清潔なのも大切
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──清潔なのも大切
あれから本当にシャーロットは私に家に住み込み、彼女の雇っているメイドも連れてきた。若い女性のメイドと中年の女性のメイドのふたりで、彼女たちは私の部屋を見るとため息を漏らしかけていた。
「閣下、これは大掛かりな掃除が必要ですね……」
「ええ。これではフォーサイス博士の健康にも悪いもの」
どうやら散らかり放題の私の家を見て呆れたらしい。シャーロットはてきぱきと片づけを指示して、床に散らばった服や本、そしてゴミを片付けていく。
「本はあまり動かさないでくれ。場所が分からなくなる」
「ちゃんと分類に従って片付けますから安心してください」
「ううむ……」
本の場所は散らかしたまま適当に置いているのではなく、使用頻度の高いものを近くに置いているので、それを片付けられてしまうと困るのだが……。
しかし、それは杞憂に終わった。
「これは……」
図書館で定められている分類法に従って、私の本は綺麗に本棚に収められていた。本棚に入りきらなかったものも、箱などに取り出しやすいようにして片づけてある。
そして、これまで掃除を強固に阻んでいた床の本がなくなったことで、私の家は見違えるように綺麗になっていた。埃は全くなく、ゴミもなく、床も壁も磨かれたように美しくなっている。
「君は本について私が思っていた以上に詳しかったのだね」
きっちりと片付けられ、以前よりも遥かに探しやすくなった本棚を見て、私は思わずシャーロットにそう感想を言っていた。
「ええ。お父様の書斎を整理するのを手伝っていましたから」
「なるほど」
普通は貴族であってもここまで厳格な本の分類法は知らないはずだ。シャーロットの父はこの手の分類法で分類しなければいけないほどの蔵書を有していた相当な読書家であったに違いない。
「さて、そろそろ消化のいいものから、栄養が高いものに食事を移しましょう」
「あのスープでいいのだが……」
「そういうわけにはいきません。博士のためにもちゃんとした食事にしましょう」
食事はとにかく食べられるのもを食べておけばいいと思うのだが……。そこまで私は食事に対するこだわりはないのだ。何日もクラッカーとチーズで過ごした日もあるし、それが悪いことだとも思っていなかった。
とは言え、私に拒否権はないようで、シャーロットは連れてきたメイドたちとともに料理を作り始めてしまった。
「さあ、召し上がれ」
そうして出された料理は焼き立ての白パン、前のものいより具材がはっきりしたスープ、それからローストビーフまであった。ローストビーフには香ばしい香りのソースがかけられており、思わず食欲が出てしまう。
しかし、こんな手間のかかるものを準備してもらったのでは、私も自然と遠慮してしまう。今の私にはお金がない状況が続いており、シャーロットたちにお礼をすることはできないのだ。
だが、食べないのも失礼だろうと思い、私は椅子に座って、まずは白パンを千切って口へと運んだ。
「ん。美味しい……!」
いつものクラッカーなど比べ物にならないほど美味しい。ほのかに甘く、そして柔らくて温かいパンはそれだけでごちそうであった。
それからスープに手を付ける。スープは具材がしっかりしたものに代わっており、私はまず一口サイズに切られた野菜から口にスプーンで運ぶ。
柔らかいけど、食感はしっかりしている。それでいて味も染みていて、確かにこれはこれまでの煮崩したスープでは味わえないものであった。
そして、ローストビーフ。これもまた美味しい。肉なんて食べたの何か月ぶりだろう。学会の食事会とかで出されるときぐらいしか、こんなしっかりしたお肉を食べる機会はなかった。それが自宅で食べられている。
いつの間にか料理はみるみると減っていき、気づけば完食していた。
「美味しかった……」
満腹になったお腹を抱えて私はそう呟いた。
「ふふ。気に入ってもらえたようでよかったです」
