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送り狼  作者: 月原レイ
4/4

その後

 翌朝、楓子は見知らぬ部屋の布団で目を覚ました。

「……どこ……?」

「気がついたかい?」

 視界の右側で、つた子が申し訳なさそうな表情で楓子を覗きこんでいだ。

「あの子が、あんたをここに背負って連れてきたんだよ」

 つた子は、起き上がる楓子の背を支えながら説明する。

「……すまなかったね……本当に……すまなかった……」

 つた子は、楓子に土下座して謝った。

「あの男、昔から幼い子が好みのろくでなしだとは思っていたけど……まさか襲っちまうなんて……」

 楓子は昨夜の出来事を思い出し、震える自身を抱き締める。

「…………藤馬は……?」

 楓子は、昨夜自分を助けてくれた友人の所在を訊ねる。

「あの子は、あんたを運んできてどっか行っちまった……『ここを離れる』って……」

「そんなっ!」

 楓子は、何かを思い出したように「あ……」と声を漏らした。

「昨夜、私を襲ったあの人は……?」

 つた子は、『思い出したくもない』といった表情をして俯く。

「今朝……山で食い殺されてるのが見つかったよ。狼さんにやられたらしい」

 つた子は、深いため息をついた。



 昨夜。

 つた子がそろそろ寝ようかという時に、玄関の引戸を乱暴に開ける音が聞こえた。

 藤馬だったらこんな開け方はしないだろう、とつた子は箒を持って緊張した面持ちで玄関に向かう。

(あのろくでなし、こんな時にいないなんて……!)

 今、隣の布団に与吉の姿はない。

 どうせ幼子のいる家で酒でも飲んでいるんだろう。

 しかし、玄関にいたのは楓子を背負って汗だくになっている藤馬だった。

 つた子は内心安堵しながら、冷めた目で藤馬を見下ろした。

「…………どうしたんだい、その子」

「叔父さんに襲われた」

「は?」

「叔父さんは、俺が殴ったあと、山から下りる途中に狼に食われて死んでる」

「はぁ?」

 『与吉が楓子を襲った』『狼に食われて死んでる』と言われても、すぐさま納得できるわけがない。

「……で、その子どうするんだい?」

「……楓子を、ここに置いてやってください。俺は村を離れます。俺を見る度に、叔父さんに襲われた事も、俺が叔父さんを殴った事も思い出してしまうかもしれないから……それに、ちょうど良いですから」

 『ちょうど良い』という言葉の意味を、つた子は察する。

 『邪魔者が村からいなくなるには、ちょうど良いですから』。

 つた子は、藤馬をじっと見つめる。

 つた子は、出稼ぎに出た妹が藤馬を連れて帰ってきた日を思い出していた。

『この子を、預かってほしいの。父親は、もう海の向こうに帰ってしまって……』

 自由な性格だとは思っていたが、突然2歳の子供を連れて帰ってきて、父親は外国人だなんて思いもよらなかった。

 しかも、白い毛色は『神様の使い』と言われている。

 『結婚も出来ず、育てられもしないのに産んだのか』と罵れば良いのか。

 『この子は神様の使いに違いない』とあがめたら良いのか。

 生真面目なつた子にとっては、『育てられないのに産んだ』『父親が外国人で既に帰国している』という、責任感の無さへの怒りが強かった。

 やはりというべきか、村でも噂話のかっこうの的だった。

 ただでさえ、狼信仰を信じていなくて異質扱いされていた妹は、里帰りしても『不埒な女』と悪評を立ててしまったのだ。

(そんな妹が、狼さんに食われて死んだ時は『ざまぁない』と思ったもんだ)

 しかし、藤馬はとても物わかりの良い性格だ。

 苦労をかけられた事などほとんどない。

(『妹と一緒にしちゃあいけない』と、分かってはいるんだけどね……)

「……そうかい」

 入んな、とつた子は踵を返す。

「いえ、俺はここで失礼します。楓子を、よろしくお願いします」

 藤馬は玄関に楓子を下ろし、深く頭を下げる。

「今まで、お世話になりました」

「待ちな」

 藤馬を呼び止めた事など、初めてだった。

 藤馬も目を丸くしている。

 つた子は、居間の戸棚から銭の入った小袋を持ってきて、藤馬に渡した。

「少しだけど、持っていきな」

 この子は、妹のように戻ってくる事はないのだろう。

 妹と違い、他人への配慮が出来る子だ。

(私も『いつでも帰ってきな』と遠慮なく言えたら、どれだけ良いか……)

