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悪役令息ですが破滅回避で主人公を無視したら、高潔な態度だと勘違いされて聖人認定。なぜか溺愛ルートに入りました  作者: 水凪しおん


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第1話「断罪の予感と春の嵐」

【登場人物紹介】


◆ルシアン・ヴァルドア

本作の主人公。ヴァルドア公爵家の嫡男であり、優れた魔力を持つアルファ。

切れ長の瞳と色素の薄い銀髪を持つ冷ややかな美貌の持ち主だが、中身は日本人の記憶を持つ平和主義者。

原作小説『銀の瞳の聖者』では、主人公を執拗にいじめ抜き、最終的に国外追放および悲惨な末路を迎える「悪役令息」であることを思い出す。

破滅を回避するため、目立たず、誰とも関わらず、ひっそりと学園生活を送ろうと決意するが、生まれ持った威圧感と美貌のせいで周囲には「孤高の貴公子」として恐れられ、敬われている。


◆ノエル・シルヴァ

原作小説の主人公。平民出身ながら希少なオメガとして覚醒し、特待生として学園に入学した少年。

蜂蜜色の髪と愛らしい顔立ちを持ち、フェロモンで多くのアルファを魅了する設定だが、本人は誠実な愛を求めている。

ルシアンに徹底的に無視され、避けられていることを「他のアルファのように欲に濡れた目で見ない、高潔で紳士的な態度」だと壮大に勘違いし、憧れと好意を抱き始める。


◆テオドール

ルシアンの幼馴染であり側近。ベータ。眼鏡をかけた冷静沈着な人物で、ルシアンの変化を敏感に察知しつつも、主への忠誠心から黙って支える。

 豪勢な天蓋付きのベッドで目を覚ましたとき、俺は自分が絶望的な状況にいることを悟った。


 絹のシーツの感触も、窓から差し込む柔らかな朝の光も、ここが俺の知っている日本ではないことを告げている。そして何より、重厚な姿見に映るこの顔だ。


 水銀のように冷たい銀色の髪。氷の刃を思わせる切れ長の青い瞳。整ってはいるが、どこか人を寄せ付けない、傲慢さと神経質さが同居したような美貌。


 ルシアン・ヴァルドア。


 それが、今の俺の名前だ。


 前世で妹が熱心に読んでいたBL小説、『銀の瞳の聖者』に登場する、主人公をいじめ抜く悪役令息その人だった。


「……最悪だ」


 思わずつぶやいた声は、驚くほど低く、甘く響いた。アルファ特有の、聞く者を畏縮させるような響きを含んでいる。


 俺は頭を抱えてしゃがみ込んだ。


 記憶が正しければ、今日は王立学園の入学式だ。物語の始まりの日であり、俺ルシアン・ヴァルドアが破滅へ向かって歩き出す第一歩となる日である。


 原作でのルシアンは、平民出身でオメガである主人公ノエル・シルヴァを見下し、ことあるごとに嫌がらせを繰り返す。教科書を隠す、水をかける、悪い噂を流す……実に古典的で陰湿な手口だ。そして物語のクライマックス、卒業パーティーの夜に、ノエルを愛する王太子や騎士団長の息子たちによって罪を暴かれ、断罪される。


 家を追放され、魔力を封じられ、路地裏で野垂れ死ぬバッドエンド。


「嫌だ。絶対に嫌だ」


 俺は平和に生きたい。美味しいものを食べて、暖かい布団で寝て、畳の上で死にたい。いや、畳はこの世界にはないかもしれないが、とにかく安穏とした老後を迎えたいのだ。


 幸いなことに、まだ物語は始まっていない。今日が入学式ということは、まだノエルと出会ってすらいないのだ。


 ならば、答えは簡単だ。


 関わらなければいい。


 ノエル・シルヴァを徹底的に避ける。視界に入れない。話しかけない。存在そのものを認識しない。そうすれば、いじめようがないし、断罪される理由もなくなるはずだ。


「よし、決めた。俺は空気だ。背景の一部になる」


 そうと決まれば、身支度だ。


 部屋に入ってきた使用人たちに無言で着替えさせられながら、俺は鏡の中の自分に向かって決意を新たにした。公爵家の制服は深紅の生地に金の刺繍が施され、嫌でも目立つデザインだ。だが、振る舞いを地味にすればなんとかなるだろう。


 朝食の席では、厳格な父である公爵と言葉を交わすこともなく、ただ静かに食事を済ませた。この家自体が、冷え切っているのだ。それが原作ルシアンの性格を歪ませた原因でもあるのだが、今の俺には好都合だった。余計な会話をしなくて済む。


 迎えの馬車に乗り込み、石畳の道を揺られていく。


 窓の外には、中世ヨーロッパ風の美しい街並みが広がっていた。だが、俺の心は鉛のように重い。学園には、ノエルだけでなく、彼の攻略対象となるきらびやかなアルファたちが大勢いるはずだ。王太子、騎士団長の息子、魔術師団長の弟……。彼らに関わるのも危険だ。


 俺は貝になる。誰とも目を合わせず、授業が終われば速やかに帰宅する、模範的かつ影の薄い学生を目指すのだ。


 学園の正門に到着すると、そこはすでに新入生たちでごった返していた。


 馬車の扉が開けられ、俺が足を踏み出した瞬間、周囲の空気がさっと凍りついたように静まり返る。


「……ヴァルドア公爵家のルシアン様だ」


「なんて冷たい美しさなんだ……」


「目が合うだけで石にされそうだよ」


 ひそひそ話が聞こえてくる。どうやら「影の薄い学生」作戦は、出だしからつまずいているらしい。生まれ持った威圧感が強すぎるのだ。


 俺は心の中で泣きながら、しかし顔には鉄仮面のような無表情を張り付け、背筋を伸ばして歩き出した。下を向いておどおど歩けば、かえって奇異の目で見られる。堂々と無視して通り過ぎるのが一番だ。


 大講堂へと続く並木道は、桜によく似た薄紅色の花びらが舞っていた。


 その美しい光景の中、一人の少年が立っていた。


 蜂蜜色の柔らかそうな髪。少し大きめの制服。不安そうに周囲を見回す、守ってあげたくなるような大きな瞳。


 間違いなく、主人公のノエル・シルヴァだ。


 全身に警報が鳴り響く。


『いた! 早速いた!』


 彼はちょうど、近くにいた貴族の生徒に何か尋ねようとして、冷たくあしらわれているところだった。突き飛ばされ、よろけた拍子にこちらを向く。


 目が合った。


 瞬間、俺は全速力で「無関心」を装った。


 助け起こせばフラグが立つ。嘲笑えば断罪フラグが立つ。


 だから俺は、彼など最初からそこに存在しないかのように、視線をすっと横に流し、瞬き一つせずに通り過ぎたのだ。


 心臓は早鐘を打ち、冷や汗が背中を伝っていた。怖い。主人公が怖い。彼に関わる運命力が怖い。


 通り過ぎざま、ふわりと甘い香りが鼻をかすめた。オメガ特有の、熟した果実のような香り。これが多くのアルファを狂わせるのだと、本能が理解する。だが俺は息を止め、足早にその場を去った。


『危なかった……。とりあえず、ファーストコンタクトは回避したぞ』


 俺は安堵の息を吐きながら、講堂の最前列にある指定席へと急いだ。


 その背後で、倒れ込んだままのノエルが、熱っぽい瞳で俺の背中を見つめていることなど、知る由もなかった。


「……きれいな人。他の人みたいに、僕を汚いものでも見るような目で見なかった。ただ、風のように」


 ノエルのつぶやきは、春の風にさらわれて消えた。

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