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餌付けされる魔女

……………………


 ──餌付けされる魔女



「博士もだいぶ顔色もよくなってきましたね」


 シャーロットが私の顔を見てそう言う。


「うん。君のおかげだ。何も返せないのに申し訳ない」


 私は書斎でそう言いながらも、まだシャーロットの好意に甘えたい自分がいることに気づいた。シャーロットの作ってくれる食事は美味しいし、風呂にも入って清潔にしていると、これまで以上に頭が冴えるのだ。


 研究をする上で今の状況はとても望ましい。


 だが、だからとって年下のシャーロットにあれこれと世話をしてもらうのは申し訳ない。自分でも言ったように私には返せるものは何もないのだ。


「何度も言ったではないですか。私は博士のパトロンです。博士が研究をされている限り、私はいくらでも博士のために尽くしますよ」


「君はそれでいいのか? 君には悪魔学なんて、特に関係はないだろう」


「そんなことはありませんわ」


 私の悪魔学はマイナーなジャンルであり、他の学問のように社会の発展に貢献しているような学問ではない。もし、悪魔学がもっと重要な学問であれば、今頃はもっと研究者だって多いはずなのだ。


 だが、シャーロットは私の懸念を否定する。


「わたくしを助けてくださったのは、その悪魔学の専門家である博士ではないですか。あなたの知識に私は助けられたのです。ご自分が身を削ってまで頑張られてきたことを否定なさらないでください!」


 ……確かに私は研究に全てをつぎ込んできた。食費を削り、睡眠時間を削り、人生を削ってきた。挙句には婚約者までも削る結果になってしまったぐらいだ。


 シャーロットはそのことを理解してくれている。他の研究者のように無駄なことをしている人間だと私を思ってはいない。


 だが、私の研究は私のためのものに過ぎないのだ。これはいくら解き明かしたところで、社会の発展には貢献しないだろう。もちろん、シャーロットの件のように、たまには役に立つことがあったとしてもだ。


 そんなことにシャーロットを付き合わせたくはなかった。


「君は若く、まだ多くの可能性のある未来が待っている。私のように可能性が死んだ人間に付き合う必要はないんだ。君の気持ちは嬉しいし、君のことは好ましく思っている。だが、そうであるからこそ……」


「何と言おうと無駄ですよ。わたくしも博士のことを好ましく思っているのです。命の恩人なのですから。だから、これはわたくしの我がままだと思ってくださいまし!」


 シャーロットはそう言うとメイドとともにキッチンの方に向かって行った。


「ううむ」


 どうするのが誠実な対応なのだろうか? もっと強く断るべきなのか? それとも彼女の意志を尊重すべきなのか?


 私は結論が出せずにいた。


 それから暫くして書斎にシャーロットが戻ってきた。


「博士。お茶にしましょう。ケーキが焼けましたから」


「あ、ああ」


 シャーロットの誘いに、まだ悩んでいた私は頷いた。


 ダイニングが近づくと甘い香りが漂ってきた。ケーキを焼いたと言っていたが、どのようなケーキなのだろうか? 正直、ケーキはあまり食べたことがないので、匂いだけでは当てることができない。


「博士はチーズケーキはお好きですか?」


「……食べたことがない」


「それでは気に入っていただけるといいのですけど」


 そう言ってシャーロットは私の前にチーズケーキなるものを置く。


 ケーキというものはクリームで塗りたくられたものだと思っていたのだが、このチーズケーキはそうではない。ケーキそのものが白くてチーズのようであり、その上からベリーのソースがかけられていた。


 ケーキの甘い香りが私の食欲を刺激する。だが、実際にどういう味がするのか想像もできない。


「いただくよ」


 私はフォークでケーキを切り、一口サイズに切ったそれを口に運ぶ。


「ん……」


 思った以上にチーズの味がするが、私がいつも食べているような安物のチーズとは明確に異なる風味だ。チーズのまろやかな味わいがありながらも、ベリーのソースが甘酸っぱく口の中でひとつになったときの味わいが溜まらない。


