表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令息ですが破滅回避で主人公を無視したら、高潔な態度だと勘違いされて聖人認定。なぜか溺愛ルートに入りました  作者: 水凪しおん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/13

第8話「沈黙の忠誠と図書室の密会」

 ルシアン・ヴァルドアの側近である私、テオドールにとって、ここ数ヶ月の主の変化は興味深い観察対象だった。


 幼い頃の彼は、癇癪持ちで、自分の思い通りにならないとすぐに暴れる、まさに「悪童」だった。


 しかし、春の初めに高熱を出して寝込んで以来、彼は変わった。


 静かになった。慎重になった。


 そして何より、何かに怯えるような、繊細さを帯びるようになった。


 その変化が、まさか「平和に生きたい」という庶民的な願望によるものだとは、さすがの私も気づいていなかったが。


 期末試験の季節が訪れた。


 ルシアン様は、放課後になると図書室の最奥にある個室へ篭るようになった。


「静かに勉強したい。誰も入れるな」


 そう命じられていたが、例外が一人だけいた。


 ノエル・シルヴァだ。


 彼は今日も、バスケットを片手に図書室の個室を訪れていた。


「失礼します……あの、差し入れをお持ちしました」


 私は眼鏡の位置を直し、彼を通した。ルシアン様は「入れるな」と言いつつ、彼が来た時だけは追い返さないことを、私は知っていたからだ。


 個室の中では、奇妙な時間が流れていた。


 ルシアン様は分厚い魔術書を広げ、眉間にしわを寄せて書き込みをしている。


 その向かいで、ノエルは教科書を開きつつ、時折ルシアン様のお茶を注ぎ足したり、クッキーを並べたりしていた。


「ルシアン様、少し休憩しませんか? 今日はラベンダーのクッキーを焼いてきたんです」


 ルシアン様はペンを止め、不審そうにクッキーを見つめる。


「……毒見はしたのか」


「えっ? あ、はい! 僕が味見しましたから、大丈夫です!」


 ルシアン様はおそるおそるクッキーを口に運ぶ。


 サクリ、という音が響く。


 無表情だったルシアン様の目が、一瞬だけ見開かれ、微かに輝いたのを私は見逃さなかった。


『……美味しいと感じておられる』


 だが、口から出る言葉は憎まれ口だ。


「……甘すぎる。庶民の味だな」


 そう言いながら、二枚目に手を伸ばす。


 ノエルは嬉しそうに微笑んだ。


「すみません、次はもう少し控えめにしますね」


 彼は気づいているのだろうか。ルシアン様が、本当は甘いものが好きだということに。そして、言葉とは裏腹に、彼を受け入れつつあることに。


 私は部屋の隅で控えたまま、密かにため息をついた。


 ルシアン様は、ノエルを遠ざけようとしているようで、実は彼に救われているように見える。


 以前の孤独な彼には、心を許せる相手などいなかった。父である公爵は冷酷で、母は病弱で離宮にいる。


 だからこそ、打算なく、ただ純粋に好意を向けてくるノエルの存在は、彼にとって初めて触れる「暖炉の火」のようなものなのだろう。本人は「火傷しそうで怖い」と思っているようだが。


「ここの数式、間違っているぞ」


 ルシアン様が唐突に言った。ノエルのノートをペン先で指している。


「えっ? あ、本当だ……ありがとうございます! ルシアン様はすごいです、こんな複雑な構成式も一瞬で」


「うるさい。間違った知識を隣で広げられると気が散るだけだ」


 不器用な指導だ。


 だが、その空間は、どこか穏やかで、優しい空気に満ちていた。


 私は心の中で決めた。


 この関係を守ろう。


 たとえそれが、周囲から見れば「悪役と主人公」という歪な形であっても、今のルシアン様には必要な時間なのだ。


「テオドール、お代わりを」


「かしこまりました」


 私はポットを手に取り、二人のカップに紅茶を注いだ。


 窓の外では夏の始まりを告げる蝉の声が聞こえていたが、この部屋の中だけは、静謐な時間が流れていた。


 この平穏が、嵐の前の静けさであることを、私たちはまだ知らなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