第16話
十二月も暮れの二十八日、その日兄弟総出で勤しんでいた大掃除であったが、甲斐が窓拭き用のスプレーを大量に消費したため、スーパーへと出かける羽目になった。休憩が出来るとふんだ甲斐と桂が私の後をついてきている。
街中を歩いていると、窓からひょっこりと顔を出し、窓を拭いているオバサンと何度か目が合って、知り合いでもないが、目礼を交わす。
健は一人で大掃除をしているんだろうか。
うちのが終わったら手伝いに行ってみよう。
「姉ちゃん、肉まん食いたいっ」
ちょうどコンビニが見えて来た頃、甲斐が騒いだ。文字どおり何度も「食いたい」を連呼して騒いだのだ。
仕方なく(あまりに周囲の視線を集めていたので)肉まんを買ってやり、再びうちへと足を向けた。
甲斐と桂は、隣をちょこちょこ歩きながら、肉まんを頬張っている。
「あっ、まだ食べちゃダメって言ったじゃないの」
甲斐が袋を持つと珍しく言ったので変だと思ってみれば、こんな有様だ。
「だって、肉まんは熱々が旨いんだっ。冷めてしまった肉まんなんて肉まんじゃないっ」
そりゃ、そうだけど。
「私も食べようかな」
美味しそうに食べている二人を見ていたら、無性にたべたくなってきてしまった。
本当なら歩きながら食べる二人を諫めなければいけない立場だけれど、先程から空腹でお腹がなっている。
「食べちゃおっ。たまにはいいでしょ」
甲斐が持っていた袋を奪い取り、肉まんを取り出す。
ほんわか温かい肉まんにかぶりつこうと、大きく口を開けた時だった。
「あの、すみません。ガーデンプレイスマンションはどこにあるかご存知ですか?」
悠長な日本語を操り、青い目をした背の高い外人が立っていた。
肉まんをかぶりつこうと、大きく開いていた口を一旦閉じ、肉まんを名残惜しく一瞥してからその人を見た。
「私たち、そのマンションに住んでいるんです。一緒に行きましょう」
私はそう言うと、肉まんを諦めて、袋の中に戻そうとした。
「美味しそうですね。遠慮せずに食べてください」
その途端、男の人のお腹が盛大に鳴り響いた。
「オジサン、お腹すいてんのか?」
ゲラゲラと甲斐が、男の人を笑いながら楽しそうに尋ねた。
「お恥ずかしい」
「余分に買ったから、一緒に食べませんか?」
男の人の顔がぱあっと明るくなった。
素直な人だ。それだけ、お腹が空いていたのだろう。
「ありがとうございます。実はアメリカから今日日本に来たのですが、飛行機の中でぐっすりと寝ていたものですから、機内食を食べそびれてしまって。日本に着いたら真っ先に息子に会いたくて、空腹を我慢していたのです」
「息子さんがいるんですか?」
ちょっとした予感を感じた。
もしかして……。
「はい。息子は高校生なんです。最近、好きな子が出来たらしいんですよ。息子の好きな子に会えるのも楽しみなんです」
ぺらぺらと流暢な日本語を披露しながら、絶えず笑みを浮かべている。
マンションが見え始めた頃、誰かがこちらに走ってくるのが見えた。
「父さんっ」
「お会いできて光栄です、美子さん」
健を見たその人は、私を見つめてそう言った。
走ってこちらに向かってくる健は、お父さんの隣に私がいることに驚いている様子だった。
「健のお父さん……ですか?」
「はい。よろしく、美子さん」
言われてみれば、健の笑顔がその笑顔に重なる。けれど、笑顔は似ているのに、お父さんは決して姫に見えることはなく、バリバリ男らしかった。
こんなに似ているのに、なぜ健だけ女っぽく見えるんだろう。
「よろしくお願いします、森田さん。ところで森田さん、健になにやら余計なことを吹き込んだみたいですね? 一度、お会いしたらひっぱたきたいと思っていたんですが、いいですか?」
「まさか、私は余計なことは何も吹き込んでいないよ。美子さんの勘違いじゃないかな?」
「しらばっくれるつもりですか、無責任にキスをしろと言ったんじゃないんですか?」
健が走ってくる間の短い間で何とか話をつけたかった。
