鷲デリレレ
ジャンルをどうすればいいのかわからなかったので、『その他』にしました。
ある朝飛べない鷲のデリレレは、親鷲に怒られたことと、自らが飛べない事実を突きつけてくる『現実』という名の刃への恐怖とで、涙腺がゆるゆるになっていた。そして、いつも彼が羽を休める大木の、その太い枝の葉隠れで、ついに泣いた。
「嫌だ、嫌だ。わしはこんなわしはいやじゃ」
鷲だから自分のことをわしと言う彼はまだ若い。生まれてから日の浅い彼が羽ばたけないのも、仕方無いことである。だって、飛べないのは彼だけではない。彼の同級生の八割は幼さのせいでいまだ初飛行を達成していないのである。それなのに何ゆえデリレレは彼が彼自身であることを拒むのであろうか。同級の仲間たちと疲れた羽を慰めあえば良いのに。…しかしデリレレは、同級生に慰めを求めない。また彼らを慰めることもしない。大木の葉隠れから一羽、遠くの同級生たちを眺めるばかりである。
デリレレは、『飛べる側の鷲』になりたかったのである。二割の、既に初飛行を終えてしまった、悠々とすまして見下した眼をする連中の仲間入りをしたかったのである。デリレレは才能が欲しい。デリレレは優越感に浸りたい。デリレレは勝ち組になりたい。
それなのに、虚栄心の強い彼なのに、どうしようもなく負けたくない彼なのに、彼は、初飛行が出来ない。二割に入れない。八割を見下せない。
「嫌だ、もう嫌だ。わしは死んでやる。こんな錆びてる世の中からはもうおさらばじゃ」
デリレレは枝の先端から地の底を見た。大木の根っこが浮き出ている草地をデリレレは眺め見て、『ここから飛び降りて死ねるのならばわしは負けないで済むのじゃな』と息を呑んで、それから『へへ』と卑屈に嘴を鳴らした。
『ここから落ちて死んでもわしは初飛行も出来ない雑魚と皆に思われているのだから、皆はわしが自殺ではなく事故で死んだと思うじゃろう。初飛行できないことに苛立って背伸びしたデリレレが高い所から飛ぼうとして馬鹿をやったと、みんなわしを鼻で小馬鹿にするじゃろう。それはくやしいが、それで終わりじゃ。わしが負けたことをみんなはすぐに忘れる。わしが雑魚だということを皆がはっきりわかる前に、わしがわしの手で命を終えさせることも、また一つの勝利の形じゃなかろうか』。
デリレレはそう思いながら枝の先端から見える地の底に再び眼をやった。嘴をカッカと鳴らしてみてから、唾液を垂れ流す。そしてデリレレは、耳を澄ます。しかし零れ落ちた唾液がデリレレの視界から消えて数秒だっても、唾液が地の底に落ちる音は、デリレレの耳に聞こえてこなかった。
デリレレはむなしくなった。本当にこの世から消えてやろうと思った。そう思って歩を進めてデリレレが不安を感じていると、枝が折れた。
デリレレの体重の重みに枝が耐えられなくなったのだろう。ポキリと逝ってしまった枝が地の底へと引っ張られる。それに付してデリレレも落下する。デリレレは絶叫しながら自らが本当に死ぬことを知った。その瞬間に、『生きたい』と脳が思った。
落下する。宙を、小さな鷲のデリレレが。
死ぬときを待つ、小さな命が、悲しみを持った目で。
血の底に、真っ赤な花が咲く。
その寸前。
力強い何かがデリレレの両翼を掴んだ。デリレレが戸惑う間もなく、その翼は彼のまだ幼い体を無理やりに引き上げる。
「大丈夫でしょうか?」
それは女でありながら里で最も勇ましいと評判の鷲、ロコであった。ロコは才色兼備だから、ある意味でデリレレが一番会いたくない鷲であったかもしれないが、デリレレはそんなことを思う余裕も無い程に頭が混乱していたので、地の底にゆっくりと着地するまで自分を助けてくれたのがロコだということにも気がつけなかった。地についてしばらくデリレレは激しく呼吸をするだけで眼も血走っている。そんなデリレレはしばし落ち着いてから、命の恩人のロコを精一杯の嫌悪でにらみつけた。
「危なかったよ、デリレレ。もうすぐで死ぬところだった。何であんなところから飛ぼうとしたの。あなたはまだ初飛行すらも終えていないのに」