「元気でな」

「……はいっ……」

 藤馬は、涙ぐんだ目で「ありがとうございますっ……」と小袋を握りしめた。



「これから、どうするんだい?まだ一人であの家に住むかい?」

「一人で……あの家に……」

 楓子は青ざめた。

 藤馬もいなくなり、楓子は最早あの家に一人で住む勇気はない。

 だが、親戚もいない為あの家以外に帰る場所がない。

「あんたが良いなら、この家にいてくれて構わないよ。私も一人になっちまった。でも、あのろくでなしの妻と一緒なんて嫌か」

 つた子は苦笑いを浮かべる。

「……いいんですか……?」

 つた子は驚いた表情をしてから、優しく笑った。

「良いんだよ。まだ子供なんだから、もっと大人を頼りな」

 楓子は、涙ぐんだ目で「ありがとうございますっ……」と布団を握りしめる。

 その姿に、小袋を握りしめて礼を言った藤馬の姿が重なった。

「よろしくね、楓子」



 それから18年が過ぎた。

 30歳になった楓子は、結婚もせずにつた子と村で暮らしている。

 農作業の休憩中、二人は縁側に座ってお茶を飲んでいた。

「すまないねぇ……すっかり行き遅れてしまって……」

「またその話?気にしないでよ、叔母さん。……それに、私が好きになった人は……彼だけだから……」

 楓子は、懐かしそうに遠くを見つめる。

「やっぱり、引き止めるべきだったかね……」

 悔いた表情のつた子を見て、楓子は首を横に振る。

「いいの。一緒にいたら、きっと罪悪感に耐えられないし、私も彼を見る目が変わっちゃうと思うから」

 あの時つた子が思った通り、藤馬は村を離れてから一度も姿を見せていない。

 楓子も、藤馬が帰ってこない事は分かっているはずなのに、縁談の話を断り続けていた。

 


 寒さのせいだろうか。

 子供の頃に住んでいた家の夢を見た気がする。

 夜中に目が覚めた楓子は、布団から上体を起こすとしばらくぼんやりと布団を見つめる。

(そういえば、彼と初めて会ったのも秋だったなぁ……)

 楓子は布団から出ると羽織を肩にかけ、子供の頃に住んでいた家へ向かう。

 山道は満月の明かりのせいか、夜なのに不思議と怖くはなかった。

(あ……)

 後ろを、何かがついてくる気配を感じる。

 楓子は一旦足を止めるが、何事もないかのように再び歩き出した。

 しばらく歩くと、後ろをついてくる気配は消えた。

(狼さん、ありがとうございます)

 楓子は心の中で礼を言いながら歩き続けた。

 家が見えてきて、楓子は足を止める。

 与吉に襲われ、藤馬が与吉を瓶で殴った事をどうしても思い出してしまう。

(何で……来たんだろう……)

 足がすくみ、来た事を後悔する。

 しかし『来なければいけない』と直感したのだ。

 楓子は深呼吸をすると、意を決して家へ向かう。

 入り口から暗い室内を覗くと、上がり框に楓子と同い年くらいの男が片手で両目を覆って寝そべっていた。

 男は楓子に気づくと、脇に置いていた刀を手に素早く起き上がって柄に手をかける。

 18年ぶりに見た、白銀色の髪の男だ。

「……藤馬……?」

 藤馬は、影のある美丈夫へと成長していた。

 藤馬も、相手が楓子であると分かると、脱力したように柄から手を離した。

「……なんだ……お前か……」

 相当具合が悪いのか、藤馬は片膝をついてしゃがみこむと疲れたように呟く。

 楓子も藤馬に近づいてしゃがみこむ。

 すると、藤馬は楓子の胸に倒れこんだ。

「悪い……少し貸してくれ……」

 藤馬は、幼子のように楓子の胸に顔を埋める。

「『人の心臓の音を聞くと落ち着く』って、言うからな……」

「……そうだね……」

 楓子は、藤馬を抱きしめて頭を撫でる。

(鉄の匂い……?)

