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第2話

 静かに微笑み、意味の分からない言葉を話している姫を私は凝視した。

 この人、貧血を起こして頭のネジが外れたんじゃなかろうか。

 そんなことを頭の中で考えていた。

「じょ……」

 冗談でしょう?

 そう言うつもりで口を開いたが、がらりと扉が開き、この保健室の主である亜子ちゃんが入って来たことで、そのまま口をつぐんでしまった。

「あら、森田君起きたのね。念のため、熱を測っておこうかね。ん? 美子、どうかしたの? あんた少し顔が赤いみたいだけど。熱でもあるんじゃないの? あんたも熱を測ってみなさい」

 姫と私の腕を掴むと、病院に置かれているような黒い長椅子に並んで座らされた。問答無用で体温計を渡され、熱なんてある筈もないのに、熱を測るはめになってしまった。

 今までにないほどに気まずい空気を感じていた。何か話さなきゃと思うのに、頭には何も思い浮かばなかった。

「森田君。両親は海外勤務で、君、一人暮らしなんだって?」

「はい。俺だけ残りました」

 あまりの気まずさに姫の顔が見れない。

 こんなに体が弱いのに一人暮らしって本当に大丈夫なんだろうか。

「よく、ご両親が許したね?」

「どうしてもこっちにいたかったので、少々両親を脅しました」

 両親が体の弱い息子を残して行ったんだから、相当な脅しをかましたんじゃないの? それとも、両親と姫はあまり折り合いが良くないんじゃないかな。

「そう。家庭のことだから何も言えないけれど、私も君のことは心配なのよ。そこでだ、私ったらいいこと考えちゃったのよね。美子っ」

「はいっ?」

 二人で会話していたので、二人の会話にこっそりと聞き耳を立てながらもぼんやりとしていた。あまりに頭がぼんやりするので、本当に熱があるんじゃないか、なんて考えているところだったのだ。

 突然、こちらに矛先が向いたので、飛び上がらんばかりに驚いた。その瞬間に姫と目が合ってしまい、爽やかな笑顔を向けられたせいで、いたたまれなくなってしまった。

 ここから早く逃げ出したい。

「あんた本当に今日変ね?」

「いや、今んとこ元気だと思うけど。で、何?」

「そうそう、話の途中だったわ。あんた、森田君の家でご飯作ってやんなさいよ。森田君、あんたんとこと同じマンションなんだって」

「え、ご飯? ああ、ご飯くらいならいいよぉぉぉぉ? って、亜子ちゃん。今、森田君は一人暮らしだって言ってたじゃないさ。男の一人暮らしの家に私一人で行けって言うの? それってかなり危険じゃない?」

 さっきの件もあることだし、極力姫とは二人きりになりたくない。だって、突然キスしてきたんですよ。密室の中で二人なんかになったら……、

 襲われるっ。

「大丈夫よ。森田君は紳士だもの、美子が嫌がることをする子じゃないわ」

「いやっ、でも」

 現に、嫌がることされてますから。けど、亜子ちゃんにそんなこと言えない。そんなこと言ってしまったら、恐ろしいことに今日家に帰る頃には、お母さんのからかいの餌食になってしまう。それだけは絶対にイヤっ。

「先生。俺としては、とっても嬉しい話ですが、間中さんが嫌がっているのでしたら……。とっても悲しいですが……」

 犬が(ゴールデンレトリバーってとこでしょうか)耳を下げて、クゥーンと鳴いているようなそんな目で見るのはどうか止めて下さい。

「美子っ。あんたこんなに森田君が残念がっているじゃないの。やっておやんなさいよ。二人になるのに抵抗があるんだったら、甲斐がいけいでも連れて行ったらいいじゃないの」

