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心の奧

 両脇に桜の植えられたその小さな遊歩道は、7月の昼間でも涼やかな木陰を作っていた。

 サラサラと鳴る葉桜の音が、通り抜ける風を一層心地よく冷やすようだ。


「うあー……気持ちいいわ、ここ」

「良かったです」


 チラチラと降り注ぐ木漏れ日を嬉しそうに仰ぎながら、小宮山係長は大きく息を吸い込む。

 その様子と開放的な屋外の空気に、俺の緊張も何となくほどけてくるようだ。


 ベンチに座ると、彼女は途中で寄ったカフェで買ったサンドイッチとコーヒーを脇に置きながら、興味津々に俺の膝のランチボックスを見つめる。

「篠田くんのお弁当が、実はさっきから気になってるの! 早く見たい〜」

「んんー……ちょっと恥ずかしすぎるんですけどね……」


 料理は割とマメにやる方だ。

 何か考えたいことがあるときなどは特に、無心で料理をしながらあれこれと思いを巡らすと、何となくうまく前へ進むような気がする。

 この恋がスタートしてからも、気づけば少し早めに起きて自分の弁当を詰める日が増えていた。


「……笑わないでくださいね?」

「当たり前でしょ!お弁当を作ってくるっていう段階でもう尊敬しかないんだから!

 …………って、すごいじゃない……」


 今日のおかずは、厚焼き卵とアスパラベーコン、ナスと豚肉のさっぱり炒め、プチトマト、ポテトサラダ……というようなもの。どれもなんていうことのない簡単メニューなのだが……

 彼女はランチボックスの中身を見つめ、口を小さく開けたまま固まっている。


「……私、マジで料理しないから……すごすぎる、美味しそう……」


「……あの……

 ちょっと召し上がります?

 あっでっでもお口に合うかどうかわからないんですけど!」

「えっいいの?……って、なんか厚かましすぎじゃない私……」

「いえ全然! もし喜んでいただければ俺もめちゃめちゃ嬉しいし!」


「……ほんと?

 じゃあお言葉に甘えて……」

 サンドイッチのパックの蓋に、とりあえず厚焼き卵とベーコンアスパラを一つずつ乗せる。

 彼女は卵焼きをちょいっと指でつまむと、パクリと口に入れた。


「…………

 んん……やだっ、ほんとに美味しい……!!!」

 

「…………」


 ————なんという奇跡のような時間なんだろう。

 小宮山係長が。

 今まで遠くて、眩しくてたまらなかった、彼女が。

 俺の隣で、俺の弁当のおかずを幸せそうに味わっている。


 ……夢じゃないのか……!?


 ってか、今目の前にいるのは、すっ、素の彼女……だよなコレ!!?

 クールな美貌の内側はこんなに無邪気で飾らないかわいい人……って、なんかもう騙されてるくらいキュンとするんだが!!!? あーーヤバイヤバイギャップ萌えで燃え尽きる苦しい誰か水!! バケツで水かけてくれっ!!!


 俺の分けたおかずを一気に食べ終わると、彼女はなんとも満足げに微笑んだ。

「う〜ん、ちゃんと手作りしたおかずって、やっぱりなんか違うんだな〜……あったかさというか優しさというか。外食じゃ満たせないパワーがもらえるわね!」

「……こんなシンプルなおかずでそんなに喜んでもらえるなんて……俺、なんかちょっと嬉しすぎて……」

「もしかして篠田くんって、お料理得意?」

「う〜ん、嫌いではないですね。特別上手とも言えないんでしょうけど」

「すごいわ……

 とにかく料理が苦手で困るのよ。レシピ見ながら作っても、写真のように美しくは全然仕上がらないし……切ったり剥いたり下ごしらえしたり、そういうのもほんと面倒で苦手。つまり不器用でせっかちで面倒くさがりなのね、ものすごく」

「……そうなんですか……?

