第20話
元日は、綺麗な青空が広がっていたが、ピリッと厳しい寒さだった。
初詣は、うちの家族(両親は風邪により寝込んでいるため不参加)、健とお父さん、それから大和の計八人で賑やかに来ていた。
向かった先はここら界隈で一番大きな神社だ。
元日なだけあって、地面が見えないほどに人で溢れていた。
留衣兄が桂を、私が甲斐の手をつないで、決してはぐれないように努めた。
子供にとっては、しんどいはずの混雑もどうやらこの二人にはちょっとした面白イベントだったようだ。
「甲斐も桂も絶対手放しちゃダメだからね」
うん、と元気良く頷いた二人。返事が良いときほど不安を感じるのは何故なのか。
ふうっと小さく溜め息を吐き、フッと顔を上げると健と目が合った。だがすぐに健の方から視線を逸らされてしまった。
まだ、怒っているんだろうか?
今年に入って初めて会った時、挨拶だけは交わした。だが、それからは健と言葉を交わしていない。
「美子っ。美子っ。お参り終わったら、出店でなんか食おうぜっ」
元日から元気な大和は、そんな私の心の苦悩など知らず、呑気に笑っている。だが、それが今の私には気を紛らわせてくれるものとなっていた。普段なら鬱陶しいだけなのだが。
「はあ? あんたさっき食ったばっかじゃんよ」
「俺、育ち盛りだからすぐ腹へんだ」
「俺も。俺も育ち盛りだぞ」
大和に便乗して甲斐も騒ぎだす。この二人は、精神年齢が同じなんじゃないかと呆れてしまう。
結局、一時間ほど並んで漸く参拝を済ませると、甲斐と大和のリクエスト通り、出店が並んでいるところへと行くこととなった。
「留衣兄。健とお父さんは?」
「ああ、トイレに行くって言ってたぞ。なあ、美子。お前あいつと喧嘩したのか?」
この間、健が家に来て鍋をした時、散々私に話し掛けようとする健の邪魔をしていたのに、私が健と話していないのを見ると心配になったようだ。
「喧嘩しているわけじゃないんだけど……」
「なんだ、ちゃんと話していないならきちんと話しとけよ」
「留衣兄は、健と私が仲良くするのヤなんじゃないの?」
「まあな。可愛い妹がろくでもない奴に付きまとわれているんだったら承知しないけどな。あいつなら合格だったんだ。正直、可愛い妹を取られるのは苦しいが、美子が悲しい顔をしている方がイヤだからな」
「悲しい顔……してた?」
「ああ、してるよ」
留衣兄は、とても私について口を出すし、首を突っ込むし、その愛情表現が鬱陶しい時もあるけれど、私の大好きなお兄ちゃんなんだ。
頭ごなしに反対するわけではない。反対するフリをして、相手の態度を見極めているんだ。
「なあ、美子。あの二人、遅くないか?」
留衣兄にそう言われて、時計を確認すると二人がトイレに向かってから二十分以上たっている。
「女性用トイレは混むけど、男性用ってそこまで混まないよね?」
「ああ、そこまで混むことはないんじゃないか?」
急に心配になって来た。もしかしたら、どこかで健が倒れてしまったんじゃないか。
健の携帯を鳴らしてみたが、留守電の音声が流れるばかりだ。
「留衣兄。私、見てくるよ。甲斐と桂、任せてもいい?」
留衣兄は快諾してくれて、送り出してくれた。
人出が多く、前に進みたいのになかなか前に進めない。走ることすらここでは無理だ。
このあまりの混雑で、なかなか前進することが出来ずに時間がかかっているだけなんじゃないか。私が下手に探しに行ったら、余計にはぐれてしまうんじゃないか。
色んな可能性を考えて、キョロキョロと周りを確認しながらトイレへと向かった。
トイレの横に二人の姿を確認した時には、安堵のため息が出た。
ただ、そこに行くまでがまた一苦労なのだ。気になったのは、二人の表情がとても深刻で、何かを話し込んでいるということ。もしかしたら、今、声をかけてはいけないのかもしれない。
けれど、私は二人に引き寄せられるように進んだ。
「……決めたのか? ……美子ちゃん……どうするんだ」
お父さんの声が聞こえる位置にまで来たとき、私は声をかけようと口を開いたが、聞こえてきた健の言葉に私は何も言えなくなった。
「決めました。俺はアメリカに行きます」
「美子ちゃんはどうする。好きなんだろ?」
「好きです。ですが、美子には、言わずに行こうと思います。言おうと思いましたが、言えませんでした。このまま行ってしまったほうが……美子っ」
健は、その話を固まったまま聞いている私に気付いた。
「え? アメリカ?」
やっと紡ぎだした声は、あまりに擦れていた。
「美子……」
ああ、そうか。健があの時、話そうとしたのはこのことだったんだ。
私は、くるりと回れ右をするとどこに行くでもなく歩き出した。
今、ここにいたくなかった。冷静さを取り戻したかった。
心がうまく動いてくれない。悲しいのか、苦しいのか、悔しいのか、それすら感じられない。
「美子っ」
周りの声は全く聞こえないのに、健の声だけは聞こえた。
「ケントっ」
切羽詰まったお父さんの声に、振り返ると健の体が傾いているところだった。
私の体は頭で指令を出すよりも早く動いていた。
「健っ」
健の体を支えると、私は携帯で留衣兄にことの次第を簡単に説明して、先に帰ることを話し、健をおぶると歩きだした。
後ろからお父さんが追い掛けてくる。
「お父さん。タクシーで帰りましょう」
「そうだね。それがいい」
「美子ちゃん。すまないね」
その謝罪はなんの謝罪だろうか。ここに健を運んだことに対するものか、はたまた、健をアメリカに連れて行ってしまうことによるものなのか。
「健は、アメリカに行くんですか?」
健は、自室のベッドで寝ている。私とお父さんは、リビングのソファに腰を降ろしていた。
「手術をね、受けるんだよ」
「手術っ?」
健は、体が弱くってよく倒れるけど、普段は平気そうに見える。そう見えているだけで、本当は重い病だったんだろうか。
「美子ちゃんが考えているような重い病気じゃないよ。手術をしなくても、激しい運動は出来ないかもしれないけど、普通に生活することは出来る。でも、手術をすれば運動も出来るようになるし、倒れないで済むよね。俺と妻は手術を勧めていた。ケントは、もう少し日本で考えたいと、一人で日本に残ったんだ」
体の弱い健を一人、日本に残すことがどれだけ苦痛を強いられることだったか、だが、健は、そうしなければ手術は受けないと、脅迫まじりなことまで言ったそうな。健の押しに負けて学校の保険の先生(亜子ちゃんのことだ)と日本での主治医の先生によくよく頼んで、アメリカへと旅立った。日本で考える期限を去年いっぱいと決めて。その期限を過ぎたら手術を受けようが受けまいがアメリカに連れて行くと、それが健と交わした約束だったのだ。
「ケントが日本に残りたかったのは、美子ちゃんがいたからなんだよ。そして、ケントが手術を受けることを決めたのもまた、美子ちゃんがいたからだ」
「どうしてですか?」
「それは、本人に聞いた方がいいかな? な、ケント」
私の頭上を見て、お父さんは言った。上を見ると、そこに健がいた。
「建。体は大丈夫?」
「ごめん、美子。また、迷惑掛けてしまいました。父さん。美子と二人で話をさせてくれませんか?」
「そうだね、それがいい。俺は、部屋にいるよ」
お父さんがさった席に健が腰を下した。