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第48話 ポプリ


 伯爵は、魔女の万能薬を求めるだろうか。


 マックスなら求めない気がした。それだって別に訊いたわけではないから私の推測でしかないけれど。


 テレーズはきっと何も知らない。隠し事には向かないし、私の心を開くのには打ってつけだと思ったのかもしれない。他の皆もどれだけ知らされているかは判らない。でも、ビルは。


 ビルは家令だ。伯爵と関わる機会は多いだろうし、極秘に命じられている可能性もある。偽装結婚であることを告げたのも彼だ。勘違いするな、という念押しだったのかもしれない。暇を持て余せば趣味の園芸をするはずだと踏んで、促したのだとしたら。


「一応他の子も欲しがるかもしれないから沢山持って来たんですけど、足りますかね」


 テレーズの声に私は思考を切り替え疑惑を追いやった。考えたところで無駄だ。確かめようとも思わない。そんなことをしたって、惨めになるだけなのだから。


 もしそれが本当だったとして、私に何が出来るだろう。万能薬と触れただけで効果を約束するものではない。それに此処にはマックスがいる。万能薬なんて、必要だろうか。


「好き嫌いが分かれるんじゃないかと思うけど、テレーズは皆が欲しがってくれると思う?」


「はい! だってジゼル奥様とテレーズとで作ったんですから!」


 内心のばくばくを気取られないようにと思って声に気を付けながら尋ねれば、自信満々にテレーズは頷いた。それに驚きながら、私は胸に温かいものが広がるのを感じる。前向きなことを信じて疑わないテレーズには何度も助けられていた。そうであれば良い、と願うようになるほどには。


 マックスの許可も得て、私たちは子どもたちにポプリを見せた。テレーズの予想通りポプリは大人気で、飛ぶように籠からなくなっていく。使っている花は同じだから香りは同じだけれど、包んでいる布袋の柄を選びたい子どもが多かった。これも選択する自由を保証していることになるのだと感じて私はひとり頷く。テレーズが其処まで考えているかは判らないけれど、無意識にでも行えることが大切な気がした。


 何よりも“外”を感じられることが子どもたちに人気の理由らしい。トマが話してくれた理由と同じだ。この地下施設を出れば最初に目に触れるのは、自然になる。トマが世話をしている庭も、吹き抜ける風も、日差しの暖かさも、全て。その“外”から少し前にはミント水を、今回はお花を持って来たのだから子どもたちが喜ぶのは当然でもあった。


 元気一杯の子どもたちはこの大部屋でも沢山飛び跳ねて過ごす。外でのびのびと運動できるわけではないから、ある程度は仕方がないことなのだそうだ。けれど花瓶を用意しても倒してしまうことがあり、飾るに飾れない。地下で過ごす子どもたちにとって季節や外を感じられるものは此処を訪れる人たちの服装や纏って連れて来た空気の匂いくらい、らしい。


 子どもたちは銘々にポプリを手に香りを胸一杯に吸い込んでは嬉しそうに笑う。それを見て私はまた目に滲みそうになる感覚を覚えるのだ。悲しいものではない、じんわりと温かいそれを。


「オーブもどうかしら」


 子どもたちの様子に勇気を貰い、私は自らオーブにポプリを差し出した。相変わらず部屋の隅でこちらを窺うように見ていたオーブが関心を持っているかは判らない。


 でも警戒しながらも皆が喜んでいる姿を見て関心を持っていたのか、私の手からオーブがポプリを持っていく。眉根を寄せながらも、くん、とひとつ鼻を動かして香りを嗅いだオーブの目が突然、驚きに見開かれた。


「……?」


 首を傾げる私には構わず、くん、くん、と何度か香りを嗅ぐオーブの表情は驚愕に固まっているように見えた。何か気になる匂いなのだろうかと私が考えているうちに、オーブの大きな目から透明な雫がぽろぽろと零れ出す。仰天したのは私の方だった。


「お、オーブ……?」


 狼狽える私をオーブの目が捉え、一瞬だけ私と見つめ合う。そのすぐ後に腕が伸びてオーブが私に抱き着いて来たから、ひゃあ、という声が出た。部屋中の視線がこちらを向くのを感じる。見られ慣れていない私はそれに驚いて肩を震わせた。でも腰と背中の中間くらいに腕を回して物凄い力で縋り付くような、胸元でもっと震える幼い体があるから、途方に暮れてしまう。どうすれば良いのだろう。


 助けを求めて視線を向ければテレーズは驚いて目を丸くしているだけだった。ビルは表情が相変わらず見えない。マックスが身振りで何かを教えてくれた。両手を動かしている。なで、撫でろということだろうか。


 私はそろそろとオーブに手を伸ばす。振り払われるかも、と思った。オーブがこんな風に人に触れるところは見たことがなかったし、出会ったあの日以来、近付くなという雰囲気を感じてこんなに近寄ることさえ難しかった。けれどその懸念は、徒労に終わった。オーブの黒髪にそっと触れれば、ぎゅ、と腕の力が強くなり、私の胸は詰まる。


 ソルシエールの娘だから、と蔑んだ目で見られたことに傷付いていた頃、幼い私は今のオーブのように母に泣き付いたことがあった。あの時、母はどうしてくれたっけ。私はどうして、安心して泣き止んだのだっけ。


 遠い記憶を引っ張り出して私はおずおずとオーブの頭を撫でる。ぐす、と鼻を鳴らす音がすぐ近くでして、愛おしさが胸に溢れた。オーブ自身、堪えていた何かが溢れてしまったのだろうと思う。良くも悪くもそれは、変化だ。今まで見せたことのない、オーブの。それが良い方向に転がれば良いのだけど、と私は願った。


 私の体に入っていた力が少し抜ける。息を吐いてオーブの頭を撫で、小さくしゃくりあげる幼い体を落ち着かせるために私も撫でていない手を彼の背に回した。とんとん、とゆっくりその背を叩いて、頭を撫でる。


 少しだけ屈んでやったそれを見た誰かが、びええ、と大声で泣き出した。



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