第7話「星降る夜のダンスと死刑宣告」
学園祭最終日の夜。大講堂はきらびやかなダンスホールへと変貌を遂げていた。
シャンデリアが黄金の光を放ち、着飾った貴族の生徒たちが優雅に踊っている。
俺、ルシアン・ヴァルドアは、壁際の柱の影と同化していた。
深紺のタキシードに身を包んでいるが、気持ちは喪服に近い。このパーティーが終われば、俺の安息の日々もしばらくは守られるはずだ。あと数時間の辛抱だ。
「ルシアン様、一曲いかがですか?」
勇敢な令嬢や令息が声をかけてくるが、俺はグラスを片手に「生憎だが、気分が乗らない」と冷たく断り続けていた。
高飛車な態度に見えるだろうが、実はダンスが苦手なだけだ。前世は盆踊りくらいしか経験がないし、今の体にはダンスの記憶があるものの、緊張で足を踏む自信しかなかった。
早く帰りたい。
そう思っていた時、ホールの中央がざわめいた。
光の輪の中に、一人の少年が現れたからだ。
真っ白な礼服に身を包んだノエルだった。
蜂蜜色の髪は丁寧に整えられ、緊張で紅潮した頬が愛らしい。彼は誰かの手を取るでもなく、まっすぐにこちらを見据えていた。
嫌な予感がする。
心臓が警鐘を鳴らす。
まさか。
ノエルは深呼吸を一つすると、人ごみをかき分けて、俺の方へと歩き出した。
周囲の視線が、彼と、その先にある俺へと集まる。
モーゼの海割りのように道が開けていく。
『来るな。こっちを見るな。俺は壁だ。俺は柱だ』
俺は心の中で呪文を唱えたが、効果はなかった。
ノエルは俺の目の前で立ち止まった。その距離、わずか一メートル。
甘い花の香りが漂う。彼は震える手を胸に当て、意を決したように口を開いた。
「ルシアン様。……僕と、踊っていただけませんか」
ホールが静まり返った。
音楽さえも止まったかのような静寂。
特待生のオメガが、筆頭公爵家の嫡男であるアルファにダンスを申し込む。それは身分差を考えれば無謀であり、常識外れの行動だった。
だが、ノエルの瞳は真剣そのもので、拒絶を恐れながらも、一歩も引かない強さを秘めていた。
どうする?
ここで断れば、俺は「健気なオメガに恥をかかせた冷酷な貴族」として、周囲の反感を買う。特に、ノエルを気に入っている攻略対象者たちからの視線が痛い。断罪フラグが立つ。
かといって受ければ、「公爵令息がオメガをパートナーに選んだ」という既成事実ができる。これもまた破滅への一歩だ。
詰んだ。
どちらに転んでも地獄だ。
俺の沈黙が長引くにつれ、ノエルの顔が不安に歪んでいく。差し出された手が、小さく震え始める。
「……やはり、ご迷惑でしたでしょうか」
泣きそうな声。
周囲から「かわいそうに」「いくらなんでもひどい」というヒソヒソ声が聞こえ始める。
俺は観念した。
ここで彼を泣かせて悪役になるよりは、一曲踊ってさっさと終わらせる方が、まだダメージは少ないはずだ。足を踏まないようにだけ気をつければいい。
俺はグラスを近くのテーブルに置いた。
そして、無言でノエルの手を取った。
会場中が息を呑む音がした。
「……一曲だけだ」
俺は短く告げた。
ノエルの顔が、ぱあっと輝いた。まるで世界中の光を集めたかのような笑顔だった。
「はい……! ありがとうございます!」
音楽が再び流れ始める。
俺はノエルの腰に手を回し、ステップを踏み出した。
体が覚えている動きに任せる。ノエルは軽く、リードに合わせて羽のように動いた。
近い。
甘い香りが脳をくすぐる。ノエルの体温が、手袋越しに伝わってくる。
俺の顔は、おそらく能面のように無表情だっただろう。内心では(右、左、ターン、右……足踏むなよ俺!)と必死だったからだ。
だが、ノエルにはそれがどう見えていたのか。
「ルシアン様……夢のようです」
彼はうっとりとした瞳で俺を見上げていた。
「あなたが僕の手を取ってくれたこと、一生忘れません」
やめてくれ。そんな重い言葉を吐かないでくれ。これはただの事故処理だ。
踊りながら、俺は周囲の視線を確認した。
驚愕、嫉妬、羨望。様々な感情が渦巻いている。
特に、バルコニーからこちらを見下ろしている王太子の目が、笑っているようで笑っていないのが怖かった。
『ああ、俺は今日、死刑宣告書にサインをしたようなものだ』
曲が終わるまでの三分間が、永遠のように感じられた。
最後の音が消え、俺たちが足を止めると、会場からは割れんばかりの拍手が湧き起こった。
ノエルは頬を染め、幸せそうに俺に一礼した。
俺は逃げるようにその場を離れた。
「気分が悪い。帰る」
そう言い捨てて会場を出た俺の背中は、きっと今までで一番小さく見えたはずだ。
だが、その夜、学園中が「氷の貴公子が、ついに氷解した」という話題で持ちきりになったことを、俺は翌朝知ることになる。




