも俺よりは細々と切っていて、何だか変な感じがする。
「あの、とりあえず、ありがとうございます。もうちょっとで、自転車持ってかれてただろうから……」
「いやいや、お礼はいいんだ。お礼はいいけど、感謝の気持ちを持つ。そこが大事だと思うんだ。暗黙の了解、みたいなのだよ。お礼なんてなくていい。ただ互いに感謝の気持ちを持つこと。それが良い関係への道筋だと思うんだ」
何かそれっぽいというか。多分それだろうという。持論を語ってくれたっぽい。確かにそれらしく、俺の心にも何か感じるものがあった。ただ、それらしいということ。それだけで心に衝撃を与える。何だか気分よくなってきた。
あっ、何か微妙にあのお姉さんのように、語ってしまった……気がする。
「よし、じゃあまずはこの泥棒を……」
お姉さんはそう言って、自転車と共に倒れた泥棒──男だ。さっき打ち上げられた際の落下の衝撃か、うずくまって痛そうにしている男に耳打ちした。
俺には何て言っているのか良く分からない。
耳打ちしているお姉さんを見ていると、色んな事に気付いてしまう。和服なのだ。和服じゃないか。和服美女じゃあないか。
まるで巫女さんみたいな服装だ。それよりは普通って感じの服なんだけれど。なんか私服でもあんまり違和感のない和服だな。いや、あるんだけどね、違和感。
そして、次に気になるのが背中の持ち物。めっちゃでかい、すごくでかい、俺ぐらいにでかい。俺の体型はそこまででかくないのだけれど。……とにかくでかい何か。ケースに入ってる何かだ。
「──じゃあ走れっ、急げっ」
お姉さんが急に大きな声で言う。横になった泥棒に何を言ったのか知らないが、かなり怯えた様子で走り去って行った。
お姉さんは続けて俺に声をかける。
「ふむ、じゃあ返そう。返そうというのもおかしいね。……どうぞ受け取ってくれ。君の自転車だぞ」
お姉さんは横転している自転車を起こした。
「にしても、キミ。聞いてなかった、何て言うんだい。ああ、名前だよ名前。名前のことだよ」
言われるがままに俺は答える。別に強制させられた訳でもないし、嫌とも思ってないし。助けてくれたのだからこれくらいはいいだろうと。
「俺はあれです。名前は天城千九咲です。天城が名字で、千九咲が名前ですよ」
「そうかいそうかい。お姉さんの名前はあえて語らずにいよう。ところで千九咲くんは実にドジだ。ドジで、アホで、マヌケだな。あとバカだ。説教するつもりはないよ? ただ、自転車を盗られるなんてねぇ……」
説教はしてないけど、何だその落胆した顔。何だその衝撃を受けたみたいな顔。何だその哀れみを感じている顔。
しかもそっちは名前を教えないのかい! 語れよ!
言えないけど。
「説教はしてないけど、何だその落胆した顔。何だその衝撃を受けたみたいな顔。何だその哀れみを感じている顔。しかもそっちは名前を教えないのかい! 語れよ! ……あ」
あれっ、言ってしまった。
これは大変だ。
「うんうん。心の声のはずだよね。完全に声に出てたよ。何だか千九咲くんは面白いな。まあ、私的にはそっちのがいい。フレンドリーなほうがいい。フレンドリーで居ろ」
「それはそれでどうかと思いますけど」
「て言うか、何をしたら自転車なんて盗られるんだい? 千九咲くんは悪いことでもしたのか?」
「いや、そんなわけないじゃないですか。全然いい子ですよ。どうせすぐ用事が終わるからと鍵をかけなかったんですよね」
お姉さんはやれやれといった風に首をかしげる。
「盗られる千九咲くん。キミもアホだけど。追われる泥棒。あの男も十分にアホだな。まあ、次からは気をつけなよ」
すると、お姉さんは気付いたときには、消えていた。この場から、消えていた。気付いたときじゃなくて、気づいていたのに……。視界にから急に消えていなくなってしまった。
俺はこう思った。
「なんだったんだ……幻覚かなにか……?」




