悪魔の専門家
本日2回目の更新です。
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──悪魔の専門家
「は、はい。悪魔です。これまで教会のエクソシストの方にも来ていただいたのですが、どうすることもできず……」
「当然だ。教会のエクソシストのそれはエビデンスのない民間療法に過ぎない。これは私のような専門家に任せてもらわなければ」
家令が震えながら言うのに私は悪魔の方に近づく。
「名は、悪魔?」
「それを答える義理はない。失せろ」
「ほう。名を名乗ることを恐れるということは、この女性にしっかりと取り憑けているわけではないようだな。契約もなく、ただその霊力にものを言わせて、この世界に滞在しているというわけだ」
「……貴様、何者だ?」
「お前たちの専門家だ」
私はまずは悪魔の名を調べる。
「ラル、教えて。こいつの名前は?」
私は独り言を言ったようにそう言うが、実際には聞いている存在がいる。ここにはいない私の大親友が聞いている。
「……そう、ありがとう。では、話を続けようか、高位悪魔“ベルグリオス”?」
「貴様、どうして俺の名を……!? こうなれば……!」
悪魔は、ベルグリオスは私を手っ取り早く始末しようと決意したようだ。だが、所詮契約なしで、力に任せて無理やりこの世界に居座っている不法滞在者には行使できる力に限度がある。
やつは私に向けて部屋の中にあった花瓶や本を飛ばすが、その程度に過ぎない。そんな可愛らしいポルターガイストに何ができる?
「無駄だ」
私は障壁を展開して攻撃を弾き、ベルグリオスに歩み寄る。
「直ちに去れ。そうすれば命までは取らない。逆らうならば覚悟してもらう」
「何を人間風情が偉そうに……! 貴様の魂を貪ってくれるわ!」
ベルグリオスは獣の牙と爪を剥き出しにし、私に向けて襲い掛かってきた。あの牙と爪はポルターガイストより脅威になるだろうが、牙が私を引き裂き、噛みちぎる前に私は対処することができる。
「交渉決裂だ。地獄に帰るがいい、ベルグリオス」
そう言って私が指を鳴らせば、ベルグリオスが炎に包まれた。悪魔だけを焼く炎がベルグリオスを包み、その肌を焼けただらせていく。火だるまになったベルグリオスはのたうち、悲鳴を上げる。
「ああ! ぐあああ! 高位悪魔であることの俺を焼くだと!? 貴様は……!?」
「火力を上げてやろうか? 魂まで焼き尽くすぐらいに」
私はさらに炎を増大させ、ベルグリオスは炭化した体をよじりながら叫ぶ。
「分かった! 立ち去る! 立ち去るからやめてくれ!」
「そうするがいい。二度とこの世界に来るな」
ベルグリオスはこの世界で形成した霊力による肉体を喪失していき、その体が泥人形のように崩れ落ちるとそのまま消滅した。地獄に戻ったのだ。
ベルグリオスが地獄に戻ったのと同時に、少女の苦痛に歪んでいた表情が和らぎ、そのまま少女は気を失ったかのように目を閉じた。
「終わった。これでもう悪魔がこの女性を悩ませることはない」
「あ、ありがとうございます、博士!」
私はそう言ってから気を失った女性の傍に寄る。
「やはりもう身体に影響はない。安静にしていれば、すぐに元気になる」
あのベルグリオスはこの女性や他の誰かと契約を結んでいるわけではなかった。別次元である地獄の存在たる悪魔が、この世界に留まるには契約が必要だ。それがなければ大したことはできない。
あの悪魔着きに似た現象も、所詮ははったりだったのだ。
「では、私はこれで失礼を」
「本当に感謝の限りです。ご自宅までお送りしますのでお待ちを」
家令も他の使用人も本当に喜んでいるようだった。あの女性は使用人たちに好かれているのだろうね。
私も専門分野では役に立てることが分かって、少し嬉しかった。
* * * *
それから数日後のこと。
