05-1
魔力操作にもかなり慣れ、魔力変換をいくつか覚えた頃。宮下はひとりで森の散策に出た。特に目的はない。強いて言うなら、果実や木の実の採集か。これまで何度もユミルの案内で森を歩いたが、いつまでもユミルにくっついているわけにもいかない。森のひとり歩きにも慣れるべきだった。それに、気分転換ということもある。今のところ、ユミルとの生活で苦になることは特にないが、それでもたまにはひとりで外を歩きたかった。折角、ほぼ手付かずの広大な自然が目の前に広がっているというのに、植生が日本とかなり異なり、新鮮な気持ちで眺められるというのに、その中を彷徨わない手はない。
「この家を見失わない範囲で、お願いします。万一見失ったら、その場を動かないように。遅くはなりますが、余程遠くなければ、私が迎えに行けますから」
そんな注意だけして、ユミルは宮下を送り出した。
この世界には、魔物、つまり魔術を扱う人類以外の生物もいるらしい。けれど、この近辺に、大型肉食獣や魔物はいない。ごく稀に出くわすこともないではないが、それらは何らかの理由でかなり遠くの縄張りを離れてやって来た者だ。その気になれば相当に広範囲の魔力を正確に探索できるユミルがそう言うのだから、間違いないだろう。地面の起伏も少ない。危険はない、そう思って良かった。
森の中には、色々な果樹がある。地球の果物によく似たもの、見慣れないもの。見慣れないといっても、結局のところ丸っこい形をしているのだから、見た目が似た地球産果実を挙げようと思えば挙げられる。奇抜な形の果実を作るには、遺伝子も複雑になるだろうし、エネルギーも多く必要だろう。種の生存に余程有利でなければ、そんな植物は進化しないと思う。けれど、ライチのような皮の中に柑橘に似た果肉が入っていたり、柑橘類と思って食べたらスイカのような味わいであったり、見た目と中身、味、風味のミスマッチが時折ある。果物以外でも、多分あるだろう。地球の料理人やパティシエは、食材の取り合わせに苦労するに違いない。
(なんて言ったところで、あり得ないわけだけどな)
苦労するとしたら、宮下しかいない。
歩きながら、食べられる果実を見つけては持参したかごに入れる。木の実も何種類か。きのこは、この世界でも猛毒の種が多いらしいので手を出さない。この果物や木の実をお菓子にするとしたら、どんなのがいいだろう?パウンド生地に混ぜ込む?タルトに乗せる?果汁を絞ってムースにする?木の実はハチミツかキャラメルに絡めたい。
(あれ?パティシエは苦労しなそうだな?)
いや、苦労するとしたら、生地の方か。小麦粉や牛乳なんかに似たものはあるが、特性が全く同じではないだろう。しっとりせずパサパサとか、固まると思ったものが固まらないとかありそうだ。そういえば、ゼラチンは入手可能だろうか?チョコレートは?
(お、りんご)
りんごは、見た目も味も食感もりんごだ。ただし野生なので、サイズは姫りんごくらい。そして酸味が強めだ。
栽培化によって、意図的かそうでないかに関わらず、品種改良は進むものだ。サイズは大きく、味は甘く。その結果が、現代地球のりんごやいちごといった果物だ。トウモロコシなんかは、現代見られるサイズになるまで、先史時代に長い時間をかけて変化して行ったらしい。恐らく、その時代の人々に、品種改良をしているという意識はなかっただろう。人間の嗜好が、進化の淘汰圧となる。
(そういう考え方すると、やっぱ人間って自然の一部だよな)
そんなことを思いながら、りんごを摘む。大分かごも一杯になってきた。そろそろ食材採集はいいだろう。
ふと周りに目を向けた瞬間。何者かの気配を間近に感じた。
(やべ、魔力に意識向けてなかった!)
相当に大きな生物。木々の向こうから近づいて来る。
丈高い茂みの先から、前脚が覗く。茂みをかき分け、姿を現す。熊だ。4つ脚で歩いているというのに、やや見上げるほどの。
(待て待て待て、熊!?え、デカくね!?え、どうすんだ!?)
熊に遭遇した時は。
ええと、目を逸らさない?
で、ゆっくり後退る?
熊も警戒してるはずだから無闇には
(思いっきり襲って来そうな雰囲気ですけどねえ!?)
如何にも獰猛そうな面構え。歯を剥き出しにして、にやりと笑んでいるようにも見える。獲物見っけ、とでも言うような。
とにかく、少しでも距離を。走り出したい衝動を堪え、一歩ずつ後退る。
その時、宮下の周囲で魔力操作。
(…!!こいつ、魔物か!)
気付くが早いか、ダッシュで魔力操作範囲から逃れる。
魔力変換。生み出されるは炎。
(あっっつ!)
ギリギリ逃げ切れなかったが、服や身体に火が燃え移る前に脱出できた。
と、一息吐く間もなくまた魔力操作、魔力変換。
何とか逃げ切る。また魔力操作。
(あー、なんかないか!?なんか!)
右手にりんご。取り敢えず熊の足元に投げる。
全く興味を示さない。
(あーもう!熊って雑食ちゃうん!?)
魔力変換。本当に何かないのか。
魔力変換。息が切れてきた。
魔力変換。何か何か何か。
魔力変換。足がもつれる。逃げ切れない。火が燃え移る。
地面に転がり、何とか消し止める。
熊の方を向けば、いつの間にか目前に迫った熊。前脚を持ち上げる。
立ち上がる暇もない。前脚が振り下ろされる。
弾き飛ばされる。
激痛。
再度迫る熊。
動くこともできない。
恐怖。ただただ、恐怖。
持ち上げられる前脚。それが振り下ろされる、その直前。
熊の腹に、宮下の顔ほども大きな石が激突した。