悪魔の軍勢
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──悪魔の軍勢
ルンデンウィックのスラム街でそれは蠢いていた。
「ははははっ! 素晴らしい力だ!」
そう歓喜の声を上げるのはアダム──いや、それと契約したことで憑依した高位悪魔ベルグリオスだ。
「見ろ。軍勢だ。軍勢を結成したぞ。この地上に!」
ベルグリオスが見渡すスラムの通りには、30人から40人ほどのスラム街の住民が集まっていた。手には猟銃や刃物と言ったものを持った彼らの瞳には、赤い色が混じっている。すなわち悪魔と契約しているのだ。
「これから俺たちはウェスターフィールド侯爵家の屋敷に向かう。狙いはシャーロット・アシュリーだ。俺たちは偉大なる地獄のためにも、あの女の魂を手に入れなければならない」
ベルグリオスはそう言い、ウェスターフィールド侯爵家の屋敷がある方を向いた。
「あの女の魂は聖女の魂。それはどんな果実よりも美味だ。地獄の悪魔たちがこぞって手に入れたがる代物。それをこの俺が手に入れる……!」
ベルグリオスは自身がシャーロットを狙う理由をそう語った。
「あれは麻薬のように甘く、一度味わえば永遠に求め続けてしまう。それほどまで美味な魂だ。手に入れなければ、手に入れなければ、ひひひっ!」
不気味に笑うベルグリオスは涎を拭う。
「それでは前進だ。進め、進め! あの女の魂を手に入れるのだ!」
そして、悪魔の軍勢が前進を始める。
* * * *
シャーロットは自らの屋敷において、自室に閉じこもっていた。
彼女はアーミテイジ博士からの連絡を待っており、どうしてルナが自分を拒絶したかの理由を知りたがっていた。
シャーロットには本当にルナが自分を拒否した理由がわからなかった。だが、ルナも言っていたではないか。理由なくして起こることはない、と。
ルナがシャーロットを拒絶したことには理由がちゃんとあり、それを解決すれば再びルナはシャーロットの傍に入れる。シャーロットはそう考えていた。
「きっとフォーサイス博士には理由があったはず……」
シャーロットはルナが突然自分を嫌いになったとは思っていなかった。ルナにはルナにとって重要な理由があるだけで、ただシャーロットのことが嫌いになったからではないと信じていた。
だが、そう信じるには力がいる。今のシャーロットは信じるということにあまりにも力を入れすぎており、他のことをやれる余力はなかった。
ただただルナを信じ、彼女は自室のベッドでアーミテイジ博士からの連絡を待つ。
しかし、そこで不意に屋敷が騒がしくなった。
「どうしたのかしら?」
シャーロットは疑問に思い、使用人を呼ぶためにベルを鳴らす。だが、使用人はなかなか姿を見せない。
「……何か嫌な予感がする……」
シャーロットはそう思って部屋の扉を小さく開けて外を見る。すると……。
突然の銃声。さらに悲鳴。
シャーロットは体をびくりと震わせる。
叫び声と銃声はそれからも続き、何かしらの争いごとが起きているのは間違いなかった。だが、シャーロットは足が震えて、逃げることも、隠れることもできず、小さく開いたドアの外の光景を見ていた。
「閣下、閣下!」
家令のスペンサーがシャーロットの部屋に向かってくるのが見えたが、彼は後ろから撃たれ、苦痛の表情を浮かべて床に倒れた。
「悪魔どもよ! 探せ! シャーロット・アシュリーを探せ! そして、俺のところに連れていこい!」
外ではベルグリオスが叫び、その声はシャーロットにも聞こえてきていた。襲撃者たちの狙いは自分だとシャーロットは気づいたのである。
「逃げないと……!」
シャーロットはそう思うも、足が震えて動けない。その間にも悪魔たちは屋敷を制圧していき、シャーロットの下に迫ってくる。
「せめて隠れないと……隠れないと……!」
シャーロットは震える足を引きずるようにして、ベッドの下に隠れる。物音がどんどんと鳴り響く中で、シャーロットはベッドの下で震えた。
「シャーロット・アシュリー」
悪魔が自分を探す声がするのにシャーロットは悲鳴を上げないように我慢し、口を押えてひたすらに恐怖に震えていた。
「どこだ? どこに隠れた? すぐに見つけてやるぞ?」
ベルグリオスがそう言う声が聞こえる。
シャーロットはルナのことを強く思った。ルナが助けに来てくれないかと願った。だが、ルナは自分を拒絶してしまっている。今のルナはシャーロットを助けにきてはくれないだろう。
「どこにいる? 隠れてないで出てこい! さもないとその人形みたいな体をばらばらにしてしまうぞ……!」
ベルグリオスの恐ろしい声が聞こえ、シャーロットはただたた恐怖を感じていた。
「ここにはいないのか。ふうむ……」
しかし、ベルグリオスはそう呟き、足跡が遠ざかっていく。
そのことにシャーロットは安堵の息を漏らし──。
「見つけたぞ!」
次の瞬間、シャーロットが隠れていたベッドが吹き飛ばされ、シャーロットがベッドの下から引きずり出される。ベルグリオスはシャーロットの手を掴み、彼女の体を高らかと引きずり上げた。
「はははっ! 久しぶりだな、シャーロット! 貴様にこうして会うのを楽しみにしていたぞ! ひははははっ!」
「離して!」
ベルグリオスがアダムの顔で不気味に笑うのにシャーロットが抵抗する。しかし、彼女の腕力ではベルグリオスに抵抗するにはあまりにも弱弱しく、ベルグリオスは気にも留めていない。
「今からお前の魂を貪ってやる。その甘い蜜のような魂を味わうのを楽しみにしていたんだ。お前の悲鳴を聞きながら、その魂をじっくりと食らってやることを、ずっと、ずっと楽しみにしていたんだぞ」
ベルグリオスはそう言って舌なめずりする。
「この男も自分に屈辱を味わわせたお前が死ぬことに喜ぶことだろう。さあ、小生意気なガキよ。悲鳴を上げられるだけ上げるがいい! そして、孤独に死んで行け!」
「いやっ!」
シャーロットが悲鳴を上げたときだ。
屋敷の中にいた悪魔たちが叫び始めた。それは先ほどのまでの戦意からの叫びではなく、恐怖からの生まれた叫びだ。
「何が起きた……?」
ベルグリオスは僅かにだが動揺し、シャーロットを引きずりながら部屋の外に出る。悪魔たちの叫びは、今や明確に悲鳴になっていた。悪魔たちは恐怖から叫び続けている。
だが、悪魔を怯えさせるものとはなんだ?
「あれは……!」
そこでベルグリオスの視界にある人物は入った。
それはベルグリオスが二度と会いたくないと思っていた人間だ。
「アダム──いや、今はベルグリオスか。私は言ったはずだと地獄に戻って二度とこの世界に戻ってくるな、と」
「ルナ・フォーサイス! 貴様……っ!」
そう、現れたのはルナであった。カラスに憑依した悪魔クルザゼスを連れた彼女が、破壊された屋敷の玄関から入ってきていた。
「あの女を殺せえ! そうすればお前たちにも聖女の魂を味わわせてやる!」
ベルグリオスが命令を叫び、悪魔たちが不穏に蠢く。
ある悪魔は銃を構え、ある悪魔は刃物を構える。
「どうやらお仕置きが足りなかったらしいな。今度は魂が残るとは思わないことだ」
ルナはそう宣言し、悪魔たちを前にした。
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