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01

 いつもの帰り道だった。

 ふいに立ちくらみのような感覚に陥り、いつの間にか閉じていたらしい目を開いた時には、全く見知らぬ場所に立っていた。

 技術系の企業に就職して1年、通い慣れた道を駅に向かって歩いていたはず。しかし今、宮下拓真の前には、鬱蒼と生い茂る木々の連なりがある。

「ーーーーー」

 背後から聞こえた男の声に驚いて振り返ると、長身の男が金色の目を見開いていた。互いに固まることしばし。先に復活したのは、あちらだった。

「ーーーーー」

 何事かしゃべるが、何を言っているのか一切分からない。戸惑っていると、男は察した風で、

『こんにちは。私はユミルと申します。失礼ですが、あなたは?』

「うわっ!な、何だ!?」

 今度は頭の中に日本語が聞こえてパニックになりかける。

『すみません。これは魔術の応用で、イメージというか、言葉の意味というか、そういうものをあなたに投射しています。いわゆる、テレパシーというやつでしょうか。あなたに分かる言語で私の言葉が聞こえているはずです』

 魔術?テレパシー?言葉は分かっても、内容は分からないことだらけだった。唯一理解できたのは、この男の名前くらいか。

 名前?名前か。こちらも名乗るのが礼儀か。

『頭の中で言葉を思い浮かべて頂けたら、失礼ですが読み取らせてもらいます』

なる…ほど?

「宮下、拓真です」

 つい声に出してしまった。

『あ、宮下がファミリーネームで、拓真が個人名です』

『ミヤシタさん…ですか。不思議な響きですね。ではミヤシタさん。あなたは今突然ここに現れました。その要因に心当たりはありますか?』

『…いや…何が何だか…』

『そう、ですか…』

 またしばしの沈黙。

『あの、ここはどこでしょうか?俺、家に帰る途中、のはずなんですけど』

『そうですか。あ、そうですね。ここはデルサイ王国とフィナ王国の境付近に広がる森の中です』

 どちらの国も聞いたことがない。

 と、そこでユミルが両手を組み、祈るようなポーズを取った。

『申し訳ありません。信じ難いことですが…あなたは、私の魔術の暴走に巻き込まれたのかもしれません。魔力の密度を高める実験をしていたのですが…』

 謝罪の動作だったようだ。

 ユミルによれば、魔力密度を高めて行ったところ、ある時魔力を集中したその1点が強烈に光った。かと思えば、次には真っ黒になり、その後宮下が現れた、らしい。何だそれは。

『ともかく、一旦落ち着きましょう。家にお入り下さい』

 言われて見れば、小ぢんまりとした家が立っている。どうやらここは、森の中に開けた広場であるらしい。そんなところに家を建てて住んでいるというのは、一体どういうことなのか。犯罪者、にしては刺々しさがないから、世捨人というやつか、何か修行でもしているのか。何にせよ、ユミルについて行く以外の選択肢は、宮下になかった。


 家に入ると、ユミルはお茶を用意してくれた。良い香りに惹かれて口に含むと、ほのかに甘い、花の香りをつけた紅茶といった味わい。美味しい。

 そうして人心地ついたことろで、ユミルは奥に引っ込んだ。戻って来ると、手にした巻物を広げる。地図だ。

『この家は、大体この辺りにあります。ミヤシタさんはどこにお住まいですか?』

ユミルが指したのは、地図の大半を占める大陸の西の方(南北の向きが日本の地図と同じならば)、描かれた線が国境線だとすれば、西の海岸線を持つ国の端、内陸の国との国境付近だ。地図には文字らしきものも書かれているが、国名だろうか。見覚えのない文字だ。そして、大陸ひとつが丸々描かれているが、その形は宮下が知るどの大陸とも全く異なる。

『この地図にはない、です』

『……分からない、ではなく、この地図にはない場所ということ、ですね?』

『そうです』

 それを聞いたユミルは、大きく息を吐き出した。

『……やはり、私は大変なことにミヤシタさんを巻き込んでしまったようです。状況から考えて、恐らく私の魔術がミヤシタさんを呼び寄せたのでしょう。問題は、人、に限らず何かを転移させる魔術は知られていないこと、そして私達の知る世界の外からミヤシタさんを転移させたらしいということです。あなたを元いた場所に戻す方法が、きっとあるでしょうから、何としても探し出します。それまでは、あなたが嫌でなければ、この家に住んで下さい。ここにいる間の生活は、できる限りサポートします』


 それからも、驚きの連続だった。

 食事を用意すると言って台所に立ったユミルが手にした食材は、日本で見る野菜によく似たものもあれば、見慣れないものもあった。どぎつい色を見て、つい毒はないのかと聞いてしまったものもある。

 ユミルがコンロの薪に手をかざせば火がついたし、空の鍋にはあっという間に水が満たされた。手際良く調理して、完成した料理は凝ったものでこそなかったが、香り・味・食感どれをとっても文句なく美味しかった。風呂にも入らせてもらったが、ここでも魔術で湯を沸かしていた。

