少年
貫井藤馬は、村のはじき者だ。
特に問題を起こしたわけではない。
それどころか、素っ気ないが静かで、物分かりの良い性格だ。
父親は誰なのか分からず、母親は物心つかない頃に亡くなっている。
母方の親戚に引き取られ、部屋も宛あてがわれ食事も出されるが、挨拶をしても無視され、家事の手伝いを申し出ても悉く無視された。
会話など、ほとんど無い。
何故か夜中に帰ってきても怒られる事もなく、家にいてもいなくても何も言われなかった。
やる事のなかった藤馬は、よく山へと散歩に出掛けていた。
木の上に登って、ただ景色を眺める。
その日も、いつもと同じだと思っていた。
すっかりと日も落ち、少女の後を付いていく狼に気がつき木の上から眺める。
確か、この先に家が一軒建っていた。
そこの住人なのだろう。
(夜の山道を子供一人に歩かせるなんて……)
少女が狼の気配に気づいたらしく、後ろを振り向こうとした。
「そのまま歩け」
自分でも、何故そう言ったのか分からない。
目の前で『人間が狼に襲われる光景』なんて見たくなかっただけかもしれない。
(それにしたって……)
「……家まで……ついてきてもらえませんか……?」
とんでもない頼みに、思わず「……は?」と声が出てしまった。
しかし、ここで狼に襲われなくても、ここからの帰路で熊に襲われるとも限らない。
(家の前までなら……良いか……)
自分なら、どうにでもなる。
「どうぞ、上がってください」
少女は、まるで知り合いが来た時のように茶の準備をしている。
つい「会ったばかりの奴を家に上げるなよ……」と、心の声が漏れてしまった。
それなのに返ってきた言葉は「え?何でですか?」という純粋な問いだった。
「『警戒心』とか、そういうものはないのか?」
初対面に苦言を呈するのはどうかと思ったが、子供が一人で暮らしているだけでも危険なのに、警戒心が無さすぎる。
「だって、あなた優しいじゃないですか」
少女に『さも当然』といった風に答えられ、最早呆れるしかなかった。
「俺の事知らないのか……」
知らないからこういう対応なのだろうか。
藤馬は大きなため息をつき、苦々しげに呟いた。
「帰る。茶はいらない」
「えっでも夜も遅いし、何だったら泊ま──」
(今、何て言った?)
藤馬は聞こえないふりをして踵を返し、さっさと山道を下りていった。
もてなしを断って家を後にした藤馬は、夜の山道を一人で下りていた。
『厚意』なんて向けられた事の無い藤馬は、何とも言いがたいもどかしさを感じてがしがしと頭を掻く。
夜中なので、なるべく音を立てないように引戸を開け、自分の部屋に向かう。
文机におにぎりが2つ置いてあった。
1つ食べて、布団に入る。
翌朝、夜明けと共に目が覚めた。
残っていたおにぎりを食べて、皿を持って部屋を出る。
「おはようございます」
「……」
「……ごちそうさまでした。ありがとうございました」
藤馬は、おにぎりがのっていた皿を差し出す。
叔母のつた子は流しの横を無言で指差し、藤馬は静かに皿を置く。
「行ってきます」
藤馬の言葉を、つた子は無視した。
玄関へ向かう廊下で叔父の与吉と鉢合わせたが、一瞥されただけで何も言われなかった。
藤馬は軽く頭を下げて、与吉とすれ違う。
言葉にはされなかったが、与吉も目で『いたのか』と語っていた。
藤馬は家を出て、いつも通り山へと向かって歩いた。
「……あ」
昨日とは違う場所へ来たのに、昨日の少女に会ってしまった。
しかも、笑顔でこちらに手を振っている。
(何で2日連続で会うんだ……)
しかも、少女はそのまま駆け寄ってきて「昨日は、ありがとうございました」と深々と頭を下げてきた。
(何なんだよ、こいつ……)
自分の事を知らないにしても、この見た目だったらそもそも近づこうとしないはずだ。
なのに。
「こんな朝早くに、何してるんですか?」
「疲れてませんか?お茶でもどうです?」
「私、三科楓子です。お名前、何て言うんですか?」
距離が近い。
挙げ句の果てに。
「友達になっていただけると嬉しいなって……」
俺なんかと『友達』?