ロコの叱責の内容もデリレレの耳には一言も入り込んでこない。『なんでわしをロコが助ける。よりによってロコ。よりによってロコ。よりによってロコ』。混乱が収まらない脳内で発生してくる才能への嫉妬。それが表情に嫌悪となって曲げられて表出している。そんなデリレレの嫌悪に気がついたロコは気分が悪くなったが、同時に何故デリレレが大木から落ちたのかわかったような気がした。ロコは頬をやわらげてから、デリレレに言葉を掛ける。
「あなたがどういう鷲なのか、わたしはあんまり知らないわ、デリレレ。だけど、焦っちゃ、だめ。ほら、周りを見て。あなたと同級のみんなだって、あなたと同じように悩んでいるわ。今度、誰かに相談してみるといいわ。きっと、そうすればデリレレの焦りも収まるわよ」
ロコの言葉を受けたデリレレの表情は和らぐどころかさらに歪んだ。嫌悪が憎悪に変貌してデリレレはぐにゃぐにゃになっている。
そんな二羽の背後、つまり、見上げる程巨大な大木、で、高音が鳴った。『キュウウンンン』というなんとも可愛らしい音。
飯の支度が終ったことを告げる合図である。
その音が鳴った後、静かになる。二羽の間の静寂、沈黙。
気まずい数秒。
口を開いたのはデリレレだった。
「飯を食べにいきます。明日もまた飛べるように練習するんです。飯を食べないと元気になりませんものね」
ひんやりとした言葉を放り投げてから立ち上がるデリレレ。よたつきながら大木に帰ろうとする。そんな彼にロコは一言だけ告げた。
「あなただって、やれば出来る」
デリレレは、イラついた。
翌日。
鷲たちが住んでいる大木。その枝の先端で、またもデリレレは地の底を眺めていた。
『この世から消えるとわしはどうなるのじゃろうか。天界があるのじゃろうか、それとも地獄で閻魔王が待ち受けているのじゃろうか。もしかしたら何も無い可能性だってあるが、それは怖いかもしれん。嫌じゃのう、嫌じゃのう、嫌じゃのう。…だが、わしが将来、落ちこぼれた鷲になるのならば。…そう、いっそのこと。今終らせてしまったほうが、良いのではなかろうか?…昨日はロコに邪魔されたが、今日こそは』
デリレレは、自ら地の底に飛び込んだわけでも無いくせに、自分で飛び込んだのだと勘違いしている。それゆえに彼は今日も飛び降りる気満々であった。(昨日落ちたから、今日も落ちれるはずだ)とバカみたいに勘違いしている彼の瞳は地の底をジッと見つめたまま動かない。
『さあ、行くぞ』
意を決して一歩踏み出そうとした瞬間、突然、地面が揺れた。
デリレレは思わず枝にしがみついた。振動でぶらんぶらん揺れる先端に足の爪で、必死にしがみついた。
その振動は長らく続き、デリレレは『落ちる』と心底、自らの死を覚悟して思わず眼をギュッと瞑りました。しかし、彼の足の爪は思ったよりも力強かった。デリレレが『落ちる』と思っても足の爪が『大丈夫、大丈夫』って感じで枝から剥がれない。それでも『いや、落ちるって』とデリレレが思っても、足の爪は『いっや、まじで平気だから。大丈夫、大丈夫』と強気の姿勢を緩めず、結局、その状態のまま振動は収まった。
デリレレは強気だった足の爪を眺めながら、『わしチキンだ』と自らを卑下した。
「もう、まじで死のう」
虚ろな眼をしながら地の底に体を預けようとしたデリレレ。しかし、今まさに足の爪が枝を蹴ろうとした時、地の底で真っ赤な花が、咲いた。
真紅のそれが血液だということを、デリレレの幼い眼でもすぐに理解できた。どういうことだと思いを巡らせて浮かんでくる情景は、どのように考えても一つの結論を導き出す。…今まさに自分が死のうとしたさっき、わしと別の鷲の誰かがくたばった。
「誰が。誰が死んだんじゃ。どうしてじゃ」
彼自身も気がつかぬうちに、デリレレは枝の先端を蹴り飛ばして地の底へと一直線。もの凄い勢いで空中を落下する。デリレレは地の底にぶつからなかった。地の底にぶつかるスレスレで身体をスムーズに降下姿勢に変えて、不器用な羽ばたきながらも、しっかり足の爪で、地の底に着地した。
着地したデリレレは初飛行に成功した喜びに浸ることもせず、亡骸の下に急いだ。やがて近づいて、恐る恐る亡骸の顔を覗き込んで、息を呑んだ。
「きみは…」