 そうして、寝室に案内された宮下は、眠れずにいた。

 結局のところ、自分に何が起こったのか。ここは一体どこなのか。宮下の知る限り、魔術などというものは物語にしか存在しない。それに、見知らぬ地図、ユミルが語った経緯。それらを総合して、頭を過ぎるのは異世界転移の文字。けれどーー

「マルチバースったって、そんな無茶言いなさんなって」

 ユミルは、魔力を集中した1点が真っ黒になったと言った。極小のブラックホールを抜けて並行世界に来たと?まさか。仮にユミルが本当に極小のブラックホールを作ったのだとして、1点と言うからには、人が通れるようなサイズではないだろう。それに、そこを抜けるには巨大な重力に耐えなければならない。万一抜けられたとして、その先に人間が生きられる環境がどうして存在するのか。知的生命がいるからこそ、人が通れるブラックホールが開いたと言えるけれども、その知的生命が誕生した環境が、物理法則が、地球とほとんど同じなのは何故かという話だ。生命が誕生する程永く存続できる宇宙は、必然的に地球が存在する宇宙と似た法則で成り立つ?もしかしたら、そうかもしれない。では、どうしてヒトと同じ見た目の知的生命が存在するのか?直立二足歩行が、知性発達の必須条件だとでも言うのか。いや、直立二足歩行で生き残るためには、知性の発達が必須なのか?それはそれで面白い議論ーーではなく。顔形まで同じと言っていい程に似ているなど、あり得るのだろうか?下手したら、遺伝子まで同じかもしれない。DNA分子自体が奇跡的な物だと言うのに!さらに、知的生命だけでなく、植物だって地球と似た物が多い。環境が違うのだからーーいや、何故か地球とほぼ同じ環境なのか。だとしても、地球上で再度一から生命の進化が繰り返されたら、同じような生命が誕生するだろうか。かなり姿形身体機能の異なった生命ばかりが誕生しても、全く驚かない。

 では、同じ宇宙で地球とは別の星、というのはどうだろうか。これは、異世界転移と全く同じ、どうして地球上の生物と見た目の変わらない生物が多くいるかという疑問が生じる。魔術などというものに説明をつけられる分、まだ異世界転移の方がマシかもしれない。いや、物理学が発見できていないだけで、実は地球にも魔術は存在するのか?

 それなら、地球であることは変わらず、過去か未来に飛ばされたというのは?……過去はないだろう。大陸の形が全然違う。地球上にヒトが誕生した時には、既に大陸は概ね現在の形に近かったはずだ。この地は文明がそれなりに発達しているようだし、魔術の理論もある程度構築されている様子。もしヒトがかつて魔術を使っていたならば、現代にもっと魔術の情報が残っているだろう。逆に、未来に飛ばされたという仮説は、割合魅力的だ。それなら生物の姿形が似ていてもおかしくはないし、未来でヒトが魔術を発見したかもしれない。大陸の形が変わる程の年月をよく生き残れたものだと思いはするし、その割に今のところ魔術以外の技術的進歩が見当たらないことが不思議ではあるが、紆余曲折でそういうこともあるかもしれない。よく耐えたな、人間。とはいえ、タイムトラベルなんて可能なのかという根本の疑問は残ったままだ。ユミルの魔術で時空が歪んだなら、ユミルの時間が引き延ばされて未来に飛ぶならまだ分かる気がするが、過去から人一人を引っ張り込むというのは納得し難い。いや、納得し難いと言うなら、空間転移も同じことか。そもそも非常識なことが起こっているのだから、常識を当てはめても無駄かもしれないがーー。

「ダメだ、これ考えたらダメなやつだ」

 情報が足りな過ぎる。考えて分かる問題ではない。考えても分かり得ないことは、考えてはいけない。それは、時間の無駄でしかないのだから。

 こういう行き詰まった時、宮下はよく一言こう呟く。

「オーケイ」

 行き詰まった思考を切り替え、少しポジティブな気持ちにしてくれる魔法の言葉だ。

 大丈夫。衣食住のうち、少なくとも食と住はユミルが用意してくれる。土作りから始めてジャガイモを栽培しないといけないわけではないし、記憶をなくして同僚の遺体と共に宇宙船の中というわけでもない。何が起こったかは、これから生きて行くのに大して関係がない。異世界だか未来だか知らないが、魔術なんてファンタジー、一先ずは異世界と思っておけばいいだろう。いずれにせよ見知らぬ世界であることに変わりはないし、元の時空にそれ程未練もない。ユミルは戻す方法を探すと言っていたが、本当に可能かも分からない。ならば、ここでの暮らしを楽しむ方法を考える方がいい。

 苦労は多いだろう。けれど、自分でも意外なことに、見知らぬ土地での生活に胸が高鳴っていた。

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