第10話「断罪の宴と逆転のシナリオ」
時は流れ、ついにその日がやってきた。
王立学園の卒業パーティー。
それは乙女ゲームや小説における「断罪イベント」の定番であり、悪役令息ルシアン・ヴァルドアにとっての処刑台でもある。
大講堂の天井には数千のクリスタルが煌めき、床は大理石で磨き上げられている。着飾った貴族の子弟たちが談笑する中、俺はホールの最も暗い影、壁際の柱の横に立っていた。
心臓の音がうるさい。
吐き気がするほどの緊張感だ。
夏休みのあの一件以来、ノエルとの距離は縮まった……ように見えた。だが、俺は知っている。原作の強制力というものを。
今日この場所で、王太子アレクセイが俺の罪を糾弾し、ノエルを解放する。そして俺は家名を剥奪され、国外追放となる。そのシナリオが脳裏にこびりついて離れない。
『……逃げ道は確保した』
俺はジャケットの内ポケットに隠した、わずかな路銀と変装用の眼鏡を確認した。
断罪された瞬間に窓から飛び降り、裏庭の植え込みを抜けて港へ走る。そこから隣国行きの貨物船に紛れ込む計画だ。公爵家という鳥籠を失うのは痛いが、命あっての物種だ。
その時、ファンファーレが鳴り響いた。
重厚な扉が開き、王太子アレクセイが入場してくる。その隣には……誰もいない。
本来ならノエルをエスコートしているはずなのに。
ざわめきが広がる中、遅れて別の扉からノエルが現れた。
息を呑むほど美しかった。
純白の礼服に、淡い金糸の刺繍。蜂蜜色の髪は光を浴びて天使の輪を描いている。だが、その表情はどこか張り詰めていた。
王太子が壇上に上がり、手を挙げた。音楽が止む。静寂が支配する。
「聞け! 皆に伝えたいことがある!」
来た。
俺は全身を硬直させた。
王太子の視線が、群衆を巡り、そして壁際にいる俺を捉えた。鋭い、射抜くような眼光だ。
「ヴァルドア公爵令息ルシアン! 前へ!」
名前を呼ばれた瞬間、周囲の人々が潮が引くように俺から離れた。
俺は一人、スポットライトのような視線の中に残された。
逃げたい。今すぐ走り出したい。だが、足が竦んで動かない。公爵家の教育が、「逃亡は恥」だと俺の体に染み付いているせいだ。
俺は能面のような無表情を張り付け、ゆっくりと壇上の前まで歩いた。心の中では涙目で命乞いをしているが、周囲には「不遜な態度で王太子を見据える傲慢な貴公子」に見えたことだろう。
「ルシアン・ヴァルドア。貴様のこれまでの行い、もはや看過できん」
王太子の声が響く。
「学園内で身分の低い者を威圧し、視線だけで退学に追い込み、あまつさえ……」
ああ、終わった。
俺の人生、ここで終了だ。
教科書を隠したこともないし、水をかけたこともない。ただ「目つきが悪かった」とか「無視した」とか、そんな理由で裁かれるのか。理不尽だ。
王太子がさらに言葉を続けようとした、その時だった。
「待ってください!」
凛とした声がホールを切り裂いた。
ノエルだ。
彼は群衆をかき分け、俺と王太子の間に飛び込んできた。そして、あろうことか両手を広げ、俺を背に庇うようにして王太子と対峙したのだ。
「ルシアン様を……僕の大切な人を、悪く言うのは許しません!」
会場中が凍りついた。
王太子も目を丸くしている。
「ノエル? 何を言っている。私は君のために、この男を……」
「僕のため? 違います!」
ノエルは涙ながらに叫んだ。
「ルシアン様は、誰よりも優しくて、気高い方です! 入学当初、誰も僕に見向きもしなかった時、唯一偏見のない目で見てくださったのは彼でした! 僕がいじめられそうになった時、影から助けてくださったのも彼です!」
えっ。
俺は背後で呆然とした。
「雨の日、凍えていた僕に大切な上着を貸してくれたのも彼です! 図書室で勉強を見てくれたのも! 僕が寂しい時、何も言わずに隣にいてくれたのも、全部ルシアン様なんです!」
ノエルの言葉一つ一つが、会場の空気を塗り替えていく。
悪逆非道な公爵令息というイメージが崩れ去り、不器用で寡黙な守護者という新たな像が結ばれていく。
「誤解しないでください。ルシアン様が冷たいのではありません。貴方たちが、彼の優しさに気づけないほど愚かなだけです!」
ノエルの魂の叫び。
それは、俺自身さえも知らなかった「ルシアン・ヴァルドア」の姿だった。
王太子は口をパクパクさせ、やがて気まずそうに視線を泳がせた。
「そ、そうだったのか……。私はてっきり、彼が君を睨みつけているとばかり……」
「あれは! 僕を見守ってくださっていたんです!」
断言された。
完全な誤解だが、今はその誤解が俺の命綱だ。
会場からは、すすり泣く声さえ聞こえてくる。
「なんて美しい主従愛……いや、愛なのね」
「不器用な公爵様と、それを理解する健気な特待生……尊い……」
俺は立ち尽くしていた。
断罪イベントは、ノエルの壮大な勘違いと愛によって、感動の告白イベントへとすり替わってしまったのだ。
背中越しに感じるノエルの体温だけが、震える俺を現実に繋ぎ止めていた。




