エピローグ「悪役令息の幸福な憂鬱」
卒業から三年。
俺、ルシアン・ヴァルドアは、若くして公爵位を継ぎ、領地の経営に奔走していた。
執務室の窓からは、豊かに実った小麦畑が見える。かつて冷え切っていた領地も、今は活気に満ちていた。
その理由は、俺の隣にいる補佐官兼、最愛の伴侶にある。
「ルシアン様! 南の村の視察報告書、まとめておきました! あと、おやつの紅茶も淹れましたよ!」
元気な声と共に、ノエルが入ってくる。
彼はヴァルドア公爵家の「奥方」として、領民たちから絶大な人気を誇っていた。オメガの男性が公爵夫人となることは異例だったが、彼の持ち前の明るさと魔力、そして行動力が全ての壁を粉砕したのだ。
俺は書類から顔を上げ、わざとらしくため息をついた。
「……声が大きい。仕事の邪魔だ」
「ふふ、ごめんなさい。でも、少し休憩しましょう?」
ノエルは全く動じることなく、俺のデスクにティーカップを置く。そして、自然な動作で俺の膝の上に座り込んできた。
甘い香り。
俺たちはすでに「番」の契約を結んでいる。彼のフェロモンは、今や俺にとって精神安定剤のようなものだった。
俺は観念して、彼の腰に腕を回した。
「……で、どうだったんだ。南の村は」
「はい! みんなルシアン様に感謝していましたよ。『若様は口は悪いが、税を下げてくれたし、魔物退治も自ら指揮してくれた』って」
余計なことを。俺はただ、効率的に領地運営をしたかっただけだ。魔物退治も、被害が拡大して収入が減るのを防ぐために、的確な指示を出したに過ぎない。
だが、ノエルというフィルターを通すと、すべてが「慈悲深い領主の偉業」に変換されて伝わるらしい。
「まったく……お前のおかげで、俺はすっかり善人扱いだ」
「善人ですよ、貴方は」
ノエルは俺の頬に口づけた。
「世界で一番、素敵な旦那様です」
俺は顔が熱くなるのを感じながら、窓の外へ視線を逃がした。
かつて恐怖した「断罪」の未来は、もうどこにもない。
あるのは、少し騒がしくて、甘ったるくて、どうしようもなく幸せな日常だけだ。
俺はノエルの背中に額を押し付け、小さくつぶやいた。
「……悪くない」
その言葉は、彼には聞こえていたようで、嬉しそうな笑い声が部屋に響いた。
俺の勘違いだらけの人生も、ここまで来れば上出来だろう。
平穏無事な老後まで、この「愛すべき誤解」と共に生きていくのも、そう悪くはない選択だ。