「甲斐は駄目だよ。だって、あの子すぐ家の中のもの壊して回るんだから。森田君の家で何か壊されたらたまったもんじゃないもん」

 甲斐は元気が有り余っているから、家の中でも暴れている。家の物は甲斐の手によってことごとく壊され、うちの家具は必要最低限のもの以外は決して置かないようにしている。あの子を姫の家に連れて行ったら、どれだけ弁償しなければならなくなるか……。考えただけでも恐ろしい。

「じゃあ、桂を連れてけばいいでしょ。あ、森田君、美子ん家ね五人兄弟なのよ。桂って小学二年生の弟がいるんだけど、一緒に連れて行っても問題ないでしょ? この子ったら、自分が森田君に襲われてるとでも思ってるのよ、可笑しいでしょ?」

 亜子ちゃんは、余計なことまでぺらぺらと姫に話して聞かせた。

「思ってないよっ。襲われるなんて全っ然思ってないからっ。亜子ちゃんは余計なこと言わないでっ」

 私と亜子ちゃんの煩い(他人は耳を塞ぎたくなるような大声を張り上げている)会話に、姫はふんわりとした笑顔で見守っている。

「俺は、間中さんが来てくれるなら嬉しいです。弟君にも会ってみたいし」

 首を傾げて、微笑みながらそう言った。

 ぐっ、あまりの可愛らしさに私も亜子ちゃんも一瞬くらりと眩暈がした。男とは思えないその可憐な微笑みは時として武器になることを私は知った。

「……分かった。やるよ」

「ありがとう。お金はきちんとお支払するから、材料費と人件費」

「なんていうのかな、家政婦みたいなもん? まあ、それはいいんだけど、人件費はいらないよ。材料費だけで十分。バイトするつもりはない。まあ、ボランティアみたいなもん? 同じクラスのお隣さんのよしみとしてお引き受けします」

 たぶん、大丈夫だろう。

 さっきは突然あんなことされてびっくりしたけど、基本的に姫が私に何か酷いこと、イヤなことをした記憶は全くない。紳士的な人だし、優しいし、男前だし。一般的に考えたら、この設定は生唾ものなんだよね。クラスの女子が聞いたら代わって欲しいって言い出すかもしれない。

 でも、二人きりになるのはやっぱりちょっと心配だから、桂を連れて行こう。

「よし、任せたぞ、美子。沢山いいもん食わせて、丈夫な体にしてやんな。彼、碌なもん食べてなかったみたいだから。貧血もそこから来てるんだろうね」

「まあ、やるからには頑張りますよ。元々体は弱いみたいだから、完全に貧血がなくなることはないだろうけど、今の半分くらいにはなって貰わないとね」

 引き受けたからには、手抜きはなしだ。

 美味しいものじゃんじゃん作って、モリモリ食べて貰いたいものだ。姫はちょっとやせ過ぎだもの。

「さて、あんた達もう体温計なったんじゃないの? 大分たってるけど」

 脇に挟んだ体温計を引っ張りだすと、デジタル表示を見た。熱はないようだ。

「なってたみたい。止まってる。ほらっ、熱はないよ。平熱」

「美子、あんたがうるさくて聞こえなかったんじゃないの?」

 そんなことないとはとても言えない自分がちょっとだけ憎い。それに、それは私だけの原因じゃないのに。

「俺のも止まってます。俺も熱はないです」

「よしっ。全校集会ももうそろそろ終わるころでしょう。さあさ、あんたらは教室に帰んなさい」

 姫の馬車と化して一番得をしたことは、退屈な全校集会を無条件でサボれること。うちの高校の校長先生はお喋りが大好きな人で、一人でぺちゃくちゃぺちゃくちゃ長いこと話している。そして、その話の内容がつまらないことといったらもう。

「じゃあ、亜子ちゃんまたね」

「勉学に励めよ、諸君」

 私は手を振って、姫は丁寧に礼をして、保健室を出た。

 二人並んで歩く廊下はひっそりとしていた。

 遠くから僅かにざわざわとした声が聞こえてる。ちょうど全校集会も終わったらしい。

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