第63話 追想──ビル、あるいは
「馬鹿げたことだと俺は思っても、そうは思わない相手もいる。“邪竜の血族”を畏れる者がいればこそ求められる振る舞いはある。冷徹に、冷淡に、非情に。様々な判断を下し、指示し、纏める姿にそれを探そうとする者はいるものだ。軍人にはならない俺にも、その片鱗を見れば勝手に向こうが慮る」
ヴリュメールは代々軍人の家系だ。先の大戦で大層な功績を収めているのも偏にその武力の高さにあるのだろう。指揮の執り方も戦局の見極め方もさることながら、本人が手練れであることが大きな理由だ。多くの敵を屠り、血を浴びた。自らが流した血はほとんどなく、目の前の死に眉ひとつ動かさない。そんな逸話を思い出し、それから私は彼がひどく血に耐性がないことも思い出す。
「父の妄執は俺が軍人にはなれないことにも関係があったんだろう。どれだけ努力を重ねても俺が父の関心を、望んだように引くことはなかった。次代として必要なもの、子どもたちのために求められるもの、継続していくために用意するもの。志なんてない。ただの容れ物として、その席に座る者として在りさえすれば」
「ウィリアム様……」
乾いた声に胸が痛くなった。それはある意味では特別扱いだったのかもしれない。彼が望んだものとは違っていても。
他の子と同じように接して欲しいなど、言えなかっただろう。我儘と捉え押し込めただろう。子どもたちを守るのは自分の務めで、その後継で、育成のために地下へ一緒に降りていたなら。寂しいなんて言えるわけがなくて。赦されるわけもなくて。
「母の夢を叶えるのが父の夢になった。褒められた理由ではなくても、救われたものがある。尊いだろう。外側から見れば輝かしく、人道的で、非の打ち所なんてない。だからこれは、俺の方が間違えている。子どもじみた願望を俺だけが叶えられてはいけない。平等に、同じ痛みを抱えていなければ共にはいられない。だから、……良いんだ、俺のことは」
俺のことは良い。ビルが何度も口にしていたことを私は思い出す。干渉が煩わしくて、面倒で、そう言っていると思っていたけど。実際にそう思っている部分もあるのかもしれないけれど、でも。
私には、自分に言い聞かせているように聞こえた。
「どう思われても、どう見られても、慕われなくても、別に構わなかった。俺は俺の責務を果たし、機能さえ果たせれば。子どもたちの世話は皆がするだろう。関係は皆と築くだろう。好意を向けるなら、俺以外の誰かにだろう。それで良い。そう、思っていた」
私が何か口を挟む隙はなくて、言葉は喉の奥で止まってしまう。でも、それで良いはずはない。私が言えることには限りがある。何も知らない。話に聞いたこと以外には。それでもこうして話してくれたことを、そのまま見送るのは嫌だった。
「よ、良くありません!」
「……」
彼は驚いた目を私に向けた。ごめんなさい、と私は咄嗟に口を片手で覆う。思ったよりも大きな声が出てしまった。この距離では五月蝿かったと思う大きさの声が。でもぽかんとした様子の彼は私の声の大きさには言及せず、何が、と問うた。だから私は答える。
「それで良い、だなんて。何も良くありません。だってそんなの……っ」
悲しい。寂しい。苦しい。色んな思いが胸に湧き上がって、ひとつに絞り切れなかった。この感情は何だろう。何と言えば適切だろう。どう言えば、彼に近付けるのだろう。
「平等じゃない、と言ったのは、あなただわ。平等には扱われない。外は変わらない。求められなかったのも、仕方ないと思う。我儘だと思って言えなかったのも、仕様がないと思う。でもだからって、求めちゃいけないなんて、そんなの、あんまりです……っ」
「──」
浮かんで来そうになる涙を堪えるために私は俯いた。大きく息を吸って、少し止めて、少しずつ吐いて。自分の中でぐちゃぐちゃになっているものを落ち着けて、言葉を選ぶ。
「立派です。ウィリアム様、立派ですよ。子どもたちのために、使用人の皆のために、伯爵として求められることを立派にこなしてるんだと思います。でも、言ったって、良いはずです。本当は寂しかったって、お父様ともっと過ごしたかったって、もっと違う時間を過ごしたかったって、口にしたって赦されるはずです……っ」
彼が小さく息を呑む音が聞こえた気がした。離れてしまった手はもう遠くて、本当にはどうだったか私には判らないけれど。
「言ってももう、先代はいらっしゃらないけど……でもそんな、押し込めなくたって良いじゃありませんか。我慢しなくたって、誰も責めたりしません。此処を維持するための、子どもたちを保護するための機能だなんて、そんなこと言わないで下さい。あなただから、皆、いるのに。機能だけなわけないわ……!」
伯爵として在ること。先代の夢を叶え続けること。ただそれだけを壊さないように彼が色々なものを我慢して生きているなら、嫌だと思う。
「志がないなんて、嘘。フラヴィの名前について教えてくれた時のあなた、とっても真剣だった。テレーズが前とは変わったって話したの、よく見ているからだわ。臆病だって自分を責めるのも、子どもたちや皆と真摯に向き合っているからよ。それの何処に、志がないなんて言えるかしら」
少し息が落ち着いたから、私は顔を上げる。見るのは怖い。見たら、見られるから。私のこの目を気味悪がって、魔女だと眉を顰めて。でも此処に来て学んだのだ。皆、何かを抱えている。抱えながらもお日様のように笑える。私は何度もその笑顔に勇気付けられてきた。私も同じようになりたいと、思ったから。
「私、きっと言えるわ。あなたのことを志がないなんて言う人がいたら、どれだけあなたが凄いか、きっと説明してみせる」
誰かを笑わせるためにはまず自分が笑うこと。震える頬を上げて、私は下手くそに笑う。
彼の頬が泣きそうに引き攣るのが見えた。
2023/07/16の夕方
脱字をみっけたのでしれっと直しておきました!推敲が甘くて申し訳ないです!




