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送り狼  作者: 月原レイ
3/4

あの日

 秋にしては暖かい日だ。 

 ここ1ヶ月程、藤馬は楓子の家にほぼ毎日来るようになっていた。

 一緒に干し柿を作ったり、キノコや栗を採りに行ったり、買い物をする時は2人で里に下りてきたり。

 最初は奇妙な目で見ていた大人達も、次第に気にしなくなり、少しずつ藤馬にも話しかけるようになってきた。

「……最近、あんたたち一緒にいるね」

 二人で八百屋を見ている時、珍しく声をかけてきたのは鉢合わせたつた子だった。

 話しかけられた事のなかった藤馬は驚きのあまり言葉が出なかったが、楓子は元気よく「はい!」と答える。

「お父さんが亡くなってから、藤馬には色々助けてもらってます。1ヶ月くらい前にも、夜道を歩いていたら狼がついてきて……」

「あら、『送り狼』かい?良かった、狼さんに夜道を守ってもらったんだねぇ」

 つた子が安心したように笑うと、楓子は「いえ……」と歯切れ悪く否定する。

「どちらかというと……藤馬に守ってもらったようなものです……」

「は?」

「はい?」

 頬を赤らめて言う楓子に、藤馬とつた子の声が重なった。

「私『送り狼』っていうのを知らなくて、振り返って後ろを確認しようとしたんです。そしたら藤馬が『そのまま歩け』って言ってくれて。もし後ろを見て『狼がついてきている』って分かったら、走って逃げて襲われてたと思うんです」

 藤馬もつた子も『信じられない』という目で楓子を見る。

「そ、そう……この子が……」

 つた子はその目のまま、藤馬に視線を移す。

「でも『狼に夜道を守ってもらった』のも本当だろ」

 藤馬も照れくさそうに言う。

「そうだ、夜道を守ってくれた狼さんにお礼はしたかい?」

 つた子は、思い出したように楓子に視線を戻す。

「お礼ですか?」

 楓子は「えーと……」と宙を見る。

「してない……ですね……何をすれば良いんですか?」

「家に入ってから、玄関に向かって『守ってくださりありがとうございました』ってお礼を言ったり、餅や小豆飯をお供えしたり──」

 ふと藤馬は、ある視線に気がついた。

 『狼信仰』について話し込んでいる二人を、つた子のかなり後方から見ている与吉の姿があった。

 藤馬が見ている事に気づいたのか、与吉は背を向けてどこかへ行ってしまった。

(……?)

「──じゃあ、そろそろ失礼します。色々教えてくれてありがとうございました。行こう、藤馬」

 藤馬は与吉に妙な違和感を覚え、じっとそちらを見ていた。

「藤馬?」

「え?……あぁ、失礼します」

 藤馬はつた子に軽く頭を下げる。

 つた子は複雑な表情で藤馬を見下ろした。

「……あぁ」

 楓子の前だからだろうが、つた子が藤馬の言葉に返事をくれたのは初めてだった。

 

 

 

「やっぱりあの時、藤馬に上がっていってもらえば良かったね」

 楓子の家へ帰る道すがら、楓子はきのこの入ったかごを持ち直しながら、そんな事を言い出した。

 野菜の入ったかごを持った藤馬は「まだ言うか」と呆れた表情だ。

「あの時断っただろ。第一、初対面を家に上げるな」

「だって、直感で『大丈夫』だと思ったんだもん」

 最初から信頼されていた事を喜べば良いのか、警戒心の無さを咎めれば良いのか分からない。

 楓子に聞こえていたかどうかは分からないが、八百屋から離れた直後、つた子は八百屋の店主にこんな事を言われていた。

「あの子達、いつか夫婦になるのかね」

 店主の微笑ましげな言い方に、つた子がどんな表情をしていたのかは分からない。

 聞こえたのは「どうだかね」という冷めた声だけだ。

 そんな事を思い出していた藤馬は、偶然目に飛び込んできた山奥の光景に顔をしかめた。

 数匹の狼が、鹿を貪り食べていたのだ。

『狼は、畑を荒らす鹿や猪を食べてくれる益獣でもあるんだよ』

 先ほど、つた子は楓子にそんな事も教えていた気がする。

(楓子がこっちを向いてくれていて良かった……)

 今現在、鹿の生肉を食いちぎっている狼を『益獣』だと言われても、恐怖しかないだろう。



「……また口喧嘩してる」

 別の日、楓子は八百屋の前で言い合いをしている若い男女を見て、ため息をついた。

 最近、八百屋のお姉さんと近所のお兄さんの仲が悪い。

 1年程前までは仲が良かったのに、急にお互い嫌い合うようになった気がするのだ。

 八百屋の店主は「年頃だから」としか言わず、気にした様子もなく笑っているが、楓子は『このままずっと仲が悪いのでは』と心配でならない。

 藤馬と家に戻ってきた楓子は、縁側に座って『竹トンボ』を作っている藤馬の背中を不安げにじっと見る。

(いつまで、こんな風にいられるかな……)

