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第57話 託されたもの


 伯爵の母親のこと。言われて私はそういえばと気付く。


 先代──伯爵の父親──が話題に上ることはあっても、夫人の話は誰からも聞いたことがなかった。


「……いいえ」


 振り返って否定すれば、ビルは視線を逸らしたようだった。私から顔を逸らして何もない地面を向く。言い淀むような間があって、躊躇いがちに口元へ片手を持ち上げる。言葉が広がるのを防ごうとでもしているのか、ビルは近付けた自分の手の甲に零した。


「地下施設は先代が始めたことだが、それを夢見たのは伯爵の母君なんだ」


 そんなに言いづらいことなのだろうか、と思って私は反応に困った。何と返せば良いか判らないから黙ったままでいたらビルが言葉を続ける。


「あの人の夢を先代は追った。がむしゃらに、罪悪感から逃れるように。

 ソルシエールが“魔女の出る家系”と呼ばれているなら、ヴリュメールは“邪竜の血族”と呼ばれる家だ。あなたには悪く聞こえるかもしれないが、俺はそれを馬鹿げたことだと考えている」


 それはビルの強さに感じた。それとも、自分がその家に生まれていなければそう感じるものだろうか。過去の大戦による功績でそう印象付けられた家を、そう捉えてくれる人ばかりなら。私はきっとあんな目を向けられずにいたのだろうに。そう思えば段々と目を伏せていた。


「先代はその妄執に取り憑かれていた。伯爵の母君は伯爵が幼い頃に亡くなっている。それを自分のせいだと捉え、この家に嫁いで来たせいだと考え、罪滅ぼしをしようと取り組んだ。あの人の夢を追い、あの人の夢を叶え、あの人の夢を息子に託した」


 ──先代はがむしゃらだった。罪悪感に突き動かされるようにして、それでも一生懸命だった。子どもたちのためになると信じて行動した。今の伯爵にはそれがない。先代の行動をなぞるだけで、志はない。


 ビルが以前零した言葉を私は思い出す。先代と伯爵とでは捉え方が違ったのだろう。伯爵はただ、引き継いだだけだ。それが母親の夢だとしても。叶えてやりたいという思いはあったとしても、先代ほどがむしゃらには取り組めないのだろう。


「……先代は、自分の妻が亡くなったのは心無い人の報復だと考えていたようだ。ヴリュメールの悪評を恨む、今代で何か直接被害を被ったわけでもない何者かが」


「え……」


 私は思わず目を上げてビルを見ていた。ビルは何処を見ているか判らない。けれどさっき見た時から動いていないように見えたから、地面を見ているのだろう。


「証拠はない。俺はあの人が何故亡くなったかを知らない。先代も調べてはいなかった。それとも、調べたけれど証拠がなく諦めただけかもしれない。妻の夢を叶えることに力を注いだからかもしれない。俺がそれを知ることは出来ないが」


 はぁ、とビルはひとつ溜息を吐いた。どういう意味合いのものか私には判らない。


「だがそうして尽力し、突き進んだ結果が今だ。子どもたちの多くを保護することになり、外へ出た者、この屋敷で維持に手を貸す者、様々いる。先代が面倒を見た子どもたちもいずれは大人になる。そうして次に保護される子どもたちの面倒を見る。それは紛れもなく先代の、先代の奥方が描いた夢だ」


「……素敵な話に聞こえるわ」


 お日様のような印象を受ける人たちばかりだから、きっと先代がそう関わったのだろうと思う。氷のような伯爵とは全然違う人だったのだろうと。発端が何であれ、子どもたちのためになると信じ力を尽くしたことは変わらない。そのおかげでマックスやイヴォンヌ、トマにテレーズがいるのだから。


 でもその輝かしい夢を今なぞるのは、志のない伯爵だとビルは言う。


「どうしてこの話を、私に?」


「……」


 ビルは答えなかった。けれど引き結ばれた真一文字の唇が少し震えたような気がする。地面を向いたままその唇が薄く開いた。


「……判らない。だが、あなたに聞いて欲しいと思った。偽装結婚でもあなたの立場は伯爵の奥方だ。もし、ヴリュメールの名が先代の奥方を害したのだとすれば」


 ビルはその後の言葉を続けなかった。唇はまた真一文字に引き結ばれてしまって、ビルの口の中で行き場を失ったように見える。私はビルが何を言いたいのか判らないまま、どうしたものかと考えた。


「もしかして、私も伯爵のお母様と同じようになるんじゃないかって、思ってくれてるの?」


「……」


 ビルは益々私から顔を背けてしまった。肯定も否定もなくて、いや、これは否定だろうか。違ったらごめんなさい、と謝る私をビルは一瞬向く。けれどまたすぐ、俯くように地面へ顔を向けてしまった。


「ビル、あなたは真面目なのね。真剣に子どもたちと向き合うから、子どもたちに会いに来ない伯爵のことを赦せないでいるのかしら。臆病だと思うのかしら。でも私、伯爵があなたの言うように臆病だったとして、やっぱり仕方ないと思うの。ご両親の夢を託されて背負っているそれを、上手く出来てるかしらって不安になるだろうから」


 ビルは顔を上げた。私は意識して微笑む。


「見たら、見られるんだもの。怖いわ。でも、ふふ、笑ったら怒られるだろうけど私少し安心してるのよ。あの氷みたいに見えたヴリュメール伯爵も人間なんだって、思うもの」


 難しいかもしれないけど、と私はビルに言う。


「あなたがどれくらい伯爵にその思いを持っているか判らないから赦してあげてなんて言えないけど。でも、伯爵のこともマックスたちと同じように、人間だって、思ってあげて」


 その優しさを伯爵にも向けて欲しいと思ったからそう言えば、ビルはぐっと唇をより一層引き結んだ。ゆっくりと、その唇が開く。


「伯爵に、伝えておく。あなたがそう、想ってくれたこと」


 いるのか、と思ったけれど私はただ頷くだけにした。



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