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送り狼  作者: 月原レイ
1/4

少女

 狼信仰のあった明治時代の初め。

 12歳の三科楓子みしなふうこは、山中の家で両親を亡くして一人で暮らしていた。

 里の人から「養子にならないか」と誘いを受けたが、楓はあの家を離れたくはなかった。

 今まで何もなかったし、家事は両親と一緒にやっていたから、何とかなると思っていたのだ。

 ある夜。

 楓子が夜道を歩いていると、何かが後ろをついてくる気配がした。

 正体を確かめたくて、恐る恐る後ろを振り返ろうとした時。

「そのまま歩け」

 どこからか少年の声が聞こえてきた。

 楓子は顔を正面に戻し、悲鳴を上げて逃げたくなる衝動を必死で抑え、振り返らずにゆっくりと歩く。

 足音が止んだかと思うと、引き返したのか、ゆっくりと遠ざかって行った。

 楓子は振り返り、冷や汗をかきながら大きく息を吐き出した。

「…………何だったの……?」

「『送り狼』だ」

 突然、木の上から少年が飛び降りてきた。

「きゃっ!?」

 楓子は隣に降り立った少年に後ずさり、そのまま尻もちをついてしまう。

「大丈夫か?」

 少年は、ばつが悪そうに楓子に手を差し伸べる。

「痛ぁ……あ、ありがとうございます……」

 少年の手を取った時、楓子は目を見開いた。

 同い年くらいに見えるのに、月明かりに照らされた白銀の髪と三白眼がやけに艶なまめかしかった。

(綺麗……)

「……立てないのか?」

 少年は眉間に皺を寄せ、訝しげに楓子を見る。

「えっ……あっはい!立てます!」

 楓子は急いで立ち上がり、お尻と裾の汚れをはらう。

 少年は落とした包みを拾い上げ、楓子に手渡した。

「ありがとう……ございます……」

「どういたしまして」

「あの……」

「何だ?」

「『送り狼』って……?」

 少年は、どう説明すれば良いのか考えているのか「あー……」と首の後ろに片手を回した。

「ニホンオオカミって、縄張りに人が入ると、縄張りを出るまで後ろをついてくるんだ。走って逃げたり悲鳴を上げたりしなければ襲ってこない。縄張りを出たら引き返す」

「そっか……だから……」

「じゃあな、気をつけて帰れよ」

「えっ!あっあの……!」

 歩き出した少年を、楓子は慌てて引き止める。

「何だ」

 少年は少し面倒臭そうに、楓子をじろりと見た。

「……家まで……ついてきてもらえませんか……?」

「は?」

 狼が後ろをついてきた事で夜道が一気に不安になった楓子は、泣きそうになりながら少年に頼み込む。



「すみません……ありがとうございます……」

 家の明かりをつけて、楓子はいそいそとお茶を淹れる。

「どうぞ、上がってください」

 少年は土間の入り口に突っ立ったまま、困惑した表情だ。

「あのさ、親は……?」

「2人とも亡くなりました。母は1年前に、父は先週……」

「1人暮らしか?」

「はい」

「……会ったばかりの奴を家に上げるなよ……」

「え?何でですか?」

 楓子は湯飲みにお茶を淹れながら、知り合いが来た時のように振る舞っている。

「『警戒心』とか、そういうものはないのか?」

「だって、あなた優しいじゃないですか」

 楓子は『さも当然』といった風に答えた。

「俺の事知らないのか……」

 少年は大きなため息をつき、苦々しげに呟いた。

「帰る。茶はいらない」

「えっでも夜も遅いし、何だったら泊ま──」

 少年は聞こえていないのか踵を返し、さっさと山道を下りていってしまった。

 


 翌朝、楓子はかごを手に栗拾いをしていると、昨日の少年を見かけた。

 「あっ!」と声を上げると、少年がこちらを見る。

 2日連続会った事が信じられないのか、絶句した表情だ。 

 楓子はかごを抱えたまま笑顔で少年に手を振り、まっすぐ駆け寄った。

「昨日は、ありがとうございました」

 楓子は深々と頭を下げる。

 少年は人見知りなのか何なのか「いや……」とたじろいでいる。

 楓子は頭を上げると、まじまじと少年を見た。

 少し年上くらいだろうか。

 楓子より頭半分ほど背が高く、白銀の髪が朝日を反射してきらきらと輝いている。

(やっぱり綺麗……目は焦げ茶色なのね……)