「どうですか、博士?」


「とても美味しいよ。初めて食べる味だ」


 私はシャーロットにそう言うとぱくぱくとケーキを口に運んで行った。


「紅茶の方もどうぞ」


「ありがとう」


 紅茶は好きだ。コーヒーも嫌いではないが、刺激は強い。


「ん?」


 いつものならば紅茶にたっぷりと砂糖を入れるのだが、今日の紅茶は味覚や嗅覚が鈍い私にもわかるぐらい香りがよかった。


 なので、まずは砂糖を入れずに味わってみることに。


「これは……茶葉を変えたのか?」


「ええ。チーズケーキに合う茶葉で淹れましたよ」


「そうか……」


 いつもの紅茶とは全然味が違った。美味しいという意味でだ。


「何から何まですまない、シャーロット。本当にお礼として私にできることがあればいいのだが……」


「そこまで仰るのならば悪魔について教えてくださいませんか? わたくしも博士の研究するものについて知りたいと思います」


「ああ。それならば可能だ」


 私はシャーロットの求めに応じた。


「悪魔たちは地獄で暮らしている。宗教でも、悪魔学でもそう規定されている。だが、地獄とは何なのか?」


 地獄と悪魔から私は話を始めた。


「地獄とは宗教では悪しきものが落ちる場所とされているが、悪魔学においては異なる。この世界と地獄は決して地続きの場所ではない。人間が死後に地獄に向かうということは、今のところ観測されていないのだ」


「では、地獄とは?」


「別次元──この地球が存在する宇宙とは全く異なる宇宙に存在する場所だ。我々はその次元の壁を越えられないが、悪魔たちは一定の条件を満たせば越えられる」


「別の宇宙……」


「物理法則も、何もかもが異なる世界だと思ってくれ。そうであるが故に本来悪魔たちはこの私たちの世界でその存在を安定させることが困難だ。南の国に暮らす動物を北の我々の国の動物園で飼育したときに病気になるのと同じように」


 実際にはもっと根本的な面から環境が異なるため、この例えはそこまで正しくないのだが、シャーロットに分かりやすいようにそう説明する。


「では、悪魔たちはどうやってこの世界で活動を? わたくしに取り憑いていた悪魔のような存在はいるのでしょう?」


「ああ。そこで重要になるのが契約という行為だ。これは法的なものではなく、悪魔学における用語なのだが、契約とは悪魔たちがこの地球の生命を、地獄と地球の媒体とすることによって、この世界に留まる方法だ」


 契約。この地球の生命が、悪魔たちが異なる環境に耐えられるように媒介する手段である。悪魔たちが自分の肉体に一種の科学的な安定性を持たせるために、この地球の生命を利用するというもの。


「重要なのは魂だ。契約は魂を利用するとずっと考えられてきた。魂について宗教的なもの以外に聞いたことは?」


「いいえ。ありませんわ」


「これはまだ確かな観測データがあるわけではないが、我々の脳にはシジウィック発火現象というものがあるそうなのだ。人間が死んだときに失われるとされた21グラムの重量という仮説の最新版だ。科学的な魂の仮説」


「科学的な魂……。シジウィック発火現象とはどのようなものなのですか?」


 そうシャーロットが興味を示す。


「人間の肉体は無数の化学式と数式でできている。だが、人間を構成する物質をただフラスコに入れただけでは、そこに霊的な存在は確認できない。人間そのものと人間を構成する物質を入れただけのフラスコには何か明確な差がある」


 ヒヨコをミキサーにかけて失われるもの=生物学的組織。その霊的な存在の証明に関するバージョンが、この仮説にまつわる話だ。


「研究者はそこに魂の存在を予想した。それがシジウィック発火現象だ。脳に見られる無数の電気信号の中にあると思われる、我々の魂をそう呼んだのだ。そして悪魔たちが利用しようとしているものも、その魂であると私たち悪魔学の研究者は考えている」


……………………

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