「お金がない……」
私は絶賛金欠中であった。
「何故お金はなくなるのだろう……」
ちょっと本を買ったり、外国から魔道具を買い付けただけで、私の財布は一瞬で空っぽになってしまう。
帝国アカデミーがあまり悪魔学を重要視していないためか、私の研究に出されている費用は微々たるもの。そして、自慢ではないが私は研究以外に自分でお金を稼ぐ手段を全く知らない。
「お腹すいた……」
いつものクラッカーすら今日はない。紅茶も尽きて今日は白湯だけだ。
「それでも研究をしないと……。成果がでなければもっと予算が減らされる……」
空腹に唸るお腹を我慢して私がペンを取ろうとしたときだ。
チャイムが鳴った。
「はーい……」
歩く元気もないがとりあえず玄関まで向かう。すると……。
「ルナ・フォーサイス博士?」
いたのは知らない美少女だった。
明るい桃色のドレスに身を包んで、そのプラチナブロンドをミディアムボブにした高貴そうな少女。年齢は16歳ほどで人形みたいに整った顔立ちは可愛らしいが、あいにく私の知り合いにこういう可愛い少女はいない。
「……誰?」
「失礼。わたくしはシャーロット・アシュリー。それともウェスターフィールド女侯爵と言えば通じるでしょうか?」
「あいにく侯爵に知り合いはいない」
何だか怪しい少女に私は猜疑の視線を向ける。
「ほ、ほら! この前、助けていただいたシャーロットですよ、博士!」
「助けた……?」
私の中の脳の配線がかちゃかちゃと繋がっていく。
侯爵家で最近助けた人はひとりだけ。あの女侯爵だ。
「ああ。あのときの少女か。どうし──」
そこで私のエネルギーが完全に尽き果てた。力を失った私はがくりと膝から崩れ落ち、どてんと少女の前に倒れ込んだ。
「博士!? フォーサイス博士!」
ああ。お腹減った……。
* * * *
「ん……」
私は何やら香ばしい匂いとともに目覚めた。
私がいたのは自室のベッド。そこに横になっていた。
「ん。どこかで倒れたと思ったのだが……」
「博士、目は覚めましたか?」
私が記憶の糸を辿るのに、寝室に少女──ああ、シャーロットだ──が入ってきた。その手には買ったもののほとんど使わず埃被っていたはずの深皿の食器がスプーンとともにある。
「もうどういう生活をしていたのですか? お医者様が言うには栄養失調だと」
「お金がなくて……」
「その割には最近買った本が届いていましたけれど?」
「本を買ったらお金がなくなった……」
「食費を削ってまで研究をなさっているのですか?」
「……ああ」
私はシャーロットに素直にお金がないと話すのは少し恥ずかしかった。
「では、まずはこれを食べてください。小さく具材を刻み、しっかり煮込んで、消化に良くしたスープです。栄養もありますから」
「……? この家のどこにそんな食材が……?」
「買ってきました。お部屋も少しお掃除しておきましたよ」
「そんな。悪いよ。お金はないのに……」
本当に申し訳なかったし、ひとりの大人として施しは受けたくなかった。
「悪いのはわたくしの方です。命を助けていただいたのにお礼をするのが遅れて……。ですが、これからはわたくしが博士のパトロンとなり、研究から私生活まで支えさせていただきます」
「え?」
「帝国アカデミーには既に通知しておりますのでご安心を」
「え?」
パトロン……? 私の……?
「さて、博士はいろいろと支えがいのありそうな方なので、楽しみにしておりますわ。ほら、あーんなさって!」
シャーロットはそう言って私の口にスプーンでスープを突っ込んだ。
「あうっ……!」
「あ、熱かったですか? すみません!」
「違うよ。熱くはないよ……」
久しぶり食べたまともな食事は涙が出るほど美味しかった……。
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