 ……とりあえず係長って、苦手なことなんて一つもないんだろうと思ってました」

「あはは。あちこち穴だらけよー私なんて」

 彼女は楽しそうに笑ってそう言う。


「女らしさに著しく欠けてるの。……自分でもよくわかってる。

 でも、仕事は楽しい。ある意味ガサツなフットワークの良さもビジネス向けのコミュニケーション力も、自分の武器だと思ってる。

 この会社の営業部に採用が決まってからずっと、誰にも負けない仕事をするんだ!なんて思いながら突っ走ってきたけんだけどね……」


 明るく快活だった彼女の声が、不意に翳った。


「——でも。

 どうやらそれ、私の独りよがりだったみたいなのよね……

男性社員たちから見たら、ガツガツ成績上げる女なんて『目の上のたんこぶ』だったようで。

 先年度なんかは、周囲がもうあからさまに冷ややかで……自分の頑張りってこんなにも無意味だったのか……なんてね」


 思ってもみなかった係長の言葉に——胸の底にいきなり氷をぶちまけたような冷たさが走り、俺は思わず固まった。


「…………まさか……」


「そうなのよ。これが現実。

 今年度広報部へ異動になったのも、体のいい厄介払いだったんだと思う。

 私、気が強いし、主張を器用に曲げたりできないし。……こんな女子社員に頭が上がらないなんて、使いづらい上に外目にも格好良くない、っていうことなんでしょう」

 そんなことを呟き、彼女は寂しげに微笑んだ。


「——そんなこんなで、なんだかどっと疲れちゃってね。

 でも、ここで弱ってちゃ、相手の思うツボ。自分が負けたみたいで、絶対に嫌。

 とにかく弱音を吐いたり情けないとこなんか見せないようにしてたつもりなんだけど……

 ……もしかしたら、篠田くんには、私の中の何かを見透かされちゃったのかな……」


 どこか寂しげに俺を見る彼女の視線に、俺は思わずどぎまぎと俯き、自分の思いをまとまりなく伝えた。

「いえ……何かに気づいたとか、そんなんじゃないんですけど……

 本当はいろいろ大変なんじゃないかって……思いました。少し」


「ふふ。結構鋭いねー篠田くん。

 ……やだ。私、あなたの仕事の悩みでも愚痴でも聞くつもりだったのに、気づいたら自分の愚痴ばっかり垂れ流しちゃって。

 ……ごめんなさい」


「——いえ。全然。

 っていうか……そういう話をしてもらえて、俺はすごく嬉しい、というか……。

 俺なんかでよかったら、いくらでも聞きます。愚痴でも悩みでも。——話を聞く以外、多分何もできないですが……」

「うふふ。こんな風に歳下の男の子に気遣ってもらったの、初めてだわ。

 でも——

 自分の弱いとこ見せたくなくて、こうして誰かに思いを打ち明けたことなんて今までなかったから……気持ちを受け止めてもらえるだけで、こんなに心って軽くなるのね。

 つっかえてたいろいろを自然に吐き出せたのは……きっとこうやって、あなたに屋根も机もない場所へ連れ出してもらったおかげね。

 ——ありがとう、篠田くん」


 そんな彼女の言葉と柔らかな微笑みに、改めて雷に撃たれたようにビリビリと痺れる。

 彼女が俺にくれた、ちょっと今すぐには整理しきれない嬉しい言葉たちを、とりあえず一言ずつ脳に深く刻み込んだ。



 その時——

 ふと、彼女のバッグの中で、低い振動音が響いた。


 バッグからスマホを取り出して画面を確認した瞬間——彼女の瞳に、一瞬ざわっと緊張が走った……ような気がした。

 そんなざわつきを一瞬で消し去ると、彼女は鳴り続くスマホをストンとバッグへ戻し、すいと脇へ置く。


「電話——大丈夫ですか」

「うん、いいの。気にしないで」


 俺の問いかけに、彼女はいつもと変わらぬ涼しげな眼差しで微笑んだ。





✳︎


 



 それから数日経った、終業後。

 悩みに悩んだ末に、俺は向かいの席でパソコンに向き合う五十嵐さんを呼び止めた。


「五十嵐さん——

 近いうち、ちょっとお時間ありますか」


 五十嵐さんは、画面から視線を上げると、いつも通りの端麗な表情で俺をまっすぐに見る。


「……安易に俺を頼ったりするなよ。とりあえず、自分でとことん考えたんだろうな?」

「もちろんです」


「なら——明日はどうだ。金曜だしな」

「わかりました」


 俺の答えに、五十嵐さんは微かに口元を引き上げ、そのまま仕事に戻っていった。



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