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第56話 想像したもの


 考えて体が震えた。お日様が出ていて洗濯物もすぐ乾きそうなくらい温かいのに、寒気がするほど。


 怖い、と思う。想像するだけで怖い。私の両親なのに、と思うだろう。私の両親なのに、子どもの私よりも子どもらしい他の子がいたら。私よりも愛してしまうかもしれない。私よりも両親を喜ばせてあげられるかもしれない。そうしたら私は、要らなくなるかもしれない。


 ──伯爵は臆病な人だ。


 ビルから聞いた言葉が蘇る。もしも、もしも私が考えたようなことを伯爵が思ったのだとしたら。不安で、心配で、怖い。そんなの仕方がないと思った。臆病になっても仕様がないと。だってこれは、怖いことなのだから。連れてくる子ども連れてくる子ども、皆が自分の親が助けたいと思った子なのだ。それは紛れもなく、愛、なのだろうから。


 親の愛情が変わることはないのかもしれない。でも、関われる時間は間違いなく、減ってしまうから。一緒にいられたはずの時間が他の子に向くならそれは、寂しいと思うだろう。特に伯爵は先代の遅くにできた子だ。先代と過ごせた時間は限られていた。


 私は洗ったばかりのシーツに顔を押し付けた。目から涙が溢れて止まらない。想像だけでこんなに胸が締め付けられるほど苦しいのに、実際に体験していた伯爵は。それに気づいていたマックスは。お互いに複雑な感情を抱えながら、その間に入っていたビルは。


「……洗ったばかりのシーツに顔を押し付けるな」


「ビル」


 ビルには私が洗ったばかりのシーツに顔を埋めたくなるほど良い匂いがすると堪能している人に見えたのだろうか。呆れたような声がかけられて私は思わず顔を上げた。ビルは私が泣いているとは思わなかったのか、ギョッとした様子で薄く唇を開く。な、と動揺した声が漏れるのを私の耳は拾った。


「何かあったのか……」


 一応はそう訊いてくれるビルに私は首を振る。何でもないの、と遅れて答えれば、何でもないわけないだろう、と返された。口にして良いものか判らなくて躊躇うものの、ビルは引く気がなさそうで私が答えるのを待っている。


 私の想像でしかない。順を追って、自分がそうだったら、と考えただけの。これが合っている保証もないのに話すのは憚られた。けれどビルは許してくれそうにない。


「……想像したの」


 だから私は正直に話す。でもビルの顔は見ていられなかったから、再びシーツに顔を押し付けて。どうせまた洗うのだから何度涙を拭いたって同じだ。ひんやりとした表面が少しだけ温かく濡れる。


「伯爵のことを想像してみたのよ。先代が子どもを連れてくるのを知った時どう思ったのかしらとか、他の子と関わる先代を見てどう感じたのかしらとか。だって、伯爵のお父様なのに。どうしてって、思うんじゃないかって。同じように関わって欲しいのに、もし、いずれ伯爵になるのだからって先代と同じことを求められたらって」


 私はソルシエールだからといってその家系の父が何かを要求してくることはなかった。興味があるなら、と貴重な研究記録を見せてもらったことはあったけれど、それは私の意志だ。強要されて植物に詳しくなったわけではない。


 でももし、伯爵は半ば強制的だったとしたら。子どもたちを人間として扱うからこそ。


「……」


 ビルは答えない。シーツに顔を押し付けている私にはビルがどんな表情をしているか判らない。感じる雰囲気も、何も。もしかしたら本当はもう何処かへ歩き去っているかもしれない。


「同じような他の子がいるのに自分だけ我儘言えないってマックスは言ったけど、でも、伯爵だってそうだわ。言いたくても言えなかったと思うの。言ってるならきっともっと、違ったと思うわ」


 少なくともマックスは想像してみろなんて言わなかっただろう。ビルも、臆病だとは思わなかったかもしれない。


「ねぇ、ビル。伯爵のことをあなた、臆病だって言ったわね。そんな甘えたこと、と言われるのかもしれない。でも私、仕方ないと思うの。臆病になっても仕様がないと思うのよ。伯爵だっていきなり大人だったわけじゃないわ。あの人だって子どもだった時期があるんだもの。あなたやマックスがいくつくらいの時に此処へ来たのかは知らないけど、伯爵と同じ歳の頃でしょう? 

 伯爵だってきっと、我儘言えなかったわ。私は両親を独り占めしたけど、伯爵はきっと、出来なかったもの。もし先代が平等に子どもたちに接しようとしたなら、自分の子どもにだって特別扱いはしなかったかもしれない。でもそれを寂しいなんて、言えるわけがなくて、赦されるわけがなかったら」


 私はシーツを強く握りしめる。折角伸ばした皺も意味がない。


「誰かにぶつけて受け止めてもらいたい衝動を出せなかったのは、伯爵もきっと、同じなのよ」


「……だから、伯爵を悪く言うのはやめろと?」


「あなたが言ってくれたように、あの人も人間だって思っても良いんじゃないかって思っただけ」


 ビルは再び無言になる。私は居た堪れなくなって、シーツを剥がすともう一度洗ってくるとビルに背を向けた。


「あなたは──」


 ビルが口を開く。私は出そうとしていた足を止めて、けれど振り返りはせずに耳をそばだてた。


「──伯爵の母君について、聞いた?」



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