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魔物への対処、と言うと、逃げるか戦って倒すかということになる。逃げるならば、運動補助をかけて全力で逃げるわけだが、それに付随して敵の感覚を奪ったり、多少の傷を負わせることもあるだろう。そういうのも引っくるめて、戦いのための魔術というのは、結局のところ敵にダメージを与えるにはどういう魔力変換をすれば良いかという話だ。変換の型は多少変わるかもしれないが、日常使用する魔術と根本的に変わるものではない。
特定の空間的・時間的な魔力パターンを作ることで、魔力が別のエネルギーに変換される。魔力の便利なところは、原子や分子といった粒子を含め、様々なエネルギーに変換可能ということだ。より大きな物体という形を取らせることもできる。ということは、重力を生み出すこともできるし、強い核力や弱い核力、クォークのような素粒子にも、変換できるのだろう。電磁場だって生み出せる。そしてそれ以上に、その変換に必要なエネルギーを魔力操作で集めて来れることだ。細かな現象まで魔力操作しなくても、どういう操作をすれば物体の力を変えたり熱を生み出したりといった実用的な結果を生み出せるのか、いくつかの操作が分かっていることもありがたい。
ただし、どんなパターンを作ればどんなエネルギーに変換されるかというのは、この世界では理論としては確立されていない。科学が発達していないため、魔術で引き起こしている現象が本質的にはどういう現象であるか、理解が進まないのだ。例えば、炎とは、酸化反応の結果高温になった物質が発する光を観測しているものだ。だから、炎を発生させるためには、酸素と、そして酸化する物質が必要だ。何もないところにいきなり炎だけがぽっと出現することはあり得ない。だから、炎の魔術というのは、魔力を可燃性のガスに変換して着火する魔術なのだが、人々の理解は単に「炎を発生させている」というだけに止まっている。
この世界の魔術とは、誰かが偶然に発見した魔力変換パターンをトレースするものなのだ(ただし、後で知ることだが、大半の魔術師にトレースしているという認識は恐らくない)。あるいは、遥か昔に滅びた文明の遺産に、魔力変換のパターンが発見されることもある。いずれにせよ、既存の魔術を改変したり組み合わせて、新たな魔術を作ることは一般に不可能だった。けれど、魔術とは、魔力を用いて何らかの物理現象を引き起こすものだ。魔術は物理なのだ。宮下とユミルは物理学を学んだアドバンテージがある。魔術を分析して要素的な操作に分解し、それを組み合わせて新たな魔術を開発することができた。確認する手法がないために要素は予想に止まることも多かったが、予想に従って構築した魔術が予想通りの現象を生じるかで、間接的に予想の正しさを検証することもできた(究極的には、重力、電磁気力、弱い核力、強い核力やヒッグス粒子への変換に分解できるのでないかと思われるが、そこまでの分析は無理があった)。
そうやって、魔術を理解し、新たな魔術を模索する作業は楽しかった。同時に、折角開発した魔術を、人々のために使いたいという思いも芽生えていた。他の誰にもできないことをやっているのだから、権力者に目をつけられるような目立つことは避けたかったが、いずれはその成果を公開し、人々の役に立ちたい。何かしら自分にできることがあるというのは嬉しいものだし、それが誰かのためになるならなおのこと。だから、戦いのための魔術よりは、日々の生活や産業に役立ちそうな魔術を考えることの方が多かった。
ユミルは宮下を元の世界に帰す方法を模索していたようだったが、元々希薄だった「帰りたい」という意識はほとんどなくなってしまった。そのことはユミルに伝えたけれども、あくまで興味として、転移の魔術の検討は続けるようだった。
年月はあっという間に過ぎ去って行った。