第55話 次の段階
「旦那様ですか? あぁ、確かに笑わなくてちょっと取っ付きにくいですよね。でも優しい人ですよ、テレーズ、知ってます!」
「先代が見てた子たちも放り出さずに面倒見たんだ。悪い人じゃないさ。え? 結婚式の夜? あぁ、あれは旦那様の指示だよ。厳かなものなのだから笑い声をあげるなってね。結婚式なんて見るのも聞くのも初めてだけど、子どもたちはケーキが食べられて喜んでたし、きっとそういうもんなんだろうね」
「先代が愛でた庭を何とか維持できないかって打診されて引き受けた時のホッとした顔、本当に心底心配だったんでしょうねぇ。まぁ維持できてるかというと自信はないけど、おれはおれにできることをすれば良いって言ってくれるんでねぇ」
「伯爵ぅ? あぁ、あいつはあいつで思うところあるだろうけど……なんだ、嬢ちゃん、あいつが気になるか」
マックスにニヤリと笑われ、私は素直に頷いた。あれから一週間が経とうとしている。私は毎日のように誰彼構わず伯爵の印象を尋ねた。最初に詮索するなと言われたけれど、もうそんなものはあってないようなものだ。ビルが切り出したのだから。
「誰に訊いても良い人だって、優しい人だって返ってくるの。でもそうじゃないことを言う人もいるし、私も一度だけお会いしたきりだけどその時の印象とは結びつかなくて……」
マックスと一緒に洗濯物を干しながら、私は彼から見た伯爵の印象を訊いていた。真っ白なシーツを干しながら、ふぅんとマックスはまたニヤリと笑いながら相槌を返す。
「そうじゃないこと言うやつって、ビルだろ」
「え、あ、そ、その」
「隠さなくて良い。オレとあいつの仲だ。あいつが伯爵に抱いている気持ちも知ってるさ」
一応はビルのことを伏せておいたけれどマックスにはお見通しのようだ。とはいえ勝手にそうと言うのも憚られるし、違うと否定するのも嘘を吐いていることになる。肯定も否定もしないまま私は俯いた。
「あぁ、知ろうとしてるのか。おーおー、えらいえらい。嬢ちゃんは素直だな」
自分で言ったことをちゃんと覚えているから、マックスは目を細める。子どもたちに向ける顔と同じだと私は思っていたけれど、感謝もしているから指摘はしない。
「あの、子どもたちのことを知ろうとしたら使用人の皆のことも知ることに繋がって、それを見越してそう言ったのでしょう?」
さぁなぁ、とマックスは笑ってはぐらかした。ぱん、と最後のシーツをひとつ振って皺を伸ばし、隣のシーツと同様に干していく。マックスが認めなくても構わない。私はそう思ったし、マックスに感謝するだけだ。でもまたこうして頼ってしまうのは申し訳ないと思う。
「そうか、嬢ちゃん、其処まで来たか。許可貰ってねぇからオレから言えることは全然ねぇが、まぁ、そうだな。知ることができたなら次は想像だ。それを元に想像する。相手の置かれた状況、環境、そういったものから想像するんだ。そいつが、どう思うかってな」
想像、と私は繰り返す。そうだ、とマックスは体ごと私に向けて指を二本立てた。
「オレからやれる情報は二つ。ひとつ、ビルが此処に来たのはオレたちとは違う理由だ。ひとつ、想像してみろ。自分の親が自分以外の子どもを可愛がる姿を。嬢ちゃんにはそれで十分だろ」
想像は子どもたちのことを知るにも必要になるものだとマックスは笑う。空っぽの籠を持ち上げ、一足先に子どもたちの様子を見に行くと地下へ向かった。私の籠にはまだシーツが残っていた。
オーブはあれから私にべったりになり、離れたがらない。此処へ来た子どもにはあることだとマックスは教えてくれた。満足すれば離れていく。けれど四六時中一緒にはいられないことも理解する必要がある。だからいつも通り私は外の仕事もしつつ、子どもたち会いに来れば良いと言われた。私もこの仕事を終えたら行こう。真っ青な空が広がる今日も良い天気だ。洗濯物はよく乾くだろう。自分が担当する分の残りのシーツを干しながらマックスが言ったことを反芻して考えた。
ビルが此処へ来たのはマックスたちとは違う理由。ということは、彼は地下出身ではない、のだろう。使用人を雇う時に必ずしも奴隷の子どもである必要はない。この家が特殊なだけで、きっと他の屋敷では子どもの奴隷を使用人にしたり見世物小屋から買った子どもを医者にしたりはしないだろう。それが仕事だからビルも子どもたちの面倒を見ているだけで、別にビル自身は何かをしてもらったとか返したいとかは思っていないのかもしれない。
もうひとつの情報は、伯爵のことだと思った。自分の親が、自分以外の子どもを可愛がる姿。私には兄弟がいないから両親は私だけを可愛がってくれた。ソルシエールに生まれても私は両親に恵まれていた。愛され、慈しまれ、大切にされた。世間の人には冷たく当たられても家にいれば安心だった。両親が守ってくれていたからだ。だからのんびりと薬草を育てることができた。黒い噂のある人に嫁ぐとしても、そうすることで両親が助かるなら構わなかった。これまで守ってきてくれたことに対する恩返しには全然足りないけれど。
でももし、両親のその愛情が他の子どもに注がれていたら。両親が保護してきた別の子を、私と同じように愛したら。もしも、私以上に愛したら。
「……」
想像に、私は両手で口を覆った。