「言ったよ。だが、私は唇にしろとは言っていない。まさか、初めからケントが唇にするとは私も思わなかったからね。あれは頬でも手の甲でも、自分がどれだけあなたを愛しく思っているかっていう気持ちを表すためにと言ったつもりだったんだけどね」
健のお父さんは、見た感じアメリカ人だろうか。向こうは、挨拶でキスをするから、そんな軽いキスをしてみてはどうかと助言したに過ぎなかったのだ。
日本にいたっては、そんな軽いキスさえどうかと思うんだけど。
「息子の性格くらい知ってるんじゃないですか?」
「息子に恋の相談を受けて、ちょっと舞い上がっちゃって、そこまで気が回らなかったよ。ごめんね」
最初こそ丁寧な物腰をしていたお父さんだったが、話し続けていくと健よりもフランクな感じが前面に出てきていた。
「もういいです。怒る気も失せました。でも、これ以上変なことを健に吹き込まないで下さいね」
「オーケー。分かった」
丁度、私とお父さんの話が終わった頃、健が私たちのもとに辿り着いた。甲斐と桂が健に会えたことが嬉しかったのか、腰に纏わりついている。そんな二人に笑顔で挨拶をしてから、お父さんと私に視線を向けた。
「どうして、父さんと美子が一緒にいるんですか?」
走ってきた健は、息が多少乱れている。
「そこで道を聞いたんだ」
「父さんが道に迷うわけないと思いますが?」
おどけたピエロのような表情を浮かべ、両手を広げて肩をすくめた。
お父さんの様子で、私を私だと理解した上で道に迷ったフリをして、声をかけたことが判明した。
「健。大丈夫? 息切れてるよ」
健は、体が弱くてすぐに倒れるくせに結構無茶をする。
「これくらい平気ですよ、美子」
私はちょっと健に対して過保護になっているんだろう。甲斐に対してだって、桂にだってこんなに口を出したりしない。弟たちには、怪我の一つも経験したほうがいいとさえ思っているのだ。
「それならいいけど」
そんな私を、お父さんはニコニコしながら見ていた。
「なんですか?」
「ああ、いやいや。ケントは、自分の完全な片想いだと言っていたからちょっと二人の関係性が意外だったんだよ」
きっとお父さんも私は本当は健が好きなんじゃないかって思っているんでしょうよ。私から言わせれば、無自覚のうちは相手を完全に好きだとは言えない。よって、みんなが思っているようには私は健を好きではないということになるのだ。
「へぇ、そうですか」
お父さんのニコニコ顔がニヤニヤ顔に変化していることが私には不愉快で仕方ない。
「美子さん。それからこちらの二人の可愛い男の子たちは……」
「弟の甲斐と桂です」
お父さんに紹介されて、甲斐と桂は元気に挨拶をした。
「やあ、こんにちは。私はね、ケントのお父さんだよ。休み中に遊びに来ているんだ。これから、みんなでうちに来てお茶でもしないかい?」
あくまで甲斐と桂に向けられたお誘いだった。だが、その言葉は勿論私にも向けられたものだった。
「ほんっとうに残念ですが、大掃除の真っ最中なんです。今日中に終わらせてしまいたいので」
甲斐と桂はあからさまにがっかりした顔をして唇を尖らせている。
「そうなのか残念だなぁ。じゃあ、明日はうちに遊びに来られるかな?」
甲斐と桂が私に視線を寄こした。その目が、いいよね? と懇願しているのがイヤでも分かる。
「行っておいで」
うんっ、と大きく頷くと二人で飛び上がって喜んでいる。子供たちは健のお父さんだというこの外人さんに興味津々なのだ。
「勿論、美子さんも」
「強制ですか?」
「まあ、そうとってもらってもいいですよ」
お父さんの隣りで嬉しそうに私の返事を待っている健を見ていたら、断ることは出来なかった。
私は、健に弱い……。
皆さん、こんにちは。いつも読んで頂いて、有難うございます。
年末年始の更新のお知らせです。明日から来年の1月4日までは、更新をお休みさせて頂きます。のんびりさせて頂きたいと思います。
皆さんも、風邪などひかぬよう良い年末年始をお過ごしください。