 藤馬の背中がぐっしょり濡れていて、やけに冷たい事に気づいた。

「大丈夫?すごく体冷えてるけど……今、毛布持って──」

 楓子は毛布を持ってこようと腰を上げる。

 そんな楓子の腕を、藤馬は掴んで制止した。

「いい……このままで……」

 藤馬は、掠れた声で力なく呟く。

「じゃあ、せめてこれを着て」

 楓子は自分の羽織を藤馬にかける。

(水って、こんなに生温かったっけ……?) 

 楓子は嫌な予感がして、背中にあてた自分の掌を見る。

 血で真っ赤に染まっていた。

 黒に近い着物で分からなかったが、藤馬は背中を刺されていた。

「何で……どうしよう……!」

 慌てふためく楓子をよそに、藤馬は死期を悟っていたようだ。

 藤馬は最後の力を振り絞って、楓子の背中に腕を回す。

「頼む……この、まま……」

 楓子は背中の血を止めようと、両手を重ねて羽織の上から押さえる。

 すると、藤馬は満足気に微笑んだ。

「あったかい……」

 それが藤馬の最期の言葉だった。



 翌朝。

 茫然自失な状態で家に帰ってきた楓子は、藤馬が亡くなった事をつた子に伝え、一緒に山中の家に来てもらった。

 つた子は藤馬の遺体を見て辛そうな表情を浮かべたが、涙は見せなかった。

「どうするかね……」

「あの……ここに、藤馬を埋めても良いかな……?」

  ここには基本的に誰も訪れない。

 来るとしても楓子くらいのものだろう。

 つた子は、楓子に優しく微笑みかけた。

「良いよ。ここだったら、気軽に来れるだろうしね。たまに会いに来てやりな」

「うん」

 楓子とつた子は庭の端に鍬で穴を掘り、藤馬の遺体を埋めた。

 近くに咲いているシオンの花を供えて、二人は手を合わせる。

「藤馬……会いに来るからね……」

 つた子は目を丸くして楓子を見た。

「あんたが『藤馬』って呼んでるの、久しぶりに聞いたよ」

「そうですか?」

「そうだよ。ここ数年ずっと『彼』だったからね」

 指摘されて、楓子はようやく気づく。

「……無意識に遠ざけようとしていたのかも……でも……」

 好きな人の名前だから、やっぱり呼びたい。

 『神様の使い』と言われたニホンオオカミが絶滅したのは、その数年後の事だ。



「坊や、『送り狼』って知ってるかしら?」

 藤の花が咲く季節。

 100歳になる楓子は、介護施設の庭で車椅子を押す若者に話を振った。

「『送り狼』?……ええ、知ってますけど……」

 何を想像しているのか、若者は歯切れ悪く答える。

 若者が何を想像しているか検討がついたのか、楓子はクスクスと笑う。

「『送り狼』というのはニホンオオカミの習性で、夜に人間が縄張りを歩いていると、縄張りを出るまで後ろをついてくるの。突然大声を上げたり走ったりしなければ、襲う事はしないわ。縄張りを出れば、あとは引き返して行く」

「それが『送り狼』ですか?」

 想像していた事と全く違う話が始まったからか、若者は素直に驚いた。

「えぇ。その事を教えてくれたのは、あの人だったわ」

 道路を挟んだ公園にある白い藤棚が、陽の光を浴びてきらきらと輝いている。

 それを見て、楓子は藤馬の白銀の髪を思い出していた。

 おやつの時間に、若者は楓子にお茶を淹れながら「そういえば」と話を振る。

「休憩中に同僚から聞いたんですけど、ニホンオオカミの学名って『道を守る者』らしいですよ!」

 その話を聞いて、楓子は驚いた後に破顔した。

「そうなの……」

(『道を守る者』……)

 初めて会った夜『送り狼』を知らない楓子を守り、その後、与吉からも助けてくれた。

(ありがとう。藤馬は私にとって、道を守る『送り狼』だったのね)

 かなり前に投稿した『彼女がいるか、聞きたいだけ。』の、前世の話として(自己満足で)書いてみました。

 あちらの話は現代物で、名前も違うので単発でお読みいただけます。

 ちなみに、彼女達が『前世を思い出す』といった設定は全くございません。

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