その後の言葉は続かなかった。名前を呼ぼうとしたのだけれど、思い出せなかった。亡骸になっていたその鷲はデリレレの知っている鷲ではあったが、頭が混乱しているせいか、それとも名前を呼び合う程の仲で無かったせいか。デリレレは喉に食べ物を詰まらせたような顔をしながら、亡骸の鷲に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになった。おそらく自分が第一発見者なのに、第一発見者のわしは、あなたの名前を思い出すことさえ出来ない。あなたがどんなことで喜ぶのか知らない。どんなことで悲しんだり怒ったり不思議がったりする鷲なのか、わしはまるで知らない。
デリレレは、しばし亡骸を見つめた。その時間は長かった。長いこと彼は物言わぬ鷲を見つめていた。
『わしがこうなっていたのかもしれぬのか』
ふと、そんなことを思った。何も見ていない亡骸の、鷲。哀れな遺体を見ながら、『わしはこんな姿になろうとしていたのか』と、思わず凄惨さに圧倒されるデリレレ。
―――キュウウンンンン
飯の支度を告げる高音が鳴るが、デリレレは遺体に背を向ける気分にならない。
もはや陽が傾き始めていた。デリレレも遺体も、夕陽の中。
デリレレは夕陽の中に照らされながら、ただひたすらに憂鬱を感じた。
『なぜ、わしが先に死ななかった。こんなのを見せ付けられたら、もうわしは、死ねない』
夕陽を閉じ込めた燈色の眼から、デリレレは大粒の涙を、ぼろぼろと流した。
それから数日後。
デリレレは枝の先端から離れることが出来ない。
毎日ここを訪れては、遺体の凄惨さと自らの憂鬱を思い出す。
デリレレは初飛行を成功させたけれど、あれ以来は一度も飛んでなかった。飛ぶ気持ちにもなれなかった。
ずっと一人でいたい。
枝の先端に来ては毎日、毎日。デリレレはひたすらに孤独を味わっては、しかし心を穏やかにさせていた。それは現実から逃れることへの快感に他ならなかった。
葉に隠れ、集まっている同級生たちを眺めては現実を思い出す。このままではいけないなと、時たま、彼らと打ち解けてみようと足を踏み出すが、真紅の花の光景を思い出しては、なぜだか、足が止まってしまう。…身体ごと硬直させてから、デリレレは思う。
『わしはもう、このままでいいや』
そんなことを思う彼の下に現れた彼女は、ひどく不満気な顔つきだった。
「あなた、デリレレっていう名前だったのね」
枝の根元から響いてきた声に振り返ってデリレレは嫌な気持ちになる。デリレレは、誰にも会いたくなかった。
「わしはあなたがロコだって知っていました。どうせならわしの名前、覚えておいて欲しかったんですけれど」
仕方無く発せられたデリレレの声はひどく嫌味ったらしい。
ロコは気にも止めないのか、先端にどんどん歩を進める。デリレレは落ちやしないかとびくびくしながら数歩下がって、ロコから逃げる。
「あなたは」
「はい?」
「彼女の名前を知っていたのかしら」
「え」
「彼女の名前よ」
「誰のことですか?」
「先日なくなった、あの鷲のことよ」
デリレレの胸が途端に締め付けられた。
「ああ、あの鷲ですか」
「あなた、名前を答えられなかったわよね。わたしにジェラーのことを伝えに来たとき」
「ジェラー?」
「あの鷲の名前よ」
デリレレは背筋が凍るのを感じた。ロコがひどくこちらを責めているように感じた。思わずたじろきそうになったが、背後にはもはや足場がなかった。
ロコはゆっくりと一歩一歩デリレレに迫る。目と鼻の先にまでロコがデリレレに近づいた時、彼女は口を開いた。
「あなたはどう思った?」
ロコの意味深な言い方に押され、デリレレは詰まってしまう。
「なんのことですか?」
「彼女の死を見てどう感じたのかって聞いてるの」
デリレレは数秒沈黙してから、答える。
「別に、なんとも思いませんでした」
デリレレの発した言葉は弱弱しかった。ロコは少し笑ってから、すぐに真顔に戻った。
「いくじがない」
「は?」
「いくじがないって、言ってるの!」
怒鳴りちらすような声だった。ロコはびびったデリレレが先端から落下しそうになった瞬間に彼の両翼をつまみ上げる。そして、ロコはその状態のまま一気に地の底への落下を始めた。デリレレをつまみあげたまま。
ロコは落下しながらデリレレに最大限の恐怖を体験させる。二回転宙返り、バック三回転宙回り、アクセルフルスロットル、ベラルガナット。熟練の技を惜しみなく発揮しながらの落下。デリレレは恐ろしい程の向かい風に煽られてパニックになったのか、「やめてください、何するんですか!」と繰り返し絶叫するが、ロコはアクセルをフルスロットルにしてその言葉を掻き消す。