ついに、盛大なため息が出て「何で俺みたいな奴と……」と心の声が漏れてしまった。
「……変わってるな、お前」
「え?そうですか?」
横目で『楓子は何をしていたんだ』と呼び捨てにすると、何故か満面の笑みを浮かべてかごの中身を見せてきた。
いが栗を見せて、ほくほくとした表情をしている。
結局、楓子の家に招き入れられて土間に入ったが、落ち着かなくてずっと外を眺めていた。
「あ、縁側の方が良いですか?天気良いですもんね」
どう捉えられたのかは分からないが、外に出られるのならありがたい。
「……そうだな……」
藤馬はさっさと縁側にまわる。
縁側の端に、柿の入ったかごが置いてある。
(『栗』といい『柿』といい……秋だな……)
柿を見つめ、そんな事をぼんやり思っていると「柿、食べませんか?」と声をかけられた。
特に好物でもないので「いらない」と即答すると「……そうですか……」としょんぼりとされた。
あまりにも落ち込んだ表情をされるので「……普段は、どうしてるんだ?」と話を振ると、目を輝かせて「干し柿にするんだ」などと話しはじめた。
「私、干し柿が好きで今年も作ろうと思ってるんですが、子供の背丈だと、やっぱり去年よりは取れなくて……」
楓子は弱ったように笑うが、木に登って採れば良いだけではないか。
「……俺が取ろうか?」
「えっ?」
楓子はきらきらした目で藤馬を見た。
藤馬はその目を見て、『何を言っているんだ』と自分の発言を振り返る。
「いいんですか?」
楓子の目を見て、今更『やっぱり無理』だなんて言えない。
藤馬はたじろぎながら「やる事ないし……」と了承する。
「ありがとうございます!」
楓子の素直さにそろそろ耐えられなくなってきて「あのさ……」と無理矢理話を変える。
「はい?」
「その敬語……やめてもらえないか?何か堅苦しいから……」
本当は敬語なんてどうでも良いのだが、他に話題が思い浮かばなかった。
「あっうん……ごめんなさ……ごめん……」
謝りながらもはにかむ楓子に、藤馬は尚更わけがわからなくなる。
楓子から少し離れたくて、藤馬はお茶を一気に飲み干すとかごの横の鋏を掴んで足早に柿の木に向かう。
へたのすぐ上を鋏で切って収穫してから、かごを忘れた事に気がついた。
(しまった……)
視界の端に、草履をつっかけて家から出てきた楓子が映る。
柿を持って楓子を見ていると、楓子は「今、かご持ってくるね!」と言って走って縁側に向かう。
こちらから見ると、少し深い窪みが見える。
「ゆっくりで良い。転ぶ──」
藤馬が言った瞬間、楓子は地面の窪みにつまずいた。
「わっ!?」
転ぶ事はなかったが、踏ん張った体勢のまま硬直している。
「だから『ゆっくりで良い』って言っただろ……」
「……ごめんなさい……」
楓子はかごに入っている柿を縁側に置くと、かごを手にして藤馬の元へ歩いてきた。
「──わぁ……!ありがとう……!」
かごいっぱいに入った柿を見て、楓子は目を輝かせた。
藤馬としては大した事をしたつもりはないので、「どういたしまして」とにべもなく掌を払う。
「じゃ、帰る」
やっと離れられる、と藤馬は楓子に背を向ける。
「えっもう!?もう一杯ぐらいお茶──」
楓子が言い終わらないうちに、藤馬は走りだした。
「えっあの……明日も来てくれるー!?」
藤馬は楓子の言葉が聞こえないふりをして、振り向きもせずに山を駆け下りた。
それから数日、藤馬は山へ行かなかった。
しかし、楓子がどうしているのかがどうしても頭にちらつく。
もしかしたら熊や野犬に襲われているのではないか。
体調を崩して寝込んでいるのではないか。
そんな事をぐるぐると考えながら歩いていると、後ろから「藤馬君!」と聞き覚えのある声がした。
『藤馬君』?
振り返ると、少し離れた八百屋の前で楓子が笑顔で手を振っている。
八百屋の店主も客も通行人も、ぎょっとした表情で藤馬と楓子を見ている。
藤馬は一気に注目を浴びた事が恥ずかしくて、その場から一目散に逃げ出した。
走りながらちらりと後ろを確認すると、八百屋の店主と客のおばさんが神妙な面持ちで楓子に何か話していた。
(きっと……俺の悪口なんだろうな……)
藤馬は前を向き直し、沈んだ気持ちで通行人の中を走り抜けた。
村のはずれの小川まで来た藤馬は、ようやく足を止める。
(元気そうで良かった。もう、会う事は無いだろうけど)
3回ほどしか会っていないのに、『もう会う事はない』と思うと何故か気持ちが沈む。
後方で草がカサカサと揺れる音が聞こえ、藤馬は肩を跳ね上げた。
警戒しながら振り返ると、かごを持った楓子が息を切らして追ってきた。
(追ってきたのかよ……)
先日同様、藤馬は絶句した表情で楓子を見る。
しかし、先ほどの大人達に何か吹き込まれているに違いない。
(俺を見る目つきも変わるだろうな……)
楓子は息を整えながら「藤馬君……」と呟いた。
「何か用か?」
藤馬は、あえて冷たく訊ねる。
「……あの……藤馬君のお父さんって……」
「さぁな?会った事ない。もしかしたら、この国の人間じゃないのかもしれないぞ」
この髪色も相まって、だから敬遠されているんだろう。
「もう俺に関わるな。お前も変な目で見られ──」
「何で?」
『何で?』
一体、何回絶句すれば良いのだろう。
「……逆に何でだよ?何で俺に関わろうとする?気味悪くないのか?こんな白い髪」
「綺麗だよ。月明かりも陽の光も反射して、とても綺麗」
楓子は藤馬をまっすぐ見つめ、強い口調で言いきった。
そんな事を言われると思っていなかった藤馬は、目を見開いたまま固まってしまう。
「……ねぇ、またうちに来てくれる?やっぱり、一人じゃ寂しくて……」
楓子は、恥ずかしそうに視線を落とす。
我に返った藤馬は、顔を赤らめながら「……だから、『警戒心』ってものは無いのか」と頭を抱えた。