 藤馬も、あと数年経てば村を出るかもしれない。

 それ以前に、八百屋のお姉さんと近所のお兄さんみたいに、突然よそよそしくなるかもしれない。

 いつまでも仲良くしてくれるとは限らないのだ。

 藤馬に離れてほしくなくて、楓子は藤馬の背の左側に横顔を預けた。

「……どうした?」

 藤馬は手を止め、楓子を振り返る。

「……『人の心臓の音を聞くと落ち着く』って、言わない?」

「まぁ……聞いた事あるけど……」

 楓子が寂しげに微笑んでいる事には気付かず、藤馬は再び手を動かした。


 

 いつもより長居をしてしまった。

 日も暮れはじめ、藤馬は家に帰る事にした。

「じゃあな」

「うん、また明日。気をつけてね」

 楓子は土間の入り口で、藤馬を笑顔で見送る。

 藤馬は楓子に背を向け、山を歩いて下りた。

 不意に楓子が背中に頭を預けた感触を思い出して、今更ながら赤面する。

(っだから『警戒心』ってものは無いのかよ……!)

 何が『人の心臓の音を聞くと落ち着くって言わない?』だ。

 あまりにも無防備すぎる。

『あの子達、いつか夫婦になるのかね』

 八百屋の店主の言葉が、脳裏をよぎる。

(このまま一緒にいたら、俺はいつか──)

 あいつに手を出して、泣かせてしまうんじゃないだろうか……?

 泣かせるような事はしたくない。

「……?」

 藤馬は、木の陰から誰かが見ているような気がして足を止めた。

 目を凝らし耳を澄ますが、物音一つ聞こえない。

 気のせいかと思いそのまま歩き出したが、どうしても嫌な予感が拭えなかった。

(そういえば、また見ていたな……)

 昼間、与吉がまた遠くからこちらを見ていたのだ。

 特に何かされるわけではないから放っているが、さすがに気味が悪い。

(何で、今思い出すんだ……?)

 まだ、何かが後ろをついてくる気配は感じない。

 藤馬は楓子の家に急いで戻った。

 全力で坂道を駆け上がり、楓子の家が見えてきた所で藤馬は足を止める。

 一瞬だけ、家から楓子の叫び声が聞こえた気がした。

 体の火照りが一気に引いていき、心拍数が別の意味で上昇しているように思えた。

 藤馬は片手で心臓を押さえ、足音を立てないように入り口に近づいていく。

 上り框で男が楓子に覆い被さっていた。

 右手で楓子の両手を一纏めにし、左手で口を塞いで無理矢理右を向かせ、空いた左の首筋に舌を這わせている。

 藤馬は目の前の衝撃的な光景に、入り口で立ち尽くした。

 次の瞬間、音もなく台所のかめを手に取り、躊躇なく振りかぶる。

 男が藤馬に気づいて振り向いたため、瓶は右側頭部に当たる。

 そのまま男は、ゆっくりと倒れて動かなくなった。

 涙で顔をぐしゃぐしゃにした楓子が男の下から上半身を抜け出し、倒れている男と、男を殺した藤馬を見た。

「……死んだの……?」

「多分な」

 初めて人を殺したにも関わらず、藤馬は落ち着いていた。

 藤馬は、改めて楓子を襲った男の顔を認識すると、思わず瓶を落とした。

 楓子を襲ったのは、与吉だった。

「……殺す必要……あった……?」

 藤馬はピクリと肩を揺らすと、楓子ははっとする。

「ごめんなさいっ!私のせいで──」

「ここに、こいつは来ていない。お前も、その男の事など知らない」

「え……?」

「着物、直したらどうだ?」

「っ!」

 藤馬は瓶を拾い上げて壁際に置き、平常であろうと努める。

 楓子ははだけた着物の衿を押さえながら、与吉の下から足も抜け出した。

「しばらく、外にいろ」

「え……何で……?」

「いろ」

「……はい……」

 楓子は、困惑した表情をしながらも外に出る。

 藤馬は、与吉の死体を移動させようと腕を伸ばしたが、その手を止めると勢いよく踵を返した。

 驚いて声の出ない楓子の腕を掴み、急いで木の陰に隠れる。

「……どうし──」

 藤馬は、片手で楓子の口を塞ぐ。

 頭を押さえた与吉が覚束ない足取りで家から出てきて、そのままふらふらと山を下りていった。

 与吉の姿が完全に見えなくなり、藤馬はようやく楓子の口を塞いでいた手を離す。

「生きてた……」

 楓子は安堵したような声を出している。

 しかし、藤馬が楓子をちらりと見ると、目には恐怖が宿っていた。

(ごめん……)

 藤馬は心の中で楓子に謝り、片手で頭を撫でる。

「藤馬……?」

 無垢な目で藤馬を見つめる楓子に、藤馬は空いた手で手刀を食らわせた。

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