地の底に降り立ったとき、既にデリレレの頬は涙でぐにゃぐにゃになっていた。地の底に顔を伏せたまま、大声で泣き喚く。
「どんな気分だった?」
平然と聞いてくるロコのことをデリレレは心底憎たらしく思った。この際、この悲しみの全てをこの女にぶつけてやりたい、そんなことも思った。
「楽しかったでしょ?あなたも大人になればああいうことが出来るようになるわ」
『憎たらしい。憎たらしい。言い方が気に食わない。わしが将来落ちこぼれになることをわかっててロコはこういうことを言ってるのじゃ』
「私は特別上手なほうだけど、何も生まれつき凄かったわけじゃないわ。周りよりも努力したのよ。誰よりも努力した自負が私にはあるわ。同級生の名前も忘れちゃうようなデリレレ君の比じゃないくらい私は努力を重ねて今の私になったの」
『なんなんだよお前は。同級生の名前を覚えることが努力と関係あるかっつーの。わしはただ、ただ、もういやなんじゃ。生きていけないんじゃ。それなのにお前は何でも出来るからって自慢ばっかりしよって。お前にわしの何がわかるんじゃ。わしがお前のことをわからんのじゃから、お前がわしのことを理解できるはずがなかろう。ジェラーとかいう同級生だってわしの名前なんぞ知らなかったに違いない。お前だってジェラーの何を知っておるんじゃ。せいぜい名前と見た目くらいじゃろ。それだってのに全てを知った風な顔をするお前が気に食わぬ。とことん気に食わぬ』
「言いたいことははっきりと口に出して言ったらどうなの、デリレレ。あなたの顔、ものすごく怖いわ。そんなに睨み付けられたら、みんなだってあなたには近づきづらいんじゃないかしら。私は、デリレレ。あなたはまず、そういう欠陥を治すべきだと思うわ」
『…欠陥?…欠陥だと…?』
デリレレは『欠陥』という言葉に激しい憎悪を感じた。衰えていた彼のプライドがその言葉を聞いた瞬間、燃え盛る。
「わしは今、怒った」
「はあ?」
ロコが気味悪いモノを見るような表情でデリレレを見つめていたが、デリレレは構わず続ける。
「わしは今までプライドの塊じゃった。プライドの塊がわしで、わしがプライドの塊じゃった。…わしはそんなわしを、ひどく嫌な奴じゃとわかっておった。わかっておったからこそ、さらに嫌な奴になりたかった。どうせ嫌なやつになるのならばとことん嫌な奴になってやろうと思っておった。だからわしは誰のことだって見下したかったし、誰よりも優秀でありたかった」
「あら、だったらあなたは優秀とは言えないわね。何せ、初飛行すらもマトモに出来ないんだもの」
「その通りじゃ。わしはマトモに空も飛べない臆病者じゃ。プライドだけで構成されたただのゴミくずじゃと近頃は諦めておる。才能に憧れておった、全知全能になりたかった、誰よりも徹底しておりたかった。だけれど、そんなことに思いを馳せるのはもう止めることにしたんじゃ。わしは所詮ただの鷲じゃった。ロコみたいな特別でも何でもない、わしはただの平凡な餓鬼でしかなかった」
「そう。大変だったのね。だけど、よかったじゃない。そのことに気がつけて、ね」
「ふん。まったくそう思うよ。わしは、ひどい思い違いをしておった」
「誰だって自分が特別だと思いたいわ」
「違う」
「あら、さっき自分で…」
「違うんじゃよ」
「?…なにが…」
「わしは気がついたのじゃ」
「はっきりいいなさい」
「ならはっきり言ってやる。わしは気がついた!特別であるよりも、平凡な餓鬼であることの方が重要だっていうことにじゃ!おぬしみたいに他の鷲を『欠陥』だと言えるような腐り果てた鷲になるくらいだったら、わしは平凡な鷲であることを望む!何が『私は努力した』、じゃ。わしだって努力しとるわ。人一倍努力しとるつもりじゃわ。おぬしのような高慢ちきの鷲には、わしは、絶対にならんからなぁ!」
怒鳴り声は夕焼けに吸い込まれてやがて消えていく。
傾いている夕陽は、デリレレに、遺体の凄惨さを眺めていた自分自身の姿を思いださせた。ジェラーという一羽の鷲をろくに弔うことも出来なかった自分自身。『わしはやっぱり、どうしようもない鷲じゃ』と、デリレレはまた憂鬱を感じる。
そんな思いに耽っている彼の耳に、耳障りな大声が入り込んできた。