「こんな朝早くに、何してるんですか?」

「……散歩してるだけだ……」

 少年は、楓子と目を合わせずぶっきらぼうに答える。

「疲れてませんか?お茶でもどうです?」

「……だから、『警戒心』っていうものはないのか──」

 少年はため息をつき、楓子を横目で見る。

「……分かった。じゃあ少しだけ……」

 楓子はぱぁっと表情を輝かせる。

 楓子の家へ向かう道すがら、楓子は「そういえば」と少年に話しかけた。

「お名前、何て言うんですか?」

「……貫井ぬくいだ」

「『貫井』……何さん?」

「……貫井藤馬ぬくいとうまだ」

「そうなんですか!私、三科楓子です!」

「三科か……」

「……『楓子』って呼んでいただけると、嬉しいです……」

 名前で呼んでほしい、という要求に藤馬は唖然としている。

「私、山の中に住んでいるから親しい人ってあまりいなくて……。ましてや、同年代の知り合いなんて全然いないんです。だから、友達になっていただけると嬉しいなって……」

 楓子は俯いて、恥ずかしそうに打ち明ける。

 藤馬は盛大なため息をつき、「何で俺みたいな奴と……」と呟いた。

「変わってるな、お前」

「え?そうですか?」

 楓子は理由が分からず、曇りなきまなこで藤馬を見つめる。

「で?……楓子はここで何してたんだ?」

 名前で呼ばれた事が嬉しくて、楓子は満面の笑みを浮かべてかごの中身を見せた。

 中には、いが栗がかごの半分程入っている。

「栗を拾ってたんです。時期ですからね」

 楓子はほくほくとした表情でかごへ視線を落とした。

 楓子は家に入ると、かごを上りかまちへと置いた。

「どうぞ、上がってください」

 楓子はいそいそとお茶の準備をし始め、藤馬は躊躇いながら「……お邪魔します」と土間に入った。

 しかし藤馬は何故か、玄関から庭先の柿の木をずっと眺めている。

 時期故に、柿がたわわに実っている。

「あ、縁側の方が良いですか?天気良いですもんね」

「……そうだな……」

 藤馬は土間を出て縁側に向かい、楓子も湯飲みを乗せたお盆を手にして家の中から縁側にまわった。

 縁側の端に、柿が5・6個入ったかごと鋏が置かれている。

 藤馬が柿を見ていた事に気づいて、楓子はお茶を置きながら「柿、食べませんか?」と訊ねた。

「今年もたくさん実ったので良ければ」

「いらない」

「じゃあ、少し持って帰って」

「いらない」

「……そうですか……」

 藤馬にとっては普通の反応なのか、即答で断られる。

 あまりにも早く断られるので、楓子はしょんぼりとしてしまう。

「……普段は、どうしてるんだ?」

「え?」

「柿」

 楓子の表情はぱっと明るくなって、「えっと」と話し出した。

「いつもは干し柿にしたり、買い出しに行ったお店の人にあげたり……あ、でも実ったもの全部採るんじゃなくて、上の方は鳥が食べる為に残しておくんです」

「へぇ……そうか……」

「私、干し柿が好きで今年も作ろうと思ってるんですが、子供の背丈だとやっぱり去年よりは取れなくて、そのうち疲れてしまって……」

 楓子は弱ったように笑う。

「……俺が取ろうか?」

「えっ?」

 楓子はきらきらした目で藤馬を見た。

 藤馬は『何故そんな事を口走ったのか自分でも分からない』といった表情だ。

「いいんですか?」

 藤馬はたじろぎながら、視線を逸らす。

「……まぁ……やる事ないし……」

「ありがとうございます!」

「……あのさ……」

「はい?」

「その敬語……やめてもらえないか?何か堅苦しいから……」

「あっうん……ごめんなさ……ごめん……」

 楓子は謝りながらも、『タメ口で良い事』にはにかむ。

 藤馬は楓子が出したお茶を一気に飲み干すと、鋏を掴んで足早に柿の木へ近づいた。

 楓子は土間へまわり、草履をつっかけて小走りで縁側に向かった。

 藤馬は収穫した柿を持って楓子を見ていて、楓子はかごを取りに縁側に向かって走る。

「今、かご持ってくるね!」

「ゆっくりで良い。転ぶ──」

 藤馬が言った瞬間、楓子は地面の窪みにつまずいた。

「わっ!?」

 転ぶ事はなかったが、転びそうになった恐怖で心拍数が上がっている。

「だから『ゆっくりで良い』って言っただろ……」

「……ごめんなさい……」

 楓子はかごに入っている柿を縁側に置くと、かごを手に、歩いて藤馬の元へ向かう。

「──わぁ……!ありがとう……!」

 かごいっぱいに入った柿を見て、楓子は目を輝かせた。

 藤馬は、掌を払いながら「どういたしまして」と素っ気なく答える。

「じゃ、帰る」

「えっもう!?もう一杯ぐらいお茶──」

 楓子が言い終わらないうちに、藤馬は走りだした。

「えっあの……明日も来てくれるー!?」

 楓子の言葉は聞こえていないのか、藤馬は振り向きもせずに山を下っていった。

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