老人の童話
人生で最初の葬式は祖母の葬儀だった。まだ小さかったので、あまり憶えていない。読経の間だけでも大人しくしているよう親から厳しく言われたようだが、一瞬の隙を突いて坊主の横へ突進、自分も一緒にムニャムニャやって皆を笑わせたそうである。親は恥ずかしかったそうだが、小さい子供だとそんな風にもなる
よ、と当時の親の年を越え棺の中に片足を突っ込んでいる老いぼれの私は考える。
何しろ、その頃の私は幼すぎて、死というものが理解できず、何をやっているのか、さっぱり分からない。大好きだったおばあちゃんに会えなくなるとか、最後のお別れだとか言われてもピンと来ないのだ。
最終的に親が私を抱き抱えて葬儀の場から強制退出となったわけだが、そのときの記憶はある。斎場の外は商店街の新年大売り出しか何かで騒がしかった。スピーカーからラジオらしき音声も流れていたので、さらに喧しい。
スピーカーから聞こえたラジオの声は、こんなことを伝えていた。
「「冬の童話祭2025」のテーマは「冒険にでかけよう」です。
皆様のご参加を心よりお待ちしております!
例えばこんなお話
おばあちゃんからもらった手紙には、宝の地図が書かれていた。
オルゴールの蓋をあけると知らない世界が広がっていて……?
やんごとない身分の主人公が初めてたった一人で外に出かけるお話。
などなど」
それを先程、突然、思い出した。同じ文章を目にしたからだ。
「「冬の童話祭2025」のテーマは「冒険にでかけよう」です。
皆様のご参加を心よりお待ちしております!
例えばこんなお話
おばあちゃんからもらった手紙には、宝の地図が書かれていた。
オルゴールの蓋をあけると知らない世界が広がっていて……?
やんごとない身分の主人公が初めてたった一人で外に出かけるお話。
などなど」
こんな偶然がありえるのか?
しかも、だ。
私が死の間際のおばあちゃんがもらった手紙には、宝の地図が書かれていたのである!
これは、もう偶然ではない。必然だ。あるいは、なろうの予言か何かだ!
親に見せても「こんなの偽物に決まっているだろ。それより勉強しなさい」と言われて終わりだったなので机の奥に仕舞い込んだままになっていたが......どうやら、宝の地図の復活する時が来たようだ。
さあ冒険に出発だ!
さあ地図に書かれた場所に着いたぞ。
宝があると記された地点には「オルゴール」という文字が浮き彫りにされた小箱があった。
「この蓋を開けると、どうなるのだろう?」
宝が入っているかもしれない小箱だが、喜びより不安の方が強い。大金が手に入るかもしれないのに、何を恐れているのか、不思議に思う人がいるだろう。その理由を不快に感じる方がいると思うが、書いてしまう。金目の物なら要らない。地球全部を買えるような天文学的な価値のある宝物ならばともかく、豪邸や高級車が買えるといった額にしかならない安い幸せならノーサンキュ! その手の贅沢は飽きた。財産を残す家族がいない老人の私には使いきれない金を貰っても手に余るだけなのだ。私の金を狙って近づいてくる連中にもウンザリだ。そんな顔も見たくない奴らから離れた冒険者生活は楽しかった。むしろ宝を追い求める冒険そのものが宝物だと思えてきたのが現在の偽らざる心境である。
夢は叶える直前が最も美しいと聞く。
いっそこのままオルゴールの蓋を開けずに帰ろうか......と思った時、なろうの予言が脳裡を過った。
オルゴールの蓋をあけると知らない世界が広がっていて……? という、あれだ。
もしも、その通りなら?
その知らない世界に、私が旅立てるとしたら?
冒険は終わらない。
新しい世界での新しい暮らしが、私を待っている。
そう思えてきたのだ。
私を誰も知らない場所で何もないところから人生を再び始めたいという思いが沸き上がる。
オルゴールの蓋を私は開けた。
#やんごとない身分の主人公が初めてたった一人で外に出かけるお話。
なろうの予言みたいなものでは「たった一人で」と書いてあったが、それは少し変更された。一人の従者が付き従うのである。経験豊富な頼もしい人物で、主人公のために体を張る格好良い役どころだ。ちなみに、それは私である。ちょっと荷が重いかなと不安だったが、私が不安だと主人公までビビってしまう。そんな肝っ玉では格好良い主人公になれない。私がしっかり育ててやらないといけないのだから、まず私自身がしっかりしないといけない。頑張るぞ。
そろそろ出発だ。
それでは冒険の旅に行ってきます!