第1話
ハラハラと舞い散る落ち葉が私の目の前を掠めて行く。薄茶色のそれは、私を置いて、どこかに消えて行こうとする。
その美しさに見惚れて、その美しさを追いかけるように手をかざす。
軽く手のひらの中に納まるはずの落ち葉が、私の腕に想像以上の重みを伴い落ちてきたことに驚き、私は腕の中をまじまじと見た。
ああ、またか……。
現実に引き戻された私は、瞬時に自分のなすべきことを整理し、腕の中の物をひょいと持ち上げた。
周りのどよめく声や音を無視して、その場を後にする。
横にスライドする形のドアを開けたいのだが、両手が塞がっていて開けられない。
どうしたものかと思案する前に、腕が伸びてきて、ドアを開けてくれる。
「毎度すまないな、間中。あと頼む。いつもどおりでいいから」
すまなそうに言うまだまだ若い担任の教師に私は大きな口を惜し気もなく開いて見せる。
「任せて、先生」
ありがとな、と小声で言ってポンと私の肩を叩く。
私がドアから外に出ると、先生がドアを閉める。
全然そんなわけではないのに、締め出されたような気分がして嫌な気分になる。突然、騒がしかったところから音が消えたからかもしれない。
先生の一喝する声がかすかに聞こえて来た。集会はどうにか再開されたようだ。
小さなため息を吐いて、足を踏み出した。
さらりと風が吹いて本物の落ち葉が私の肩に舞い降りた。払い落とすこともなく歩を進めれば、その振動ではらりと舞い落ちた。
落ち葉が向かった先は、白い大地。その白い大地が今は青みがかかっていた。
その光景があまりに似合っていたので、私はくすりと笑った。
「亜子ちゃん。また連れて来たよ。今日はいつもより頑張ってたかな? 姫様は」
「美子。学校では亜子ちゃんって呼んじゃ駄目だって言ったでしょ? ちゃんと先生とお呼びなさいな」
亜子ちゃんは、私の母菜子の妹で私の叔母さんだ。けれど、それは内緒なんだそうだ。亜子ちゃん曰く、「私にこんな大きな姪がいるなんて知られたら、モテなくなっちゃうでしょ?」なんだそうだ。
「はいっ。了解しましたっ」
「それにしても森田君は本当に体が弱いわね。確かに今日は頑張った方だけれど」
同じクラスの森田君は、色白で体が弱いのか、よくぶっ倒れる。倒れるのはなぜかいつも私の前で、女のくせして男に負けないくらい力持ちな私が毎度保健室に運ぶことになってしまっている。時折思うのだ、私はもしかしたら姫を乗せる馬車なんじゃないかと。
そもそも、教室の席が隣り同士、出席番号順に整列した際に隣り同士だということが運のツキだったのかもしれない。
「最近私のあだ名が王子で定着してきてるんだよ。酷くない? いくら私が毎度姫を運んでいるからってさ。でも、いいな。あんなに白い肌なんて」
「あんた黒いもんね。年がら年中黒いもんね」
運動が得意ってことで、特定の運動部に所属しているわけでもない私は、点々と色んな部活に助っ人に駆り出される。運動自体は苦でもないし、みんなと汗を流すのは楽しいから大好きなのだが、そのせいで年中黒いのが悲しい。
私も森田君みたいな白い肌ならいいのにと常日頃彼の白さに憧れに近い感情を抱いている。
ドアが控えめにノックされ、事務員さんがひょっこりと顔を出した。
「すみません、先生。お電話なんですが……」
私に視線をちらりと写し、再び亜子ちゃんに視線を向ける。どう対応すべきかの指示を視線を動かすことで促している。
「ああ、はい。今、行きますので」
「はい、じゃあ、お願いします」
そう言って、顔を引っ込めた。
「んじゃ、ちょっと行って来るから。私いなくても大丈夫でしょ? 森田君の意識が戻ったら、熱測って、問題ないようだったら教室帰っていいからね」
「ん、分かった」
私に簡単な指示を出してから、白衣をはためかせながら颯爽と歩き去った亜子ちゃんの背中を見送る。
