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第52話 木陰の下で


「ビル、その……大丈夫……?」


 どうして良いか判らず、私はひとまず声をかける。蹲ったビルは唇を噛んで、返事ともつかない呻き声をあげた。余計にどうして良いか判らないから私は助けを求めて周りを見回す。けれど誰もいなかった。


 木陰で休ませれば良いようなことをマックスが言っていたのを思い出して、何度も躊躇いながら、手を差し出した。


「嫌かもしれないけど、つ、掴まって」


 ビルは立ち上がるのも難しそうに見えた。支えてすぐ近くの木陰まで連れて行こうとかけた言葉に、ビルは弱々しくも拒もうとする。でも夏の昼間に長居はしない方が良い。風はあるから木陰に行けば涼しいだろうし、休むのに適しているはずだ。


「ビル。それとも、他の人を呼んで来た方が良い? トマなら花壇にいるだろうし……」


 筋肉質なトマなら普段から重たい肥料袋を運んでいるし、男性ひとりくらい支えられるだろうと思って提案した。ビルは喉の奥で、ぐ、と苦しそうな声を出す。血が苦手だと他の人は知らないことなのだろうか。知られることを嫌がっているなら、選択肢は少ない。


「……すまない」


「こ、こちらこそ、その、ごめんなさい」


 何に謝っているのか自分でも判らなかったけれど、口を衝いて出た言葉は戻らない。


 ビルが私の差し出した手を掴んでくれたから、まずは立ち上がるのを支えて手伝う。よろよろ、ふらふら、としながらもビルは何とか歩けそうなところまで立ち上がった。そのままゆっくり足を出すのに合わせて私も進む。血の気が引いているのか手は酷く冷たかった。


 億劫そうな足取りは重く、のろのろとしたものではあったけれど木陰には何とか辿り着く。ビルは着いて早々にまた膝を折って蹲ってしまった。


「は、吐きそうとか、そういうのはあるの……?」


 尋ねてもビルは答えない。見える頬のあたり、青褪めた顔は一層顔色を悪くし、答えようにも答えられないように見えた。私はマックスに言われた通りに膝を貸そうとその場に座り込んだ。ビルの肩を控えめに揺らし、横になるように促す。


「横になった方が良いわ。少し休めば回復するなら、早い方が良いでしょう?」


 誰にも知られたくないと思うなら回復も早い方が良いに違いない。私の申し出にビルは何か言いたげに口を開いたけれど、結局声は出て来なかった。呻き声みたいなものが出ただけで、相当に具合が悪いのだと思う。


 そのまま倒れ込んでも支えられる場所に私が座ったから、ビルは抵抗虚しく私の膝に頭をのせた。


「……そんなに簡単に……男に膝を貸すもんじゃない……」


「え、そ、そうなの? でもマックスが言ったことなのよ。お医者様が」


「適当に決まってる……」


 弱々しい声なのにマックスの指示への不満ははっきりしていて私は困ってしまった。でももう膝は貸してしまったし、ビルも動けそうにはない。それに地面が固いのは本当だ。畑とは違うからふかふかの土ではない。こんなところで横になっても休まるものも休まらないだろうというのは納得なのだ。


「此処はお互い、観念するしかないと思うの」


 ビルは動きたくても動けないのだろうし、私も膝にビルの頭がのっているから動けない。だからもうこのままでいるしかない、ということを説明したら予想外にビルが息を吐いた。零すように。


「あぁ、仕方ない……」


 ビルはそのまま黙った。一瞬、息を零すビルの唇が笑ったように見えた私は言葉を失い、ビルの顔を凝視する。私からはビルの表情はよく見えないけれど、こちらを向いて横になるのはビルも抵抗があるらしく、呻きながら仰向けに体を動かした。謝っているようにも聞こえた気がしたけれど自信がないからそれには答えずに、私は姿勢を変えるビルを手伝った。


 ビルの口はまた真一文字に引き結ばれてしまったから笑ったのかどうかは判らない。黙ったからといって眠っているわけではないだろうけれど、具合が悪い人に話させることはない。マックスが言うには直接訊け、ということだけど。


 訊いたら、ビルは答えるだろうか。伯爵から口止めされていれば言わないだろう。そもそも、それを確かめて私はどうするつもりでいるのか。期待しているのだろうか。伯爵も、皆と同じように“私”を見てくれるんじゃないかと? あの晩以来、顔も合わせない夫が? 偽装結婚の相手の何を見ると言うのだろうか。


「浮かない顔だな」


 悶々と考えていたら顔に出ていたのか、ビルに指摘された。ハッとして私は視線を上げる。ビルは仰向けのままで顔はこちらを向いていない。それなのにビルには見えるのだろうか。マックスにも先ほど顔に出ると指摘されたばかりだというのに。


 私はまた両手で両頬を隠すように覆って、あの、と口を開いた。けれど言葉は続かない。何を言い訳しようとしたのかも判らなかった。


「此処は、あなたには合わないか……?」


 まだ調子は良くなっていないのだろう。ビルの声は苦しそうだった。それでも心配するような問いに、私は咄嗟に返せない。だってそんなの、気にされるなんて考えてもいなかった。


「皆と上手くやっているように見えたが……此処はあなたにとって慣れない場所だ……無理を……?」


 今最も無理をしていそうな人に心配されて私は慌てて口を開く。


「い、いえ、その、皆良くしてくれるわ。優しくて、良いところだと思う。本当よ。だって私、こんな風に顔を出すなんて思ってもみなかったの。この見た目から気味悪がられていたのに、此処では誰もそんな素振りを見せないんだもの」


 言葉にして、自分でも驚いた。あぁ、そうだ。思ってもみなかった。こんな日々があるなんて、思い描くことさえなかったのに。


「あなたの見た目など気にならないほどのものを見てきた者ばかりだからな」


 ビルは何でもないことのように言った。何でもないことなのかもしれない、と思いそうになるほど平然と。



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