それは、ロコの大きな笑い声だった。彼女は先程までとはまるで違う、屈託の無い笑顔を作っていた。デリレレは戸惑うしかない。
やがて笑い声が収まりかけた頃、ロコは「ごめん、ごめん」といいながら、笑いすぎで溢れていた涙を翼で拭う。ロコは、訝しげに彼女を見つめるデリレレを、先程と正反対の表情で見つめ返す。それは慈愛で満ちていた。
「本当、ごめんね、デリレレ。少し、荒療治すぎたかも」
そうして彼女はまた笑った。デリレレはもはや「はぁ?」としか言えない。そんな彼を見ながらロコは続ける。
「毎日、毎日、地の底を眺めてるあんたを見て、みんな心配してたのよ。ジェニーが死んだこともあったし、近頃若者の事故死が多発していることもあったしで、みんな、あなたが飛び降りるつもりなんじゃないかって。…私は落ちたあなたを受け止めたことがあったから、その話を聞いて心配になったのよ。あなたは周りに自分のことを話さない鷲のようだから、こうして悪口を言って怒らせて、あなたの本心を語らせようと思ったの。…でも、あんなに怒らせちゃうとは思わなかったわ。…少し言い過ぎた。デリレレ、ごめんなさいね」
ロコは真剣な表情で頭を下げた。はめられたことを知って怒りを感じたデリレレだったが、こう丁寧に謝られては言葉の返しようも無い。絶句したまま一言も発せ無くなった。
そんなデリレレを見かねてか、ロコはとぼとぼと地の底を歩き、
「こっちに来て」
とデリレレを呼び寄せた。呼び寄せられた場所の地面には、薄伸ばしにされている赤色があった。
「ジェラーの死んだところよ」
ロコはとても悲しそうな表情をしている。デリレレも、あの日のことを思い出さずにはいられない。自然とどこかから憤りが溢れて来た。
ロコは続ける。
「私はね。私は、あなたに似ているところがあったの。…さっき、周りよりも努力したなんて言ったけど、実際、あれは本当のことよ。私は自分のことをいつもそうやって慰めて、周りの鷲たちよりも自分が優れていることを誇って悦に浸るのよ。そういう風に思う時が一番楽なの。幸せなの。人にね、嘲笑われたくないのよ。周りから認められている確証が無いと生きていけない、貧弱な鷲なのよ。私は、あなたもそういう鷲なんじゃないかと勘繰ってた。小さい頃の自分と雰囲気が似ているような気がしたから」
そこまで言い切ってロコは一息ついた。デリレレは絶句したような、びくびくするような表情をした後、ゆっくりと口を開いた。
「それで怒らせて見たら、見事勘が的中したっていう訳ですか」
すでに涙声のデリレレ。
「ごめんなさいね。ごめんなさい」
デリレレは既に眼を真っ赤にして泣いていた。夕陽を見ながら、薄く伸びている血の跡を眺めながら、デリレレは止まらない涙をボロボロ、ボロボロ。それにつられるようにしてロコも、ボロボロと泣き始めてしまった。
夕陽の朱色が、二羽を朱色に変える。
大木も朱色で、血の跡も朱色。
デリレレは知らなかった。自分を思ってくれる、わかってくれる鷲がいるなんて、心の奥底ではまったく信用していなかった。理解してくれるという期待すらもしていなかった。それなのにデリレレは今、涙を止められない。自分のために泣いてくれているロコの涙の一粒一粒を見ては、デリレレは胸が熱くなって一杯一杯になる。
しばらくは二羽の啜り泣きだけが、地の底で鳴り響いた。
―――キュウウウンンン
やがて、高音が鳴った。飯の支度が出来たことを告げる合図。
合図が鳴り終わって、沈黙。二羽は、涙を流しながら。
やがて、ロコが言う。
「さあ、ご飯を食べに行きましょう。そうすれば、明日、心配してくれた人たちに恩義を返す勇気が湧いてくるから」
デリレレは泣き腫らしながら何度もウンウン頷いた。そしてごしごしと翼で涙を拭う。
前を見て、ゆっくりと歩き始める。死んだジェラーのことを思いながら。生きている同級生たちのことを思いながら。
「わし、ロコのことを信用していいのかまだわからん。わからんけれど、わしは今日生きてる気分になった。ロコのこともっと知りたいって思えた。同級生のみんなとも話してみたいって気分になれたような気も、する」
とぼとぼ歩く彼の後姿と言葉は、今までよりも力強い。
ロコはそんな後姿に、一言だけ告げる。
「あなただって、やれば出来るわ」
デリレレは、今度は、イラつかなかった。