亜子ちゃんは私の憧れのお姉さんだ。小さい頃から、亜子ちゃんみたいになりたいと思っていた。若くて、奇麗で、聡明で、優しくて、面倒見が良くて……、それこそ長所なんて挙げだしたらきりがない。
亜子ちゃん目当ての男子生徒が、大した怪我でもないのに保健室に訪問しにくる。
「そんなもん唾でもつけとけっ」
なんて、吐き捨てたりするけど、ちゃんといつでも優しく手当てしてくれる亜子ちゃんに男子生徒はメロメロなのだ。
男子生徒だけではない。聞き上手な亜子ちゃんに恋愛相談を持ち込んでくる女子生徒が後を絶たない。男子生徒、女子生徒のみならず教師群もお茶をしに頻繁に訪れている。とにかく、亜子ちゃんは人気者なのである。
暇になってしまった私は、ちらりと姫の横になっているベッドを覗き込んだ。
「本当に、奇麗な人だな」
ちらりと見るだけにとどめる筈だったのだが、あまりの美しさと、誰もいないという誘惑に負けて、姫の顔に見入ってしまった。
決して女の人を思わせるような顔ではないのに、何故か姫と呼びたくなってしまう周りの人間の気持ちが分かる気がする。
「白雪姫だよな。でも、このシチュエーションは眠れる森の美女って感じだよね。お姫様っていうのはさ、王子のキスで目覚めるんだよね。てことは、私がキスしたら姫は起きるんかな? なんて、んなわけないか。なははっ」
「じゃあ、キスして下さい」
誰もいない筈の保健室の中から声が聞こえる。保健室内にいるのは、私と姫だけなのだから。
「キスしてくれませんか?」
姫の顔を見ると、何故か口が動いている。
寝てる筈の姫の口が何で動いてるんだ?
それにしても、この声どっから聞こえてくるんだろ……。
「何を言っちゃってるんですか、姫っ」
「起きて欲しかったら、キスして下さい。そしたら、起きますから」
「じょ、冗談?」
「冗談じゃないですよ。してくれないなら、俺からします」
あまりのことに驚いている私の目の前には真っ白な物が……。ぶつかると思った私は、反射的に目を閉じた。
大きな衝撃なんて感じなかった。
ただ、柔らかくて冷たい物が唇に触れただけ。それは、チュッという小さな音を立てて離れていった。
「今、あれ、なに、今の……。あれ、どうして、何が、あの、えっ?」
無意識に指で唇をふれた。
「あれ……?」
思考が付いて行かない。何があったのか、整理することが出来ない。いや、何が起こったのか分かっているのだ。だが、何故それが今私の身に降りかかったのか、理解出来ないのだ。
動揺する頭で、視線を巡ると姫の視線と合った。さっきまで青い顔をしていた人とは思えないほど、赤い顔をしていた。
「あれ?」
「間中さん、すみません。勝手にキスなんかして……」
キスっ。
そうか、そうだよ。私がしたのはキスなんだ。
「キィィィィスゥゥゥゥ?」
落ち着け、私。落ち着け、私。落ち着け、私。
呪文のように唱え続けたが、謎は解けてはくれない。
あっ、そうだ。分からないなら、聞けばいいじゃん。本人目の前にいるんだから。
「はいっ、質問があります」
「えっ、はい。間中さんどうぞ」
「なんで、私にキスしたでありますか。自分、よく分からないんすけど」
つい、体育会系のノリでズバシッとストレートに聞いてしまったけれど、良かったんだろうか。
まあ、答えなんていくらでも思いつくんだけどね。このシチュエーションにちょっとムラムラした(姫に限って?)とか、私をからかいたくなった(姫に限って?)とか、寝ぼけて彼女と間違えた(彼女いるんすか姫?)とかだったりするんでしょうよ。ようは、事故ってことだよね。そう、ラブハプニング。そこに気持ちなんてないわけですよね、これが。ないない、姫が私を好きになるわけがないもの……。
「ええ、それは間中さんが好きだからですよ」