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第3話

 聞きたいことはやまほどある。けれど、ここには私と姫の他に我が弟である桂がいる。桂を放ったらかしにして、会話するわけにもいかず、結局私は肝心なことは何一つ聞けないでいた。

 亜子ちゃんの突拍子もない提案で私が姫の食事の面倒を見なくてはならなくなった。

 姫が私と同じマンションに住んでいたなんて、驚きであった。近所付き合いが希薄になった昨今、どこに誰が住んでいるかなどほとんど知らない。知っているのは、同じ階に住む幼なじみの大和とかつて同じクラスになったことのある同級生たちだけだ。

 姫って同じ中学校にいたかな?

 あれだけの美貌を持っていたなら、私が知っていてもおかしくないはず。

「間中さん。どうかしましたか?」

 声をかけられて我に返れば、間近に姫の顔があって、驚きのあまり椅子からひっくり返った。姫の家のダイニング。うちと全く同じ間取りであるのに拘らず、姫の家の雰囲気は、オシャレなものだった。

「ああ、すみません。驚かせるつもりはなかったんですが」

 すまなそうに謝りながら、正面に座っていた姫は、素早く私の横まで来ると、さりげなく腕を貸してくれた。

 姫は、紳士だ。女の子にとても優しい。

「ありがとう。大丈夫っ」

 つい、姫の癒し系な笑顔にやられてしまったが、ここには桂もいるんだった。

「あれ? 桂がいない……」

 どこを見回しても、いるはずの桂はいなかった。

「桂君なら、さっきお家に帰りました。退屈だからお兄ちゃんと遊んで来るって言ってましたよ」

「ええっ、聞いてないんだけどっ」

「はい。間中さんが何度呼んでも気付いてくれなかったので、俺が伝えておくからと帰してしまったんですが、ダメでしたか?」

 はい。ダメでした。

 なんて、こう言われて答えられる筈もなく、私は首を横に振った。

 できれば、というよりも絶対に二人きりにはなりたくなかった。

「じゃあ、私ももう帰るね」

 慌てて帰ろうと玄関に向かうが、左手を掴まれて引き戻された。

「俺、ずっと一人で食事していたから、間中さんがいてくれてすごく嬉しいんです。迷惑でなければ、食べ終わるまでいてくれませんか?」

 姫の瞳が一瞬だけ泣きそうなほどに潤んだことを見逃さなかった。あまりに悲しそうだったので、私は仕方なく椅子に腰掛けた。

 こんな今にも泣きそうな人を置いていくほど、非情になりきれなかった。

 それに、一人で住むには広すぎるこの部屋で、寂しく食事をさせるのは気がひけた。

「食器洗ってから帰らなきゃいけなかったんだ。ほら、冷めちゃうから食べなよ」

 まだ立ったままの姫にそう言うと、嬉しさを隠そうともせず席に着いた。

「美味しいです。間中さん」

 わんこみたい。

 姫は、私を飼い主だとでも思っているんだろうか。

「ねぇ、どうしてあんなことしたの?」

 無意識だった。

 無意識のうちに言葉が口をついて出てきてしまったのだ。

 きょとんと首を傾げて私を見る姿は、わんこそのものだ。

「あんなこと?」

「突然キスしたじゃないっ。しかも、私を好きだなんて」

 まさか、忘れたとは言わせない。

 それとも、寝惚けてしたことだったのか?

「はい、キスしました。俺は間中さんが好きです」

「その、まあ、えっと、冗談だよね?」

「冗談じゃないですよ。俺の素直な気持ちです。間中さんが好きです。大好きです」

 どうやら気が狂ったわけでも、寝ぼけていたわけでもなさそうだ。

 だが、どうしてこの人はそんな恥ずかしい言葉を何度も言えるのか。私には、理解できない。

「えっと、ありがとう。でも、私、好きな人いるから」

「はい。知ってます。間中さんは、坂田先生が好きなんですよね?」

 狼狽え、顔は真っ赤に染まり、目の前にいる姫に八つ当たりしたくなった。

「ど、どうして知ってるの? じゃない。そんなわけないじゃない。相手は先生なのよ」

 この慌てようと、この言動を見れば誰だって私の気持ちには気付くはずだ。今更隠してももう遅い。

 私は、担任の教師である坂田先生に好意を寄せている。

 坂田先生は、女子生徒に人気がある。先生というだけでも無理があるし、たとえ教師でなかったとしても、私など相手にされるわけがないのだ。

「間中さんは、可愛いですね。真っ赤ですよ」

 私はじろりと姫を睨み付け、口を開いた。

「森田君が私を好きだっていうのは分かったんだけど、どうしてキスなんかしたのよ?」

「キス、してはいけませんでしたか?」

「当たり前じゃない」

「そうなんですか? 父に好きな子が出来たと、相談したら好きって言ってキスをすればいいと言われたものですから」

 なんてことを教えてくれてんだ姫父。

 それにしても、それを素直に聞いちゃうなんてなんて純粋なんだろう、姫って。

「はぁ。それちょっと間違ってるから。お互い好き同士がキスをするんだよ。それに、森田君は私に好きだって気持ちを伝える前にキスをしたでしょう?」

「はい。順番を間違えてしまいました。間中さんがあまりに可愛かったので、つい……。それに、父が女の子はキスが好きだから、キスしておけばオッケーだと……」

 姫父が帰国したら絶対に殴り飛ばしてやる。無責任な姫父の言葉を実行に移した姫により、ファーストキスが奪われたこの私の怒りをとくと受け止めやがれ。

「とにかく、森田君のお父さんが言ったことは間違ってるから。無暗に人にキスしちゃダメなの。私だったから良かったものの、他の子だったら殴られてるんだからね」

 本当にそうか?

 いくら他に好きな人がいたとしても、姫並みのいい男にキスされたら、悪い気はしないんじゃないかな。

 私は、そんなことないけど。でも、不思議と姫のキスはイヤじゃなかった。

「好き同士じゃないとキスはしちゃダメ……なんですか」

「そう。今度から気を付けてね」

 しゅんとした顔を浮かべる姫を見ていたら、私が悪者のような気がして、嫌な気分になってくる。

 だからといって、この先無闇にキスされるのも困ってしまう。心苦しいが、ここは心を鬼にする必要があるのだ。

「はい。キスはもうしないように気を付けます。間中さんが俺を好きになってくれるまで、我慢します」

 にっこりと微笑まれて、思わず頷いている私がいた。

「って、ちょっと待って。私、好きな人がいるからって言ったよね?」

「構いません。今、間中さんが誰を好きでも。それで俺の気持ちが変わるわけではないですから。いつか俺の想いに応えてくれるように頑張ります」

 笑顔のまま、楽しげにそう言われてしまえば、それ以上言えなくなってしまう。困ったなと思いはするが、少し嬉しくもあった。

「……ご飯、美味しい?」

「はい。とっても。好きな人に作ってもらった料理だと思うと、なおさらに美味しいです」

 私よりも美しい笑顔で、さらりと好きだと言う姫に呆れた笑みを返した。

「それは、良かったね」

 だけど、憎めない。邪険に出来ない。

 もっと美味しいものを食べさせてあげたいとさえ思ってしまった私は、この時もう姫の笑顔に魅入られていたのかもしれない。坂田先生への想いが目隠しになって、見えていなかっただけだ。

 色白で笑顔の優しい、なのになぜか私を好きになってしまった変ったお姫様。

 私の彼に対する評価は、この時はまだこの程度のものにすぎなかった。


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