「ああ。ありがとう、シャーロット」
「では、今日はこれからお風呂に入りましょう」
「おふろ……?」
私は聞きなれない言葉を前に首を傾げる。
「博士は普段はタオルで体を拭くだけみたいですから、今日はしっかりとお風呂に入ってもらいますよ。清潔も健康のために必要なことです。それに博士はきっとしっかりと身だしなみを整えれば美人になると思うんです」
「風呂はお金がかかるからいいよ。これ以上、君にたかるわけにはいかない。私には今、君に返せるものは何もないんだ。それなのにこんなに世話を焼いてもらっていて……」
「あら、忘れましたの? わたくしは博士のパトロンなのですよ。博士が研究を続けてくれる限り、わたくしには出資する権利がありますの。さあ、こちらへ!」
シャーロットは強引に私を一応家にあった浴室まで連れていった。浴室では既にお湯が準備されていて、ふたりのメイドが待ち構えていた。
「さあ、フォーサイス博士。ゆっくり浸かられてください。その間にお身体を洗わせていただきますので」
中年のメイドがそう言い、私はあっという間に服を剥がれて、浴槽に放り込まれた。お湯は温かく、身に染みるような気持ちよさだ。
「しかし、博士は本当に痩せておられますね……」
若いメイドが同情するようにそう言ってきた。
確かに言われるように私はがりがりだ。長年、酷使してきた体はやせ衰えており、女性的な起伏に欠けている。だが、それを気にしたことはない。死ななければミイラみたいな体だろうとどうでもよかった。
「御髪にブラッシングしますね」
そう言うのはメイドではなくシャーロットで仮にも侯爵の身分にある彼女が、私のぼさぼさになった髪の毛をどこからか持ってきたブラシで梳き始めた。優しく彼女は髪を梳くが、絡まった私の髪の毛はよく引っかかっている。
「いたっ」
「ごめんなさい。だけど、しっかりと梳かしませんと」
ううむ。この面倒な髪の毛はもういっそ切ってしまえばいいのではないだろうか。
シャーロットは暫く私の髪と格闘したのちに息を吐いた。
「よし。あとはお湯でそそいで、シャンプーをしておきましょう」
「まだ髪の毛をいじるのかい?」
「もちろんです」
私に抗議する権利はないようで、シャーロットはお湯でしっかりと髪の毛をそそいだのちに、あれこれと美容の道具を持って来ては私の髪に使い始めた。だが、不思議と不快感はなく、どちらかと言えば心地よかった。
「あとは乾かしましょう。体の方は洗えたかしら?」
「はい、閣下。綺麗になりましたよ」
体の方もメイドたちに磨かれ、すっきりした気分になった。
「湯冷めしないようにしっかり乾かして差し上げて」
シャーロットは2名のメイドにそう指示し、私の体をメイドたちはしっかりと拭いた。何だが介護されている気分だが、実際に赤ん坊が世話されているようなものだなと私は認識した。ひとりでこのように風呂に入ることなどできないのだから。
それからバスローブを着せられて、私は洗面台の前に座らされる。
「博士の髪はこうすれば長くて綺麗な髪ね」
シャーロットは鏡の前で見違えるようになった私を見てそう微笑む。
私のぼさぼさで跳ねまくっていた髪は、今では綺麗な濡れ羽色の髪になっている。艶があり、癖もなく、跳ねてもおらず。自分で見てもこれが自分の髪の毛だとは信じられないほどであった。
「博士はどのような髪型がいいかしら?」
「これ以上、何かしなくても……」
「そうね。邪魔にならないように編み込んでおきましょう。わたくしに任せて」
そう言ってシャーロットは私の髪の毛を瞬く間に整えた。
私の髪は綺麗に編み込まれて整えられ、この髪型だけならばどこかの高貴なお嬢さんとしてのも通用しそうなものになっていた。
「凄い……」
「綺麗になりましたね」
私はあたかも別人になったような自分を鏡を見て唖然とし、シャーロットは満足げに胸を張っていた。
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