街で遊ぶ
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──街で遊ぶ
シャーロットが最初に目指したのは宝石店であった。
いかにもな高級店であるそこにシャーロットが躊躇うことなく入るのに、私は少しばかり怖気づきながら足を踏み入れた。
「ようこそいらっしゃいませ」
高級店は店員も品がいい。しかし、こんな店で何を買うつもりなのだろうか?
「博士。こちらにいらして」
「何だろうか?」
シャーロットが私を呼ぶのに私は彼女の傍に向かう。
「これ、博士に似合うと思いません?」
そう言ってシャーロットが指さすのは、綺麗なルビーのイヤリングであった。それを見て私は顎に手を置いた。
「どうだろうか。私はこの手のアクセサリーを付けたことがないから」
「では、付けてみましょう。わたくし、博士をもっと華やかにしたんですの!」
シャーロットは店員に声をかけて、ショーケースからイヤリングを出させると、私の耳にそれを付けて見せた。そして、私の方に鏡を向ける。
いつもならばぼさぼさの髪で耳はおろか目すらまともに見えなかった私の顔だが、今は長い髪も編み込まれ、はっきりと顔が鏡に映っている。耳に輝いているルビーは決して主張が激しいわけでもなく、小さな華やかさを有していた。
「どうです、博士?」
「いいものだとは思うが、高いのではないか?」
「気になさらないでください! 気に入っていただけたならば買いですわ!」
そう言ってシャーロットはさっさと購入を決定してしまった。
ううむ。研究や生活に関することならばともかくとして、こういうことでまで世話になっていいのだろうか私は悩む。
「わたくしもお揃いのを買いましたわ。つけていきましょう!」
「あ、ああ」
シャーロットも同じ意匠のルビーのイヤリングを買っており、会計を済ませた私たちはそれを耳に着ける。
「どうです?」
「とても似合っているよ、シャーロット」
シャーロットの耳に輝くルビーは私のものよりも輝いて見えている気がした。
「次はどこに行こうか?」
「そうですね。甘いものを食べに行きましょう!」
「いいね」
私たちは次に甘いものを求めて喫茶店に入った。昼間前の喫茶店は客も少なく、ラジオからはクラシック音楽が流れていて、心地よい空気が流れている。
「この店には前にも来たことが?」
「ええ。少し前にですね。アップルパイが美味しいですよ」
「では、それにしよう」
私はアップルパイとコーヒーを頼み、シャーロットはアップルパイと紅茶を注文。
「博士は今は魔除けについて調べておられるのですよね?」
「そうだね。今はそれに注目している。というのも、魔除けからは悪魔を近づけさせないということ以上のことが分かるからだ」
「? といいますと?」
「これは一種の物理学や化学に近い。悪魔がどういう魔除けに敏感なのかから、悪魔の存在がどのようなものなのかを理解できるからだ」
そう言っても理解していなさそうなシャーロットに私は説明を続ける。
「たとえば金属ナトリウムは水に反応して爆発を起こす。この事実からナトリウムの化学的特性が分かるだろう。それはひとつの化学式を提示する」
「なるほど! 悪魔と魔除けもその関係を明らかにできれば、悪魔の特性が掴めるというわけですね?」
「そうだ」
やはりシャーロットは賢い子だ。すぐに物事を飲み込む。
「そして、魔除けには地域の文化が反映されており、一種の文化学でもある。私たちの知る魔除けと他の地域の魔除けは全く異なるもののように見えるが、共通して悪魔に効果がみられることがあるんだ」
私が説明するのをシャーロットは頷きながら聞いている。
「私はその魔除けの中の何が悪魔の存在を不安定化させるか。その法則が知りたい。魔除けの法則が分かれば、悪魔の法則が分かる。法則は物事の起きたことに対する理由がセットになったものであり、法則は理由を明らかにする」
「理由を知れば過ちは繰り返されない、ですね」
「ああ。そして、世界を知るには理由を知れ、だ」
私が父から教わったことを、今はシャーロットが繰り返している。
「シャーロット。君はお父さんのあとを継いで、研究者になろうとは思わなかったのか? 君にはその素質があるように思えるのだが」
シャーロットは物事を理解する力が強くあり、ひとつ教わればそれを忘れないし、より理解を深めている。だから、彼女ならば私よりいい研究者になれるかもしれないと私は思っていた。
「いいえ。私は特にそういうことは考えたことがありません。それに今は博士を支えるのが第一ですから!」
「そうか……」
私のために生きるよりも、君のために生きてほしいと思うのは私の我がままになるだろうかとそう思いながら私はそれ以上言わなかった。
それから頼んだアップルパイと飲み物が届き、私たちはそれを味わった。
「リンゴがごろっと入っていて、それでいてバター風味が強い。これはいいね。流石は君が勧めるだけはあった。美味しいよ」
「ふふ。博士にも気に入っていただけて良かったです」
私たちは談笑しながらアップルパイを平らげて、喫茶店を出た。
「次はどうしようか?」
「少し歩きながら考えましょう」
「分かった」
昼前に結構な量のアップルパイを食べてしまったので、運動を兼ねて私たちはルンデンウィックの街並みを歩くことにした。
「気持ちいのいい日差しだ」
「今日は天気もよくてよかったですね」
「ああ。本当に──」
そこで私の後頭部に衝撃が走った。
「博士!?」
何か固いもので殴られたと気づいたときには、私は意識を手放しかけていた。
「博士、博士! やめて! 離して!」
車が急ブレーキをかける音がし、シャーロットが叫ぶ声が聞こえる。だが、私は地面に倒れたまま動けない。痛みと脳への衝撃が一時的に私が自身の体を動かす能力を奪い取っていた。
「シャーロット……」
それでも私は起き上がろうと足掻いた。歯を食いしばり、未だ脳に残る衝撃に耐え、倒れた際にぶつけた鼻から出る鼻血を拭い、上半身を起こした。
シャーロットが1台に黒塗りの車に乗せられ、連れ去られようとしているのがかすむ視界の中で辛うじて見えた。私はその車のナンバーをすぐさま記憶する。
『酷いやつらだ』
そこで少女の声がそう呟くのが聞こえた。私のよく知っている少女の声だ。
『ばらばらにしてやろう。生きたままばらばらにしてやる。苦痛にのたうち、自ら死を求めて叫ぶがいい。それが報いだ』
少女の声がぞっとするほどの冷たさを感じさせる声色でそう告げていた。強い痛みを感じる頭の中に少女の声が響く。
「ラル……今は私の体を……」
『ああ。もちろんだよ、可愛いボクのルナ。すぐによくなるから』
私が辛うじて発した言葉に少女の声が優しく応じる。
それから痛みがなくなり、私は体のコントロールを取り返した。私は壁に手をついて立ち上がって、周囲を見渡す。
「ご婦人。大丈夫ですかい?」
そう尋ねてくるのは周囲の通行人ではなく、1羽のカラスだ。
「……クルザゼス。どうしてここに?」
「呼び出されたんですよ、ラルヴァンダード様に」
ああ。ラルが手配したのか。私を害したものに報いを受けさせるために。
「クルザゼス。これからいうナンバーの車を追いかけて、場所を知らせろ」
「了解です、ご婦人」
クルザゼスが憑依したカラスはそう言って飛び去った。
「シャーロットを助けなければ……。恐らくは、あれは……」
あの襲撃のとき、私は感じ取っていた。
あれは悪魔の気配だった。襲撃者の中には悪魔が混じっている。
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